キルギスで驚いたことトップ20 ~現地ガイドから学んだ歴史・文化・暮らし~

はじめに

キリギスの首都ビシュケクでは、土日を過ごすことができた。このため、朝からガイドさん付きの観光を行った。ガイドさんは、大学の1年生(19歳)と若いけど、非常に優秀でした。英語での解説でしたが、さすがにヒアリング力に不安があったので、書き取りアプリ「notta」で録音したものを聞き返し、その中でも特に印象的な20選を紹介したいと思います。現地ガイドによるウォーキングツアーでは、観光名所を巡るだけでなく、歴史や文化、政治、宗教、家族制度まで、現地の人ならではの話を聞くことができ、「中央アジアの小さな国」というイメージは大きく変わりました。

第1位 革命で本当に政権交代した国

最も驚いたのは、キルギスでは国民が二度の革命によって実際に政権を交代させたことです。2005年のチューリップ革命、そして2010年革命では、大統領が国外へ逃亡しました。さらに2020年にも大規模な抗議運動が起きています。ガイドさんは、「悪い政治なら国民が変える。それが民主主義です。」と誇らしそうに話していました。日本では経験したことのない政治文化だけに、とても印象に残りました。確かに調べると次のように2回の革命が実施されていました。

チューリップ革命(2005年)

・時期: 2005年2月〜3月
・対象: アスカル・アカエフ大統領
・原因: 2月の国会選挙における不正疑惑と、長期間続く強権政治・親族(ファミリー)優遇に対する不満
・結果: 首都などで抗議デモが激化し、アカエフ大統領は国外へ脱出して辞任。クルマンベク・バキエフが新政権を樹立

4月革命 / キルギス革命(2010年)

時期: 2010年4月6日〜7日
対象: クルマンベク・バキエフ大統領
・原因: 前回の革命で実権を握ったバキエフ政権も同様に独裁化し、縁故主義や汚職、公共料金の大幅値上げを強行したこと
・結果: 治安部隊との衝突で87人が死亡。バキエフ政権は崩壊して国外亡命し、ローザ・オトゥンバエヴァを首班とする暫定政権が発足。4月7日は「人民四月革命記念日」として祝日に制定されている。

第2位 英雄マナスは今も国民の心の支え

ビシュケク中心部には巨大な英雄マナス像があります。 マナスは約1000年前に40部族を統一したと伝えられる伝説の英雄で、キルギス建国の象徴的な存在です。現在でも国民の精神的な支えとなっており、学校では50万行にも及ぶ世界最長級の『マナス叙事詩』を学びます。また、首都の国際空港は「マナス国際空港」、国立大学にも「マナス」の名が付けられるなど、その存在は現代社会のあらゆる場面に息づいています。ビシュケクの広場に立つ騎馬姿の巨大な像を目の当たりにすると、単なる歴史上の人物ではなく、「今も国を見守る英雄」として人々に敬愛されていることが伝わってきます。日本では1000年以上前の人物がこれほど国民共通のアイデンティティーとなっている例は少なく、その存在感の大きさに驚かされました。

第3位 遊牧民の歴史が詰まった国旗

キルギスの国旗には、この国の歴史そのものが描かれています。 赤地は祖先たちが国を守るために流した血や勇気を象徴し、中央の太陽から放射状に伸びる40本の光は、英雄マナスがまとめ上げたとされる40部族を表しています。そして中央の格子模様は、遊牧民の伝統的な住居「ユルト」の天井部分(トゥンドゥク)を真上から見た姿です。トゥンドゥクは家族が集い、空へと開かれた大切な場所であり、家庭や民族の結束を象徴する存在でもあります。つまり、この国旗は単なるデザインではなく、「私たちは遊牧民の子孫であり、40部族が団結して築いた国である」というキルギス人の誇りとアイデンティティーを一枚の旗に込めたものなのです。
実際に街を歩くと、この国旗は官公庁だけでなく学校や公園、商店など至る所に掲げられており、多くの人々が自国の歴史や文化に強い誇りを持っていることが伝わってきました。

第4位 結婚は家族全体の一大イベント

キルギスでは結婚式が3日間続くこともあり、披露宴には200人以上が集まることも珍しくありません。 一般的には、1日目は新郎・新婦それぞれの家で親族が集まり、結婚の報告や祝いの食事、伝統的な儀式が行われます。2日目はホテルや宴会場で盛大な披露宴が開かれ、親族だけでなく友人や近所の人、仕事関係者まで200人以上が集まることもあります。歌や踊り、乾杯が繰り返され、新郎新婦を盛大に祝福します。3日目は両家の親族が改めて集まり、新婦を新しい家族として迎え入れる挨拶や食事会が行われ、家族同士の絆を深めます。
結婚するのは本人同士ですが、それを祝うのは家族や親族、そして地域社会全体です。遊牧民として厳しい自然の中で助け合いながら暮らしてきた歴史が、このような強い共同体意識を育んできたのでしょう。日本でもかつては「家と家の結婚」と言われ、親族や地域との結び付きが重視されていましたが、現在のキルギスには、その文化が今なお色濃く残っているように感じました。

第5位 末っ子が親の老後を支える

日本では「長男が家を継ぐ」という考え方が一般的でした。ところが、モンゴルやキルギス、カザフスタンなどの遊牧民文化圏では、その逆で「末っ子の息子が家を継ぐ」のが伝統です。 兄たちは結婚すると家畜を分けてもらって独立し、最後まで親元に残る末っ子が、両親の老後を支え、家やユルト(ゲル)、そして家族の伝統を受け継ぎます。キルギスでは、この考え方が今でも生活の中に根付いています。そのため、女性が結婚相手に「あなたは末っ子ですか?」と尋ねることもあるそうです。相手が末っ子なら、結婚後は夫の両親と同居し、家族を支える立場になる可能性が高いからです。

日本では核家族化が進み、「家を継ぐ」という意識は以前ほど強くありません。一方でキルギスでは、家族は世代を超えて支え合う共同体という考え方が今も生きています。遠い異国の話でありながら、どこか昭和の日本を思い出させるような懐かしさを感じたのが印象的でした。

第6位 レーニン像を歴史として残す国

独立後、多くの旧ソ連諸国ではレーニン像が撤去されました。しかしキルギスでは壊さず保存しています。もともとは現在のアラトゥー広場(旧レーニン広場)の中央に建っていましたが、2003年に英雄マナス像が設置された際、国立歴史博物館の裏手へ移設されました。興味深いのは、撤去せずに保存していることです。

現地ガイドによると、レーニン時代には学校が建てられ、教育が普及したという評価があります。一方で、多くの知識人を粛清したスターリン像は残されていません。歴史を消すのではなく、良い面も悪い面も含めて後世に伝える――そんなキルギスの姿勢が、このレーニン像から伝わってきました。

第7位 モスクワは「キルギス第8州」

仕事を求め、多くの中央アジアの人々がロシアへ渡っています。 キルギスだけでなく、ウズベキスタンやタジキスタンでも、ロシアで働き家族へ仕送りを送ることは、ごく普通の暮らしの一部です。キルギスでは現在も約100万人がロシアで生活しているといわれ、「モスクワはキルギス第8州」という冗談まであるそうです。

この背景には、旧ソ連時代から続く歴史があります。ロシア語は今でも広く使われ、多くの人にとってロシアは「外国」でありながら、どこか身近な存在でもあります。実際に旅をしてみると、街中の看板や日常会話でもロシア語を耳にする機会が多く、独立から30年以上が経った今でも、中央アジアとロシアとの深い結び付きを実感しました。

第8位 遊牧文化が今も生活の中に残る

ユルト(遊牧民の移動式住居)、クムス(馬乳を発酵させた伝統飲料)、クルト(乾燥チーズの保存食)、そして馬を使った騎馬競技。 これらは、遊牧民として暮らしてきた人々の知恵から生まれた文化です。広大な草原を移動しながら生活するため、短時間で組み立て・解体できるユルト、長期保存ができるクルト、栄養価が高く保存にも適したクムスなど、すべてが厳しい自然環境の中で培われた生活の知恵でした。

驚いたのは、それらが決して博物館の展示品ではないことです。夏になると実際にユルトで生活する人がいて、市場ではクルトやクムスが普通に売られ、祭りでは騎馬競技が行われています。観光客向けに再現された文化ではなく、人々の日常生活の中に自然と溶け込んでいるのです。

日本でも和食や祭り、伝統工芸などが受け継がれていますが、生活様式そのものがここまで昔と連続している例は多くありません。キルギスでは、遊牧民文化を「保存」しているのではなく、「今も暮らしの一部として生きている」ことを肌で感じました。それは、1000年以上続く伝統が、現代社会の中でも無理なく受け継がれていることの証であり、この国の大きな魅力だと感じました。

第9位 自然信仰とイスラム教が共存する文化

現在のキルギス人の多くはイスラム教徒ですが、イスラム教が広まる以前には、空や太陽、山、川、木々など、大自然そのものに神聖さを見いだす自然信仰(テングリ信仰)が根付いていました。 遊牧民は広大な草原や天山山脈を移動しながら暮らしていたため、天候や自然は生活そのものであり、ときには命を左右する存在でもありました。そのため、人間が自然を支配するのではなく、自然に感謝し、畏敬の念を抱きながら共に生きるという価値観が育まれたのです。

13世紀以降、この地域にはイスラム教が広く浸透し、現在では国民の大多数がイスラム教徒となっています。しかし、それ以前から受け継がれてきた自然への敬意は完全に失われたわけではありません。山を神聖な場所として大切にしたり、旅の安全を祈ったり、自然の恵みに感謝したりする考え方には、遊牧民時代の精神文化が今も息づいています。

実際に天山山脈を眺めていると、人々が山々に特別な思いを抱く理由が少し分かる気がしました。その感覚は、日本で山や巨木、岩や滝を神聖なものとして敬ってきた神道の自然観と、どこか共通するものを感じさせます。「自然と共に生きる」という価値観には、遠く離れた日本との意外な共通点があるように思いました。

第10位 地下鉄よりバスを選んだ都市づくり

人口約120万人の首都ビシュケクには、意外なことに地下鉄がありません。 中央アジアの首都と聞くと地下鉄がありそうなイメージですが、実際には市民の足はバスです。以前は「マルシュルートカ」と呼ばれる小型の乗り合いバスが主役でした。下の写真は、私がカラコルからビシュケクへ移動した際に利用した乗合バスです。こちらは現金払いで、地元の人たちに混じって乗るだけでもちょっとした異文化体験でした。

ところが、市内に入ると印象は一変します。緑色の新しい大型バスが次々とやって来て、しかもクレジットカードのタッチ決済に対応しています。運賃は日本円で数十円程度。それでいて車内は清潔で、運行本数も多く、「地下鉄がないから不便」という先入観はあっさり覆されました。さらに観光客にはYandex Goが大活躍です。日本でいうUberのような配車アプリで、目的地を入力すれば料金が事前に表示され、市内なら数百円程度で移動できます。私も滞在中は何度も利用しましたが、配車は驚くほど早く、ドライバーとの料金交渉も不要。海外旅行でありがちなタクシーの不安を感じることはほとんどありませんでした。

ガイドさんが誇らしげに話していたのは、「キルギスは地下鉄を造らないことを選んだ」ということです。人口規模を考えれば、莫大な建設費や維持費がかかる地下鉄よりも、バス路線を充実させる方が合理的だという判断です。派手なインフラを造るのではなく、身の丈に合った交通網を整備する。 そんな現実的な政策が、市民の暮らしをしっかり支えていることに感心しました。

11. ベシュバルマクは「五本の指」という意味

キルギスを代表する伝統料理が「ベシュバルマク(Beshbarmak)」です。 「ベシュ」は「5」、「バルマク」は「指」を意味し、昔はスプーンやフォークを使わず、五本の指で食べていたことから、この名前が付けられました。遊牧生活では、広い草原を移動しながら暮らすため、食事もシンプルで実用的なものが求められました。茹でた馬肉や羊肉を平打ち麺の上にのせ、肉のだしをかけて食べるベシュバルマクは、まさに遊牧民の知恵から生まれた料理です。

実際にビシュケクへ到着した日の夕食で、このキルギスを代表する料理をいただきました。お店では麺の幅や量、肉の種類や量まで細かく指定できるようになっており、私は麺も肉も控えめのものを注文しました。それでも日本人には十分すぎるほどのボリュームで、お腹いっぱいになりました。麺は日本のきしめんや山梨の「ほうとう」を少し細くしたような食感で、肉の旨味がしっかり染み込んだ素朴な味わいです。

一緒に注文したのは、中央アジアで広く親しまれている蒸し餃子「マンティ」。こちらも羊肉を使うことが多く、肉汁たっぷりで食べ応えがあります。どちらの料理も派手さはありませんが、厳しい自然の中で暮らしてきた遊牧民の食文化を感じさせる一皿でした。「五本の指で食べる料理」という名前が、1000年以上の時を経た今でもそのまま残り、人々の日常の食卓に並んでいます。料理そのものだけでなく、その名前の中にも遊牧民の暮らしや歴史が息づいていることが、とても印象的でした。

12. 馬肉は特別な日のごちそう

日本でも熊本などでは馬肉を食べますが、キルギスではさらに身近な存在です。今回は、食する機会はなかったけど、結婚式やお祝いの日、大切なお客様を迎える時などに食べる特別な料理です。遊牧民にとって馬は移動手段であり、家族の財産でもあります。だからこそ、その馬肉は「最高のおもてなし」の意味を持っているのでしょう。

13. 第二次世界大戦は今も大切な記憶

下の写真は、第二次世界大戦の記憶を伝える記念碑です。ビシュケク市内には、第二次世界大戦を記念するモニュメントがあります。ガイドさんによると、当時キルギスはソ連の一部だったため、多くの男性が戦地へ送られました。その間、女性たちは農作業や家事を担い、家族を守りながら終戦を待ち続けたそうです。この記念碑は、戦争で犠牲になった人々を追悼するとともに、困難な時代を支え合って生き抜いた人々への敬意を表しています。日本では終戦記念日は静かに過ごすことが多いですが、キルギスでは今も戦争の記憶を大切に受け継いでおり、毎年5月9日の戦勝記念日には多くの市民がここを訪れ、犠牲者に祈りを捧げるそうです。

14. キルギス語とロシア語の二つが公用語

キルギス共和国の公用語は、キルギス語とロシア語の2つです。キルギス語はテュルク語族に属する国語で、独立後は民族のアイデンティティーを守るため、学校教育や行政で積極的に使われるようになりました。一方、ロシア語はソ連時代から受け継がれた言語で、現在もビジネスや行政、都市部での日常会話など幅広い場面で使われています。特に首都ビシュケクでは、ロシア語だけで生活できるほど普及しています。現地ガイドによると、独立直後は都市部ではロシア語しか話せない若者、地方ではキルギス語しか話せない若者も多く、同じキルギス人同士なのに会話ができないこともあったそうです。そこで政府は言語政策を見直し、現在ではキルギス語教育を強化しています。政府機関で働くにはキルギス語能力が必要とされ、高校卒業時には一定レベル以上のキルギス語能力が求められるようになりました。その結果、現在では多くの若い世代がキルギス語とロシア語の両方を話せるようになり、2つの言語が共存する社会が築かれています。

15. カザフスタンは兄弟、タジキスタンとは国境問題

現地ガイドさんが印象的なことを話してくれました。「私たちにとって、カザフ人は兄弟です。」キルギス人とカザフ人は、ともにテュルク系民族で、言葉や文化、食文化、遊牧民の伝統など、多くの共通点があります。ガイドさんによると、お互いにゆっくり話せば会話が通じることも多く、「外国人」というより「親戚」のような感覚なのだそうです。

一方で、タジキスタンとの関係は少し異なります。両国の国境地帯では境界線が複雑に入り組んでおり、住民同士が土地や水資源を巡って対立することがあります。2021年には国境付近で武力衝突が発生し、多くの住民が避難を余儀なくされました。ガイドさんも、この話題になると少し表情を引き締めて説明していたのが印象に残っています。

「中央アジア」とひとくくりに考えがちですが、実際に現地で話を聞くと、それぞれの国との関係性や歴史的な背景は大きく異なることが分かりました。ビシュケクからカザフスタンのアルマティには陸路のバスで移動できます。今回、このアルマティに行けなかったのはちょっと残念。中央アジアの複雑な歴史と民族のつながりを学ぶことができたエピソードでした。

16. 世界最長級の『マナス叙事詩』

キルギス最大の文化遺産といわれるのが、『マナス叙事詩』です。主人公は、40の部族を統一した伝説の英雄マナス。その活躍だけでなく、子や孫の世代まで続く壮大な物語で、全体では50万行以上に及ぶとされ、世界最長級の英雄叙事詩として知られています。

驚くべきことに、この物語は長い間、本ではなく口承によって受け継がれてきました。その語り部は「マナスチ(Manaschi)」と呼ばれ、何時間、時には何日にもわたって物語を暗唱し、次の世代へ伝えてきたそうです。私も実際にその語りを聞きましたが、日本人の私には詩吟を聞いているような印象を受けました。抑揚のある力強い語りは、単なる朗読ではなく、歌と物語が一体となったような迫力があります。

ガイドさんによれば、キルギスでは子どもの頃から学校でマナスを学び、多くの人が今でも一節を暗唱できるそうです。ネットでは、「キルギス人はヤキプという祖先から始まり、二人の兄弟がいて、一人は山へ行きキルギス人の祖先に、もう一人は海へ行き日本人の祖先になった」という解釈もありますが、これは一般的な話としては確認されていません。『マナス叙事詩』は、博物館に飾られた歴史ではなく、今も国民の心の中に生き続けている文化遺産なのです。

https://www.youtube.com/watch?v=vOu_uS3lhls

17.花嫁を追いかける伝統騎馬競技「クズ・クーマイ」

ガイドさんが最後に紹介してくれたのが、キルギスの伝統的な騎馬競技です。ルールはとてもユニークです。まず女性が馬に乗って逃げ、男性が追いかけます。男性が追いついて馬上でキスができれば男性の勝ち。追いつけなかった場合は折り返し、今度は女性が男性をムチで追いかけます。女性がムチを当てれば女性の勝ちです。ガイドさんによると、昔はこの競技が結婚相手を選ぶ風習と結び付いていたとも言われています。女性が男性に好意を持っていれば少し速度を緩め、逆に好意がなければ本気で逃げたそうです。もちろん、これはあくまで昔の伝承や風習として語られているもので、現在の結婚は恋愛や本人同士の合意によるものが一般的です。また、キルギスにはかつて「花嫁略奪(アラ・カチュー)」と呼ばれる風習が一部地域に存在しました。しかし現在では本人の意思に反する連れ去りは犯罪であり、政府も取り締まりを強化しています。この騎馬競技は、遊牧民文化を感じられる伝統として今もイベントなどで披露されていますが、現代の結婚観とは区別して理解することが大切だと感じました。

(出典:キルギス無形文化遺産アーカイブ)

18. 馬・ワシ・ユキヒョウは国を象徴する動物

ガイドさんによると、キルギス人にとって特別な動物は馬、ワシ、ユキヒョウの三つだそうです。

まず馬は、遊牧民にとって単なる家畜ではありません。移動手段であり、戦いの相棒であり、家族の財産でもありました。現在でも競馬や伝統騎馬競技は人気が高く、馬乳を発酵させた伝統飲料「クムス」が飲まれるなど、馬は人々の暮らしに深く根付いています。

次にワシです。キルギスでは古くからイヌワシを使った狩猟が行われてきました。訓練されたワシは、キツネやウサギなどを捕らえる頼もしい狩猟の相棒であり、その姿は勇気や誇りの象徴でもあります。現在でも伝統文化として受け継がれ、祭りや実演でその迫力ある姿を見ることができます。

そしてユキヒョウ。天山山脈の険しい高地に生息する希少な大型ネコ科動物で、「山の王者」とも呼ばれています。その力強さと美しさから、キルギスでは自然の象徴として大切にされ、保護活動も進められています。

馬は人々の暮らしを支え、ワシは狩猟を支え、ユキヒョウは雄大な自然を象徴する存在です。私はこの話を聞いて、日本の鷹匠を思い浮かべました。人と猛禽類が信頼関係を築き、一緒に狩りをする姿は、日本の伝統文化にも通じるものがあります。ただし、キルギスではより大型のイヌワシを使うため、その迫力は想像以上です。現在でも祭りや実演、などで、その伝統を見ることができます。


(出展:World Nomad Games)

19. 女性英雄クルマンジャン・ダトカ

キルギスの歴史を語るうえで欠かせない女性が、クルマンジャン・ダトカです。

19世紀に南キルギス・アライ地方を率いた女性指導者で、「アライの女王」とも呼ばれています。夫の死後、部族の指導者となった彼女は、男性が中心だった時代にもかかわらず、人々の信頼を集め、民族をまとめ上げました。

当時、ロシア帝国が中央アジアへ勢力を拡大していました。武力で徹底抗戦すれば多くの命が失われることを理解していた彼女は、苦渋の決断としてロシアとの和平を選びます。その判断によって、多くの人々の命と遊牧民の暮らしを守った人物として、現在でも深く尊敬されています。

ガイドさんは、「キルギス人なら誰でも知っている歴史上の人物です」と誇らしげに話していました。現在でも彼女の肖像は紙幣や切手に描かれ、各地に銅像が建てられています。首都ビシュケクの通りにもその名が残り、学校の教科書でも学ぶなど、今なお国民的英雄として親しまれています。

私はこの話を聞いて、日本の卑弥呼や北条政子のように、激動の時代に国や人々を導いた女性の存在を思い浮かべました。国は違っても、優れた指導者は時代を超えて人々の記憶に残るものなのだと感じました。

20. 遊牧文化は博物館ではなく、今も暮らしの中にある

キルギス最大の魅力は、遊牧文化が博物館の中に保存された「過去の歴史」ではなく、今も人々の暮らしに自然に息づいていることです。夏になると、家畜とともに高原の放牧地「ジャイロー」へ移り、伝統的な移動式住居であるユルトで生活する人々がいます。ユルトは観光客向けの展示物ではなく、短時間で組み立てや解体ができ、寒暖差の大きい山岳地帯にも適した実用的な住まいです。

市場やスーパーでは、雌馬の乳を発酵させた伝統飲料クムスや、乳製品を乾燥させた保存食クルトが普通に並んでいます。いずれも、冷蔵庫のない時代に乳を無駄なく利用し、持ち運べる形で保存するために生まれた、遊牧民の知恵が詰まった食品です。馬もまた、単なる観光資源ではありません。移動や放牧を支えてきた大切な相棒であり、今も祭りや伝統競技の中心的な存在です。

ワールド・ノマド・ゲームズでは、騎馬競技のコク・ボルやクズ・クーマイ、羊の骨を使った遊びなどが競技として行われ、国内外の選手と観客を集めます。興味深いのは、キルギスの人々が伝統文化を懐かしい昔話としてではなく、自分たちのアイデンティティーとして誇りを持って受け継いでいることです。ビシュケクではスマートフォンや配車アプリが当たり前に使われる一方、山へ行けばユルトや馬のある暮らしが続いています。近代的な都市生活と遊牧民の伝統が無理なく共存していることこそ、キルギス最大の魅力だと感じました。

まとめ

今回の旅では、ウズベキスタンのサマルカンドとキルギスのビシュケクで、それぞれ現地ガイドの案内を受けながら街を歩きました。サマルカンドでは壮大な建築やシルクロードの歴史に触れ、一方のビシュケクでは、キルギスの人々の暮らしに息づく歴史や文化、価値観について直接話を聞くことができました。ガイドブックだけでは分からないのは、人々が何を誇りに思い、何を大切にしているのかということです。

革命の歴史、家族制度、遊牧文化、言葉、宗教。それらは決して昔話ではなく、現在のキルギス人の暮らしや考え方につながっていました。遊牧民の伝統が今も生活の中に自然に残り、人々がそれを誇りとして受け継いでいる姿は、この国ならではの魅力だと感じます。中央アジアは、日本人にとってまだ遠い存在かもしれません。しかし実際に訪れてみると、人々は親切で誠実、どこか日本人と通じる感性を持っているようにも感じました。もちろん見た目はさまざまですが、「日本人です」と紹介されても違和感のない人も少なくありません。私には、女子プロゴルファーの小祝さくら選手を思わせるような顔立ちの人が多いという印象でした。

今回の旅を通じて、私は日本と中央アジアとのつながりについて、さらに興味を持つようになりました。言語の体系や文化・風習には共通点も見られ、「遠い昔に何らかの接点があったのではないか」と感じる場面も少なくありませんでした。ただし、それらは現時点では私自身の興味や仮説であり、今後さらに歴史や考古学、人類学などの知見を学びながら理解を深めていきたいと思っています。

そしていつの日か、シルクロードを舞台に、縄文人が世界へ広がり、その子孫が再び日本へ戻ってくる――そんな壮大な歴史ロマンを描いたSF小説を書いてみたい。そんな新しい夢も、この旅が与えてくれました。キルギスは、私にとって「また必ず訪れたい」と思える国になりました。

以上

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