日本の起源:沖縄とアイヌとインカを結ぶ縄算(キープ)が意味することはなんだろう。

はじめに

アイヌの人と沖縄の人がそれぞれの民謡を重ねると不思議なハーモニーがあった。基本的な文化が近いのだと思う。アイヌにも藁算があり、沖縄にも藁算が残っていた。同じような文化がインカにも残っていてキープ(Quipu)と呼ぶ。

沖縄の藁算(わらざん)

下の図は、沖縄県立博物館の子供向けに解説した博士カードを抜粋して、編集したものだ。沖縄では人頭税が廃止される1903年までは藁算が使われていた。竹富島の民族博物館には、藁算の展示が残っている。この藁算は家畜の頭数を計算したり、家族の数を調べたり、さらには計算器のようにも使ったという。中国の歴史書「随書倭国伝」の中の倭人の風俗に、「文字は無く、ただ木を刻み縄を結ぶだけ」と記録されている。この歴史書は邪馬台国の頃の日本について書かれた物である為、藁算は、古墳時代以前より日本本土でも使用されていたと考えられていて縄算(なわざん)とも言う。
(出典:沖縄県立博物館

琉球王朝の藁算

アマゾンの解説では、「琉球王朝時代(1187~1879年)、文字を持たなかった沖縄の庶民が、日常生活の様ざまな記録に用いた藁算。明治後期に失われた沖縄の文化遺産を現代に復元した貴重な資料。」とある。本当に文字がなかったのかどうかは、縄文人が文字を持たなかったという説と同様に「ないことの証明」は困難だが、少なくとも藁算はあった。とは、稲などの茎を乾燥させたものであり、稲作をしていた証明だろう。燃料、飼料、工芸品・屋根の材料、生活道具として活用された。藁葺屋根、草鞋などの生活用具の原料としても利用されてきた。
(出典:アマゾン

アイヌの藁算

アイヌと沖縄の文化は近いが、アイヌにも藁算の文化があったことは驚きだが、逆に言えば、必然のようにも思う。

アイヌはその歴史の中で文字を持たず伝統は口承によって伝えられていたが、明治時代には沖縄の藁算と同様に結縄が残っていた事が確認されている。これは縄の結び目に意味を持たせたもので、アジアでは伏羲の結縄、アメリカ大陸ではキープ (インカ)が知られている。アイヌは数を数えられず、和人が鮭を10尾受け取ると称し、まず「はじめ」と称して1尾取り、続いて1、2~9、10と既定の数を取り、最後に「おわり」と称してもまた1尾取り、都合で12尾せしめても気が付かない、という小話が「アイヌ勘定」として笑い話のように伝えられていたが、これは事実ではない。アイヌ社会は和人社会をはじめ、文字を持つ文化圏と交流はあった。しかし、松前藩など和人側は自らの悪行を書き残されることを恐れ、政治的理由でアイヌに文字を伝えることはしなかったとする見解のほか、文化人類学や民俗学的理由から、アイヌは彼らから文字の使用を受け入れる事はなかったとする指摘もある。そのため、明治以降に学校教育を義務づけられるまで、アイヌは文字をもって自らの記録を残したり書物を編纂することはなかった。それゆえ、現在のアイヌの明治以前の文化を知るには、和人視点からの書物が中心となる。現在、アイヌ語は日本語のカタカナや、ローマ字をもって転写する方法が考案されている(出典)。

南米アンデス地方のキープ(Quipu)

キープは、南米アンデス地方の多くの文化圏で歴史的に使用されてきた紐状の記録装置である。 古代中国やチベット、日本でもデータ収集や行政管理、記録のために結び目のある紐が使用されていた。インカの人々は、データの収集や記録の保存、納税義務の監視、国勢調査の記録や暦の情報の適切な収集、軍事組織の編成などに使用していたと考えられている。西暦1100年頃から1532年頃までアンデス山脈を中心に栄えたインカ民族が支配するクスコ王国、後のタワンティンスーユ帝国の統治に重要な役割を果たしてきた。しかし、スペイン帝国に併合されると、キープは破壊され、ヨーロッパの文字や数字のシステムに取って代わられたという説と、キープの記録システムを植民地行政のニーズに合わせることを推進したという説がある。なお、Quipuはスペイン語の綴りであり、クスコ・ケチュア語では「結び目」を意味する。インカのキープと沖縄の藁算は類似点が多いが、唯一の違いはキープは縄の色までを含めて情報源とした事だという。同じような縄文字が、インカと古代の日本で使われていたというのは何を意味するのだろう。

(出典:quipu

まとめ

沖縄に赴任している時に、青森県出身の人がいた。沖縄にいると故郷に帰ったような感じで落ち着くという。基本的に争いが嫌いで、皆で仲良く過ごすことを第一にしている。縄文人はきっとそんな民族だったのだと思う。沖縄で自動車を運転していると、脇道からおじいさんやおばあさんが運転する車が側道から突然出てくる。びっくりするけど、皆優しい。クラクションも鳴らさずに、どうぞどうぞと道を空けてあげる。そんな文化が今も残っていることは奇跡的なのかもしれないが、嬉しい。

以上

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