ジャーナリズムの苦悩は人間としての倫理との葛藤。新聞各社の苦悩は収益との葛藤。

はじめに

自分はいわゆる理系だったので、ジャーナリストになりたいなどと学生時代に感じたことはなかった。でもMBAの授業で広報の仕事に向いているかもねと某教授に言われ嬉しかった。新聞業界については、「メディアの栄枯衰退」シリーズで4回に渡って投稿した。今回は、東京大学の総合図書館のジャーナリズムに関する図書を4冊ほど読んでみた。その要旨と感想を列挙する。ジャーナリストの苦悩について少しは理解できた気がする。

ジャーナリズムの原理

著者:赤尾光史、高木強(編)
出版:日本評論社(2011年12月15日、第1版第1刷)
要旨:新聞メディアの凋落(発行部数の減少、従業員の減少)とジャーナリズムは無関係ではないが、独立した概念だと提唱する。8名の論者がそれぞれの持論を展開する。最後の論者である橋場義之はネット時代のジャーナリズムの最後のところで、「国家の意思に完全に従わせるにとどまらず、あらゆる事柄についての意見を完全に画一化するという可能性が初めて生まれたのだ」というジョージ・オーウェルの小説「1984年」からの言葉を引用している。
感想:ジャーナリズムの使命は、このような監視社会の片棒を担ぐのではなく、自由な情報を展開する担い手になることだと言いたいのだと思った。しかし、新聞やテレビはおろかYouTubeでさえ厳しい報道規制がかかっているのではないかと感じる今日この頃だ。ジャーナリズムとメディアが独立であって欲しいと思う。

(出典:Green & Greed

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ

著者:畑仲哲雄
出版:勁草書房
要旨:日本におけるジャーナリズムの倫理は、業界が設定した「かくあるべし」と、各メディア企業が内部で運用する「べからず」の制限を受けている。本書は報道現場で起きた20の難問が収録されている。人命を優先するのか、報道を優先するのかなど、必ずしも答えの出ないものだけど、対立する2つの意見が記載されている。
感想:マスメディアをマスゴミと否定することは建設的ではない。取材する側の視点や報道倫理の悩ましさを理解する中で、片方の意見に固執するのではなく、異なる意見や立場を理解することで自分の考えがランクアップするのかもしれないと感じた。

スロージャーナリズムの時代

著者:松本一弥(朝日新聞夕刊企画編集長)
出版:朝日新聞出版
要旨:フェイクニュースはデマや誤報として使われている。ニュースには、公的な報道資料を元に記事にするファーストニュースと、独自の調査を行い、時間をかけて記事にするスローニュースがある。時間も手間もかかるけどフェイクニュースに対抗するには、しっかりとファクトチェックを行なった上で報道するスロージャーナリズムが重要だし、今後はさらに重要になると提唱する。
感想:「私は嘘つきです」と宣言する人は果たして本当に「嘘つき」なのか。「私は嘘をつきません」という人こそ「嘘つき」ではないかと感じる。同じように何がフェイクなのかの判断は難しい。最近感じることは「xxは明らかだ」という説明を信じないことにしている。「xxはyyの理由からzzだ」であれば、検証もできるが、単にxxは明らかだと言っても、根拠も理由もなければ確認できないし、信用できないと思う。新聞には読者の声がある。購読している日本経済新聞ではあまりみないけど、朝日や読売では興味深く読んだ。「朝生」でも視聴者の声を聞いている。その中には異なる意見もあるだろう。でも、その両方の意見とその根拠を示す新聞があればぜひ購読したいと思う。

新聞が消える

著者:アレックス・s・ジョーンズ
訳者:古賀林 幸
出版:朝日新聞出版
要旨:この著者は、「ジャーナリストにとっての優先事項は判明した事実をできる限り多く知らしめることである。」と明確である。しかし、ジャーナリストも人間であり、市民であり、職業人であり、それぞれに守るべき倫理がある。ここに悩ましさやジレンマがある。アメリカの日刊紙は1910年に2200まで膨れ上がった。ラジオが登場し、テレビが登場し、その度に新聞は古いメディアと思われ、悲観論が溢れた。そしてネットの出現だ。紙の新聞の発行部数は減少しているが、オンライン版を含めた読者総数は多くの新聞で増加している。ニューヨークタイムズの元編集長の口癖が「何より大事なことは良いニュースを書くことだ!」だった。
感想:新聞が生き残る一つの方法は、市民に買収されることだという。確かに、沖縄には、沖縄タイムズと琉球新報があり、それぞれが切磋琢磨しながら市民による市民のための市民の新聞として活動していたように感じる。

まとめ

新聞業界のジレンマはその存在意義であるべきだ。そのためには誰のための新聞かを明確にする必要があるだろう。ターゲットが明確になれば、生き残り戦略も明確になる。新聞各社のジレンマは、マネタイズの問題だと思う。広告収入が減少し、購読者が減少する中でどのようにして生き残るのかが経営課題だと思う。しかし、ネットの技術を活用すれば、コストの低減は可能だ。問題は高給を当然と考えている新聞記者の処遇なのかもしれない。YouTuberは熾烈な競争社会でピラミッドの頂点にいる人は大いに稼いでいる。新聞の記者もやはり能力主義、実績主義にならざるを得ないだろう。そして、ジャーナリストの喜びを感じて仕事をするのであれば、新聞業界の記者としての本業では大して稼げなくても、副業で稼ぐという構図になって行くのではないだろうかと思う。一方、新聞各社の経営は厳しい。資本の論理で言えば、情報検索や情報ポータルを運営するネット企業が新聞各社の大口株主として、経営支援する可能性が考えられる。特に米国ではありそうだけど、日本でもそのような業界再編はあり得るのだろうか。

(出典:job-q

以上

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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