MBAの名授業シリーズ:今日は米国の独立記念日だ。米倉教授のイノベーションの歴史を振り返る。

はじめに

MBAでの名授業シリーズを復活させたい。前回は、「アイリスオーヤマの大山健太郎会長に次の一手を提言する」という無茶な授業を報告したが、今回は崇拝する米倉誠一郎教授のイギリスで始まった産業革命からアメリカの発展までのイノベーションの変遷を振り返えるという2019年6月当時の授業だ。その中でfouth dayを知った。米国が英国の植民地から独立した1776年7月4日を独立記念日として祝うのが今日だ。日本のテレビはどのように報道するのか楽しみだ。

イギリスの発展とアメリカの独立

蒸気機関車の登場

世界で初めての蒸気機関車が制作されたのは1804年だ。1807年に旅客輸送を目的とした鉄道が開始したが、当時はまだ馬車だった。そして、1812年には、下の写真のサラマン号が開発され、鉄道を走るようになった。それでも1840年当時はまだイギリスの幹線のみを接続する程度だったが、1890年にはイギリスの国内には鉄道が張り巡らされるようになった。

出典:鉄道の歴史 – Wikiwand

アメリカの独立

アメリカはイギリスの植民地だった。イギリスから独立したのは1776年7月4日だ。今でも、Fouth of July (7月4日)といえば、米国らしい派手な祝日となる。フランス革命は、これよりも13年後の1789年だ。アメリカの独立に触発された側面もあるようだ。コロナ禍でも米国民を元気にするためにきっと盛大に祝うのだろう。

(出典:Poway)

アメリカの鉄道網

イギリスの成功体験をした人々はアメリカでも鉄道網を整備することで二匹目のドジョウを狙った。そして、実際に鉄道王と呼ばれるコーネリアス・ヴァンダービルト(1794年5月から1877年1月)は、大変な成功を勝ち取る。一隻のボートから身を起こし、鉄道王と呼ばれるまでにのし上がった。ニューヨーク・セントラル鉄道やニッケル・プレート鉄道を経営した。もし、彼が彼のビジネスを鉄道ではなく、運送業と考えていたら、アメリカの歴史は全く違ったものになったのではないかという。

出典:歴史上最も金持ちだった人物ベスト10 : Spookie’s

石油王

アメリカの石油王は誰だ?といえば間違いなくジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(1839年7月から1937年5月)だろう。スタンダード・オイル社を創業し、石油市場を独占し、石油業界を牛耳った。しかし、当時の石油の用途は何か?自動車はまだ普及していない。当時はランプの需要がメインだった。しかし、その用途が拡大し、自動車が本格的に普及するとともに、彼の資産はアメリカ人初の10億ドルを超えた。1937年に亡くなった時の遺産は14億ドルだったという。現在なら200倍近くなっている史上最大の富豪と言える。

出典:ジョン・ロックフェラー – Wikipedia

鉄鋼王

鉄鋼王といえばアンドリュー・カーネギー(1835年11月から1919年8月)だ。スコットランドの織機工の長男として生まれるが、織機の自動化の煽りで父親は職を失い、逃げるようにアメリカに移った。その後、織機工場の下働きから始まって、鉄道会社に移り、その後投資に成功して、自ら鉄鋼業を立ち上げる。学生時代にはカーネギーの本を良く読んだものだ。やはり成功する人は思想家なんだと感心したものだ。そして、最もカーネギーらしい名言は下のものだろう。カーネギーが設立したカーネギーホールや、カーネギーメロン大学は今もその価値を高めている。さすがだ。

出典:https://blogs.business.microsoft.com/ja-jp/2017/03/27/famousword19/

自動車王

自動車王といえば、やはりヘンリーフォード(1863年7月から1947年4月)だろう。フォードは、自動車を発明したわけではない。フォードの最大の功績は、自動車を購買する需要を作り出したことだ。どういうことかといえば、当時の最低日給が2.34ドルなのに、これを5ドルに引き上げたものだ。マスコミからは無謀な挑戦だと非難されたが、結果として、高給を得た従業員は、自分たちが作った自動車を喜んで購入して利用者となり、需要の起爆剤となった。そして、フォードの失敗は過去の成功に固執したことだろう。つまり、20世紀になり、アメリカが好景気に浮かれている時期にあっても、下の写真のようにT型フォードに黒以外の色を認めなかったことだろう。

出典:Henry Ford quote: Any customer can have a car painted any color that…

アルフレッドチャンドラー

崇拝する米倉教授が崇拝するのがアメリカの経営史学者であるアルフレッド・デュポン・チャンドラー(1918年9月から2007年5月)だ。ハーバード・ビジネス・スクールで米倉教授が若かりし学生の時に師事された。今、自分がMBAで米倉教授の薫陶を受けることができるのは本当に幸せだ。そんなチャンドラの名著は「The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business」だ。アダムスミスの国富論は有名だろう。この中で商品の価格は需要と供給によって、つまり市場によって決まる。これをアダムスミスは見えざる手(invisible hand)と読んだ。チャンドラのVisible handは、このアダムスミスの国富論に対抗したコンセプトだと、英語ではすぐわかる。しかし、日本語訳はなんだろう?と聞かれるがわからない。答えは、「経営者の時代」だった。つまり、市場のメカニズムで決まる時代から、経営者によって決まるというのがチャンドラの主張だ。そして、もう一つ有名な著書がStrategy and Structureだ。日本語は組織は戦略に従うだ。そして、米倉教授はこの図書が和訳された時に、メッセージを残されている。少しは恩師に恩返しができたらだろうかと言われる。

出典:アルフレッド・チャンドラー – Wikipedia

内部管理コストと外部取引コスト

チャンドラーは、この図書の中で、組織の大きさは、内部管理コストと外部取引コストの差分で決まるという。つまり、外部に頼らずに、内製しようとすると組織は肥大化していく。垂直統合や水平統合の時代において、外部ではなく、内部に人材を取り込むことが効果的だった。しかし、現在は、インターネットの革新に伴って外部取引コストが低下している。限界費用ゼロ社会とも言われるほどコストが低減している。当然、内製化するよりも、外部のリソースを活用する方が経済的なことが増える。結果として、内製化率が低下している。いわゆるファブレス企業などもその動きの一つかもしれない。

出典:取引コスト | Osamu Hasegawa Films

重要なコンセプト

ヘンリーフォードがT型フォードの大量生産のための工場を建設した。経営コンサルタントであるあなたがそれを視察した時に、ヘンリーに聞くべきことはどんなことだろう。あなたなら何を聞きますか?

規模の経済と損益分岐

米倉教授が指摘するのは、まず、この工場の損益分岐点となる生産量だという。現在の稼働台数が利益が出る損益分岐点を上回っているのかどうか。まだの場合には、いつ頃達成する見込みか。そんなことがまず聞くべきことの一つだという。

シェア

次に聞くべきがシェアだ。これは勇気の要ることだけど、フォードが製造するT型の自動車が市場に受け入れられるのかどうか。これは重要な質問だろう。

戦略

フォードは黒色のT型フォードに固執したためGMなどの他の自動車メーカーに市場を奪われてしまった。そして、その代表格がGMだ。廉価で入門タイプのシボレーをT型フォードの対抗製品として位置付け、それの上位となる車種を揃えていった。最後はキャデラックだ。トヨタでいえば、クラウンか。最近ならレクサスか。そんな商品ピラミッドを明確にした上で、各車種を事業部別の組織で統括した。そんな経営組織がGMの真骨頂だという。

企業の価値を高めるのは最後は人

企業経営の結果として得た利潤を元に自社株を購入することはファイナンスの観点から有効だ。しかし、米倉先生は馬鹿げた行為だと一刀両断だ。利潤を得たならそれを社員に還元すれば、社員は奮起する。周りから優秀な社員が集まる。自由な風土が自由な発想を築く。社員を大切にして、想いを高めて、自由な発想で社会の課題を解決する。そんな企業が魅力的でないはずがない。

まとめ

米倉教授が3時間かけて熱弁を振るわれたことを全て再現することはできない。米倉教授の授業の魅力の10分の1ぐらいは伝えられただろうか。イノベーションの歴史を振り返ることは手段であって目的ではない。目的は、過去に犯した失敗を二度と繰り返さないようにすることだ。しかし、これがなかなか難しい。難しくても、そのような意識を持って歴史を見ることで、少しずつでも未来に向けて前進することができる。そんなことを教わったように思う。

以上

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