お金の起源を考える。シェルマネーは通貨の原型。将来は債務貨幣ではなく公共貨幣になるのだろうか。

はじめに

先日、公共貨幣のシンポジウムに参加した。現在の貨幣は債務貨幣なので、利息を伴う。そうではなくて政府が発行する貨幣としての公共貨幣を実現することができれば、現在のお金に関わる諸問題が解決できるという壮大なものだ。講演者はNPO法人日本未来研究センター理事長の山口薫氏で、興味深い考え方だ。将来のお金について考えるために、お金の歴史や起源を紐解いてみたい。また、そもそもお金とは、お金の起源とは、疑問が沸き起こる(笑)。
出典:公共貨幣 | 東洋経済STORE

通貨と貨幣

お金には通貨と貨幣がある。硬貨とは100円玉や500円玉のコインだ。貨幣とは1万円札や5千円札などの紙幣だ。通貨を発行するのは政府であり、貨幣を発行するのは日本銀行だ。実は通貨は公共貨幣で、貨幣は債務貨幣だ。つまり、貨幣は日本銀行が国債と交換する形で発行している。しかし、通貨は単に大蔵省が必要な数量を発行している。山口教授は、大蔵省が発行するのは現状では通貨のみだが、これに仮想通貨を含めると再定義すればいいだけだと提案する。仮想通貨に関しては「これからの仮想通貨の可能性」でまとめたが、今では仮想通貨と呼ばずに暗号資産と呼んでいる。

貝貨(Shell Money)

「貝貨(ばいか)」と言う言葉をご存知でしょうか?その名の通り貝でつくった通貨だ。紀元前15世紀の頃の殷の時代には、貝殻を貨幣として利用していた。お金に関する漢字の多くには貝が使われている。例えば、売買の買。財産の財、貿易の貿、資金の資、貯蓄の貯など快挙にいとまがないのは、その名残だ。見事に貝の字が組み込まれている。また、これは個人的な想像だけど、貝塚は別に食べ残った貝の捨て場ではなく、海外で珍重される貝貨を加工するための製造拠点のような存在だったのではないだろうか。

出典:History of Chinese currency – Wikipedia

黄色宝貝(Cypraea Tigris)

貝貨に利用されたのは宝貝だ。特に重用されたのが黄色宝貝(きいろたからがい)だ。インドや中国ではこの黄色宝貝が使われているが、その産地は西太平洋、下の図の赤い部分のようだ。そして、中国の古典書「倭人貢鬯草」には、当時の日本(倭人)が周王朝に宝貝を寄贈したという記録が残っているという。当時から日本と中国は盛んに交流があったのだろう。

出典:Ancient Jomon Period of JAPAN: Sea of Jomon

貝貨のイメージ

なぜ宝貝が重用されたのだろう。中国では産出しないために希少性があったのかもしれないが、それに加えて軽く、綺麗で、加工もし易いといった長所があったのかもしれない。縄で貝を結ぶと下の写真のようなイメージになる。確かに江戸時代でも小銭を紐で結んで携帯しているシーンがある。しかし、中国に輸出していたはずの縄文時代の日本では貨幣として利用されていたという記録がない。これはなぜなのだろうか。

出典:http://www.antiques.com

宝貝を示す方言

日本においては、宝貝に希少性がないため、貨幣にはなりえなかった。しかし、綺麗なので、繁栄や富の象徴として、装飾具やお守りとして活用されていたようだ。宝貝の形から女性の性器を連想させるためだろうか。安産のお守りとして活用されていた。日本の各地には宝貝を示す方言が数多く残っている。例えば、千葉や愛媛ではコヤスガイ、千葉や神奈川ではネコガイ、三重ではチョコガイ、和歌山ではウマガイ、島根ではコメガイ、和歌山や香川ではクワズノカイ、熊本ではブタ、鹿児島ではモッコー、沖縄ではウシモモとかシビグァーなどと呼んでいる。さらに、フィージー諸島では、首長や部族長が自らのアイデンティティとして首から下げていたという。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/タカラガイ

縄文時代のミステリー

中国では通貨として活用されたシェルマネー(貝貨)だが、日本国内では装飾やお守りとして活用された。なぜ、縄文時代の日本では貨幣として流通しなかったのか。一般には、貨幣のなかった縄文時代は未発達な社会のように考えられている。でも、本当にそうだろうか。今でも、田舎に行くと、地元で採れた野菜だからとお裾分けが始まる。Give and Takeではなく、Give and Giveのようなおすそ分けの文化。卵がいっぱい採れたり、魚が採れたら近所の人にお裾分けをする。今も田舎に行くとそのような文化が残っているところもあるが、縄文時代はそんなほのぼのとした社会だったのではないだろうか。
出典:https://www.watch.impress.co.jp/owlly/articles/1100070.html

債務貨幣と公共貨幣

人類学者のデイビッドグレーバー(David Rolfe Graeber)は著書負債論において、貨幣とは「平和な時代には信用貨幣が中心となり、暴力が渦巻く時代には地金が優勢になる。」という原則を述べている。つまり、平和な時代には信用貨幣が使われる。しかし、戦国時代のように平和を維持できない時代には信用通貨は通用しないので、地金がつかわれるという指摘だ。金の価値が下がる時代は平和で、高騰するときは危険ということか。1万年以上も続いた縄文の時代の土器や貝塚は大量に発見されるが、人と人が殺しあう武器は発見されていない。縄文時代ががほのぼのとした平和な社会だったとすれば、貨幣なんてものはいらなかったのかもしれない。
出典:https://namahage-blockchain-blog.net/2018/12/15/fusairon4/

債務貨幣の始まり

現在主流の債務貨幣が始まったのはいつからだろう。少なくとも日本では、1882年に日本銀行が設立してからだろう。江戸時代には両替商が金融機関としての役割を果たしていた。両替商は手数料は取っていたが、金利は取っていないので、江戸時代は公共貨幣の時代だったと言えるのかもしれない。そもそもユダヤ教でも、キリスト教でも金利を取ることは禁じられていた。しかし、ユダヤ教では同じユダヤ教の教徒間での金利を禁じていただけなのでキリスト教徒などからは金利を取り始めて、金融業界を牛耳るようになったのか。

債務貨幣の弊害

山口薫理事長は、現在の債務貨幣システムの欠点を下の表に示している。インフレやバブルが発生するのは現在の経済問題の課題だが、その原因は債務貨幣を使っているためだという。確かに、インフレになると銀行は金余りになり、融資を積極的に行うが、不況になると融資の引き上げを行う。いわゆる貸し剝がしだ。銀行の貸出金利が低下してもそれに頼らないのは、過去の貸し剝がしからの教訓だ。また、資本家と労働者の所得の格差もこの債務貨幣システムに原因があると指摘する。しかし、これを公共貨幣システムにすることは簡単ではないだろう。まず、既得権益を有するエスタブリッシュメントがこれを許容しないだろう。どうすればよいのだろう。

出典:http://themeeho.com/id-3/id-3/id-2/id/id-3.html

まとめ

公共貨幣システムという概念や提案は面白いと思う。しかし、現在の債務貨幣システムからどのようにソフトランディングするのか。また、多様なステークホルダーの理解と協力が得られるのかも課題だろう。しかし、不況になったら公共投資をするとか、金利を低下するといった過去の政策では対応に限界があるのも事実だ。地域通貨を対象にしたベーシックインカムも興味深いが、ベーシックインカムのような再配分を公共貨幣で実施するというアイデアはあるのかもしれない。まだまだ、課題は多そうだ。

以上

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