はじめに
株式会社ユーザベースはNewsPicksやSPEEDAを提供するIT企業だ。同社が提供するSPEEDAの経済情報サービスは秀逸だ。MBAに通っていた時に、一時期利用させてもらった。そんなユーザベースが企画する自動運転に関するセミナーを拝聴した。非常に気づきの多い有益なセミナーだったと思う。今日はそんな自動運転について少しまとめてみたい。
CASE
CASEとは、コネクテッド(Connected)のC、自動運転(Autonomous)のA、シェアード&サービス(Shared & Services)のS、そして電気自動車(Electric)のEを組み合わせた造語だ。ダイムラーAG・CEOでメルセデス・ベンツの会長を務めるディエター・チェッチェ氏が提唱して広まった。下の図で言えば、左下は、個人で所有し、人が運転する現状だ。右下はシェアリングだ。これにより単価は35%減を見込める。左上は自動運転で、これにより55%のコスト削減が見込める。そして、この両者を組み合わせた右上ではなんと7割のコスト削減が見込める。これぞイノベーションだと思う。
自動運転を考える
自動運転が実現すると社会はどのように変化するのだろうか。多くのメリットがあると同時にマイナス面も出てくるだろう。メリットを最大化し、マイナス面を最小化するように社会インフラを再構築することも必要だろう。例えば、手動運転を前提にした速度制限では、例えば、場所によってはプラス10km/h程度は許容できるといった暗黙の了解や車の流れがある。制限速度よりも、周辺の車の流れに合わせることが大事な場合もあるけど、自動運転にそんな判断を求めるべきではない。下の図(左)のように自動運転専用のレーンを用意することや、下の図(右)のように条件付きで+10km/hを許容するといったルール整備が必要だろう。
(出典:自動運転LAB)
エレベータが変えた不動産の価値基準
これはセミナーの中で発言されたことだけど、昔エレベータのない時代には上の階に登るのが大変なので、下のフロアより上のフロアの方が家賃が安いことがあったらしい。昭和の話だろう。しかし、現在は、高層マンションではエレベータで上下の移動が簡単なので、高層の方が展望が良いなどの理由で不動産価値が高い。最上階のペントハウスなど手が届かないような値段だったりする。同じようなことが、水平の移動でも起きるという。
(出典:open house)
水平移動が与える不動産の価値基準
横の移動が大変な時代は、都心に近いほど、駅に近いほど交通の便が良いとして不動産の価値が高い。しかし、自動運転が普及し、自由に横に移動できるような社会になると、生活のしやすさとか、環境の良さとか、新たな価値体系が出来上がる可能性がある。
(出典:suumo)
ユースケースに基づく価値観
車で移動するには、運転免許証を持っている人が運転する必要があったが、自動運転ではそのような運転手は不要となる。タクシーにもバスにも、個人の車にも運転手がいないとどのようなユースケースが発生するのだろう。
想定1:移動時間を有効に活用する一人空間
移動のための手段だけど、移動時間中も自由に使える時間となる。ゆっくりとコーヒーでも飲んで、好きな音楽を聴いてリラックスしても良い。居眠りしても良い。カラオケセットを持ち込んで熱唱しても良い。
想定2:複数の人間でシェアする空間
いわゆる自動運転バスだろう。同じ目的を有する人たちが乗合、同じ空間をシェアする。数人のバスもあれば、数十人のバスもあるだろう。隊列走行させればさらに大勢の人を効率的に移動することが可能だろう。
想定3:複数の交通手段を橋渡しする空間
鉄道や地下鉄は大量輸送を効率的に担えるので、そのような駅で乗り換える機能に加えて、シェアードサイクルや電動カートなどに乗り換えて、よりパーソナルな移動手段と連結する機能も考えられるだろう。「モビリティの多様化と将来の可能性」でも紹介したように、海外では多様な年齢層で利用できる電動キックボードなども普及しつつある。徒歩やジョギングなどを含めて、複数の交通手段を自由に組み合わせて移動する社会は面白いと思う。
(出典:GAZOO)
大事なことは人を運ぶことではなく人の心を繋ぐこと
人がある場所から別の場所に移動したい場合に、自動運転車があれば、自由により柔軟に移動することが可能となるだろう。技術屋の目線からだとそれをより効率的に安全に低コストで実現するにはと考えてします。しかし、大事なことはなぜその人が移動したいと考えるのかという人の心を考えることだ。誰かに会いに行きたいのかもしれない。病院に行く必要があるのかもしれない。旅行に行きたいのかもしれない。リラックスしたいのかもしれない。ゴルフに行きたいのかもしれない。単に見栄を張りたいのかもしれない。利用する人の気持ちがわかれば、どのような価値や機能を実現すべきかも見えてくるだろう。利用用途に応じて、車内の雰囲気を変化させるようなことも求められるかもしれない。移動速度が求められる場合もあるし、快適性を求められる場合もあるし、到着時刻の正確性を求められる場合もあるだろう。通信の世界では、5Gの機能を用いて、さまざまなユースケースに柔軟に対応するスライシングという機能を研究しているが、モビリティの世界でもどうすれば多様なニーズや想いに寄り添えるのかを検討することが大事なのかもしれない。
(出典:design stories)
都市計画と自動運転
自動運転車があれば十分かと言えばそうではない。例えば、道路の交通を制御する信号機も賢くなる必要がある。例えば自動運転者が100%の世界であれば、現状のような信号機は不要かもしれない。もしくは、全ての自動車の現在地と目的地がわかれば、スーパーコンピュータを活用して、最適な流れとなるような信号機を制御すべきかもしれない。歩行者がいないのに歩行者信号を青にするようなことは不要だし、歩く速度の遅いお年寄りや幼児には優しくゆっくりと渡らせてあげたいと思う。
(出典:名古屋都市センター)
まとめ
自動運転の車両と手動運転の車両が混在する過渡期が難しいと言われる。その通りかもしれないけど、究極の世界をまずはイメージしないと、過渡期を設計できないと思う。仮に2050年に自動運転の車両のみが走行しているとした場合に、自転車やバイク、電動カート、電動キックボードなどがどのように社会インフラに組み込まれているのかも考えておく必要があるのではないだろうか。「空飛ぶクルマが現実になるか」と以前投稿したけど、2050年には空の移動ももっと自由に手軽になっているかもしれない。「リニア中央新幹線は完遂できるのか」と以前投稿したけど、環境破壊が懸念され、健康面への影響なども未知数なリニアに莫大な費用をかけるよりは、少子高齢化社会に寄り添い、人に優しく、夢のあるモビリティの世界を創造した方が有益なのではないかと思う。
以上
最後まで読んで頂きありがとうございました。
拝