バルト三国はそれぞれ歴史と文化があり、民族も言語も国民性も異なる。大人も子供も目が輝いていた。

はじめに

前回、知人がリトアニアに旅行すると投稿した。せっかくなので、バルト三国のエストニア、ラトヴィア、リトアニアを訪問した時の印象や比較したいと思った。基本的事項のレビューから始め、経済的側面などに広げて比較していきたい。

基本的事項

それぞれの国の人口で見るとリトアニア>ラトヴィア>エストニアの順である。それぞれ共和制である。エストニアは15の県、ラトヴィアは110の基礎自治体と9の直轄市、リトアニアは10の群に区分されている。広島県が人口280万人ほどなので、リトアニアとほぼ同じか。また、ならけんが133万人なので、エストニアと同じぐらいだ。

経済的側面

人口密度では、リトアニア>ラトヴィア>エストニアの順だ。GDP(MER)でも同じだ。しかし、一人当たりのGDP(PPP)ではエストニア>リトアニア>ラトヴィアの順となっている。エストニアはIT立国を目指していて、リトアニアはバイオテクノロジーやメカトロニクス、IT産業に期待されている。ラトヴィアはソ連時代から重工業が盛んだったが、現在は木材加工や金属産業にシフトしている。

経済自由度・世界遺産・民族別人口比率等

各国ともに首都の旧市街は歴史地区として世界遺産に指定されており、観光業に期待がかかっている。注目すべきは、民族の比率だ。エストニアとラトヴィアはロシア人が4分の1ほどを占めるが、リトアニアでは自国民が8割を超え、ついでポーランド人だ。これは地政学的な経緯によるものだ。(出典:Economic Freedom)

生活への満足度・平均寿命

生活への満足度は、エストニア>ラトヴィア>リトアニアの順だった。平均寿命もエストニアが高い。本当は年齢別人口比率等で比較するとその国の実態がわかるような気がする。個人的にはエストニアは若い世代が多い印象を受けたが、平均年齢を調べると、若い順でラトヴィア>エストニア>リトアニアだった。
参考1:https://ja.wikipedia.org/wiki/Where-to-be-born指数、一位はスイス(8.22)、日本は25位(7.08)
参考2:https://ja.wikipedia.org/wiki/国の平均寿命順リスト、一位は日本の84歳(2013年)
参考3:http://top10.sakura.ne.jp/WHO-WHS9-88.html、一位は日本の45.9歳

個人的印象

これまでいくつかの都市を回ったが、それぞれの印象は表上の通り。エストニアは住むのも、働くのも、遊ぶのも快適だし、施設も充実している。街が何より清潔だ。個人的にはカウナスが古都の京都・奈良を連想させて好きだ。どの国も治安は安定していて、また争いを好まない印象が強い。また、長く周辺国の支配を受けていたためか、忍耐強い。支配から解放された喜びと、自国を発展・発達させるためにどうすればいいかを若い人たちが真剣に考えている印象を受けた。市街の電線の地中化は進んでいるが、なぜかトロリーバスは市内を駆け巡っている。トロリーバスの電線がなくなれば、市内の景観はもっと素晴らしくなるのにと残念に思った。どの国も、どの都市も文化遺産を大切にしていて、あちこちで古いビルの補修や改修、道路の整備が進んでいる。これからの経済的発展に期待される。

まとめ

ウクライナがロシアの攻撃を受けて大変な状況になっている。リトアニアでは、ロシアから二度独立している。1回目は、1918年2月16日に宣言し、1920年7月20日に承認された。そして、2回目は、1990年3月11日に宣言し、1991年9月6日に承認された。リトアニアのヴィリニュスのゲディミナス城の4階にはリトアニアの独立に至る「人間の鎖」の写真やビデオを展示されている。これは、ViliniusからTallinnまでの600kmを約200万人の民衆を手をつないで独立をアピールした運動だ。そこには戦車に立ち向かう少女の写真も掲載されている。その少女を含めて、1990年3月11日にソ連は武力行使で14名の犠牲者を出して、血の日曜日事件と呼ばれている。しかし、独立に向けての国民の熱い心が結集し、翌年の1991年2月9日の国民投票で圧倒的多数が独立に賛成し、その後の平和的な独立につながった。平和とは勝ち取るものだということを平和になれた日本人も思い出す必要があるのかもしれないと思った。

以上

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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