はじめに
TED-Edにシュメール(Sumer)関連の動画があるかと検索したら一つあった。シュメール文明そのものではないけど、アッカド帝国の初代サルゴン王の娘エンヘデュアンナの激動の人生を軸にした動画となっていた。シュメール文明については一度投稿したいと思っていたので、少し調べながら整理していきたい。シュメール文明に興味のある方はぜひ視聴してほしい。
(出典:YouTube)
シュメール文明
シュメール人はどこからきたのだろう。シュメール文明がその後の文明に与えた影響は大きいが、そもそも高度なシュメール文明がどこから突然やってきたのかは依然として謎である。縄文人との関係はあるのだろうか。今回の動画の舞台となっているのは、紀元前23世紀にメソポタミアンの大部分を統一した最初のアッカド帝国の話が舞台になっている。
シュメール文明
肥沃な三日月地帯のメソポタミア地方、チグリス川とユーフラテス川の間に築かれた古代文明がシュメール文明だ。シュメール人は、言語、統治、建築などの革新的な技術で知られており、現代人が理解する文明の創造者と考えられている。シュメール人による支配は、紀元前2004年にバビロニア人が支配するまでの2,000年弱の間続いた。そもそもシュメールに人類が最初に定住したのは、紀元前4500年から4000年頃とされる。ウバイド族と呼ばれる初期の人々は、農耕や牧畜、織物の作成、大工や陶器の製作、さらにはビールを楽しむなど、文明の発展に大きく貢献した。下の写真は紀元前3100年から3000年ごろの文字板であり、ビールの配分を記録しているとされる。紀元前2800年頃のピーク時には、6マイルの防御壁の間に4万人から8万人の人々が住んでおり、世界最大の都市の候補となっていた。シュメールの各都市国家は壁で囲まれ、そのすぐ外側に村があり、その土地の神々を崇拝されていた。
(出典:sumer)
シュメールの言語と文学
シュメール語は、最古の言語記録とされる。紀元前3100年頃に初めて考古学的な記録に登場し、その後1,000年にわたってメソポタミアを支配した。紀元前2,000年頃にはアッカド語に取って代わられたが、楔形文字で書かれた文字言語としては、さらに2,000年の間存続した。絵文字を用いた楔形文字は、紀元前4000年頃には登場していたが、その後アッカド語に変化し、紀元前3000年頃からはメソポタミア以外の地域にも拡大していったのである。最古の法律書は、紀元前2400年にエブラという都市で作成された「エル・ナンムの掟」という石板に書かれたものである。また、シュメール人は豊富な文学作品を持っていたと考えられている。
シュメールの美術と建築
壮大なスケールの建築は、一般的にはシュメール人の時代に始まったとされている。宗教的な建造物は紀元前3400年に遡るが、その基本は紀元前5200年のウバイド時代(Ubaid period)に始まり、何世紀にもわたって改良されていったようだ。家は、泥レンガや葦を束ねたもので作られていました。アーチ型の出入り口と平らな屋根が特徴的である。
(出典:Sumer)
アッカド帝国
シュメール文明は、紀元前4千年紀のウルク時代に形成され、ジェムダット時代、ナスル時代、初期王朝時代へと続いた。紀元前2,400年頃、セム語を話すアッカド帝国に征服された。今回の動画はその初代のサルゴン王とその娘エネデュアンナの話だ。なお、21世紀から20世紀にかけての第3王朝ウルでは、シュメール・ルネッサンスとして、約1世紀にわたってシュメール固有の支配が再興された。
アッカド帝国建設者であるサルゴン大王
アッカド帝国を建国したサルゴン国王(Sargon)の誕生は不明だが、在位期間は紀元前2,334年頃から紀元前2,279年頃だ。アッカド語表記ではシャル・キン(Sharru kin)となる。古アッカド王朝の創始者で、サルゴン国王の死後はグティアンのシュメール征服まで約1世紀にわたって支配した。下の図は、サルゴンの勝利の石碑であり、アシュルバニパルの図書館から発見された。
(出典:Sargon of Akkad)
エンヘデュアンナ
エンヘドゥアンナ(Enheduanna)は紀元前2,285年頃から2,250年頃の人物であり、初代アッカドのサルゴン大王の王女であり、ウル市の月神ナンナに仕えた女神官である。アッカド人の宗教とシュメール人の宗教との結びつきを強めるため、ウルの宗教的教団の指導者に任命された。動画にも出るが、「私(I)」を使って一人称の語り手とするシュメール文学「イナンナの昇天」や、「シュメール神殿賛歌」など、世界史上最も早く名前の知られた作家と言える。彼女による作品の唯一の写本は第一バビロニア帝国の書記によって書かれたものだ。アッカドのサルゴン王朝の伝説的な物語の一部として、これらの作品をバビロニアの伝統の中で彼女に帰属させたようだ。彼女の作品は、古典的な修辞学の始祖として研究され、多くの文学的翻案や表現にインスピレーションを与えている。
(出典:enheduanna)
伝説のシュメール王ナラム・シン
アッカド王朝の初代大王はサルゴン大王であり、それをサルゴンの長男リムシュが継いだが、アッカド王朝の拡大で有名になったのは、ナラム・シン(Naram Sin)だ。在位期間は紀元前2254頃から紀元前2218年頃だ。大規模な遠征を繰り返しアッカド帝国の最大版図を築き、後代に数多くの伝説が作られた。またメソポタミア史上初めて自らをアッカドの神を名乗った。例えば、アッカドの王ナラム・シンがニップルのエンリル神殿を破壊したために、神々は怒り神罰として山の大蛇グティ人をアガデの地に送り込んだ。このためにアッカド王国は滅亡することになったとされる。ナラム・シンは「月の神シーンの愛する者」の意味だ。動画の主人公であるエンへデュアンナの甥に当たる。ナラム・シンはマガンのマニウムやザグロス、タウルス、アマナス山脈の北方山岳民族を破り、地中海とアルメニアまで帝国を拡大した。56年の王位継承期間に20以上の年号が知られている。
8つの質問
Q1) Writing existed before Enheduanna in the form of religious hymns and stories. However, Enheduanna was the first person to sign her name to a work and to write using the word “I” She was the first to use writing to explore deep, private feelings like sadness, confusion, and abandonment. How did this development change the course of literature?
エンヘデュアンナ以前にも、宗教的な讃美歌や物語という形で、文字が存在していた。しかし、作品に自分の名前を記し、「私」という言葉を使って書いたのはエンヘドアンナが初めてだ。彼女は、悲しみや混乱、見捨てられといった深く私的な感情を、初めて文章で表現したのです。このことは、文学の流れをどのように変えたのでしょうかという設問だ。エンヘドゥアナ以前の物語は、誰かが話したことを記録したものだ。しかし、エンヘドアンナ以降の物語は、ある人が考え、ある人が行動するという、生き生きとしたリアルなものなので、英語にすると次のような感じか。
Q2) Eneheduanna’s writing is ancient history but was only rediscovered by archaeologists and translated in the last 150 years. Her influence can be found in the literature that has been studied for millennia, including the Hebrew Old Testament and Homer’s epics. How do you predict that the discovery of Enheduanna’s existence and writing will change the way we think about the history of literature? Should her writing be included in courses about the Western literary canon?
エネヘドゥアンナの著作は古代史だが、考古学者によって再発見され、翻訳されたのはここ150年ほどのことだ。ヘブライ語の旧約聖書やホメロスの叙事詩など、何千年にもわたって研究されてきた文献に彼女の影響が見て取れる。エンヘドゥアンナの存在と著作の発見は、文学史の考え方をどのように変えると思われますか?西洋文学の正典についての講義に、彼女の文章を取り入れるべきでしょうかという設問だ。難解だったけど、答えはもちろんYESだ。。エネヘドゥアンナの文章は学ぶべきですなので、「Absolutely Yes. We should learn Eneheduanna’s writing.」という感じか。
Q3) The goddess Inanna is sometimes referred to as the goddess of love, but that’s not quite accurate. In reality she was the goddess of sexual desire. Ancient Mesopotamian literature was much more comfortable celebrating the powers of eroticism or sexuality than we are today. They believed that desire was the energy that inspired the creation of the universe. What did they possibly mean by this?
女神イナンナは愛の女神と呼ばれることがあるが、正確には性欲の女神だ。古代メソポタミア文学は、現代の私たちよりもずっとエロティシズムやセクシュアリティの力を讃えることに抵抗がなかった。彼らは、欲望こそが宇宙を創造するエネルギーだと信じていた。これはいったい何を意味しているのだろうかという設問だ。欲望やエロティシズムが宇宙創成を刺激している可能性があると考えたので、「This means that desire and eroticism may inspire the creation of the universe.」という感じか。
Q4) Writing was first invented for what purpose?
ここまでが記述式の質問であり、この後は選択式の設問だった。文字が最初に発明されたのは何のためかという設問なので、商人が商売の記録を残すためだ。つまり、「To help merchants keep business records」となる。
Q5) As high priestess, Enheduanna had many responsibilities to the citizens of Ur. What did these responsibilities include?
エンヘドゥアンナは大祭司として、ウルの市民に対して多くの責任を負っていた。それはどのようなものだったのかという設問だ。神聖な夢の解釈、毎月の新月祭を主宰する、都市のための穀物貯蔵の管理、上記すべてがあった。これが正解なので、「All of the above」だ。
Q6) In ancient Sumer, female royalty were expected to serve religious roles.
古代シュメールでは、女性の王族は宗教的な役割を果たすことが期待されていたかという設問だ。正解なので、「True」だ。
Q7) The influence of Enheduanna’s poems and hymns can be seen in which of the following writings?
エンヘドアンナの詩や賛美歌の影響は、次のどの著作に見られるかという設問だ。選択肢には、ヘブライ語旧約聖書、ホメロスの叙事詩、キリスト教讃美歌
、上記すべてがあった。全てなので、「All of the above」が正解か。
Q8) Enheduanna wrote original poetry to which goddess?
エンヘドゥアンナは、どの女神のためにオリジナルの詩を書いたのでしょうかという設問だ。イナンナなので、「Inanna」が正解か。
まとめ
シュメール人やシュメール文明の謎に迫りたい。今回の動画はそのシュメール人を征服したアッカド帝国のサルゴン国王、エンヘデュアンナ大神宮の側からの話だった。背景が見えないとやはり理解も浅くなる。アッカドの文明や英訳した図書も読んでみたいけど、やはり関心ごとはシュメール側だ。日本人はY染色体のD系統が集中している地域の一つであるが、なぜかこのD系統の遺伝子が分布しているのは、チベットとアンダマン諸島と現在のイスラエルだ。鬼界カルデラの大噴火の後に謎のシュメール人が中東に現れたり、タミール語と日本語の類似性が指摘されたり、縄目文土器(Corded Ware culture)が紀元前2900年から2400年頃には、東ヨーロッパに広がったりしていることは、全て繋がっているような気がするが、まだまだ情報収集と検証が必要だ。
(出典:inochikacho)
以上
最後まで読んで頂きありがとうございました
拝
参考(英文スクリプト)
4,300 years ago in ancient Sumer, the most powerful person in the city of Ur was banished to wander the vast desert. Her name was Enheduanna. She was the high priestess(大神宮) of the moon god and history’s first known author. By the time of her exile, she had written 42 hymns(讃美歌) and three epic poems(叙事詩) – and Sumer hadn’t heard the last of her. Enheduanna lived 1,700 years before Sappho, 1,500 years before Hamer, and about 500 years before the biblical patriarch Abraham. She was born in Mesopotamia, the land between the Tigris and Euphrates rivers, and the birthplace of the first cities and high cultures.
Her father was King Sargon the Great(サルゴン大王), history’s first empire builder, who conquered the independent city-states of Mesopotamia under a unified banner. Sargon was a northern Semite(北方系セム人) who spoke Akkadian, and the older Sumerian cities in the south viewed him as a foreign invader. They frequently revolted to regain their independence, fracturing his new dynasty. To bridge the gap between cultures, Sargon appointed his only daughter, Enheduanna, as a high priestess in the empire’s most important temple. Female royalty traditionally served religious roles, and she was educated to read and write in both Sumerian and Akkadian and make mathematical calculations. The world’s first writing started in Sumer as a system of accounting, allowing merchants to communicate over long distances with traders abroad. Their pictogram system of record-keeping developed into a script about 300 years before Enheduanna’s birth. This early writing style, called cuneiform(楔形文字), was written with a reed stylus pressed into soft clay to make wedge-shaped marks. But until Enheduanna. This writing mostly took the form of record-keeping and transcription. Rather than original works attributable to individual writers.
Enheduanna’s Ur was a city of 34,000 people with narrow streets, multi-storied brick homes, granaries, and irrigation. As a high priestess, Enheduanna managed grain storage for the city., oversaw hundreds of temple workers, interpreted sacred dreams, and presided over the monthly new moon festival and rituals celebrating the equinoxes. Enheduanna set about unifying the older Sumerian culture with the newer Akkadian civilization. To accomplish this, she wrote 42 religious hymns that combined both mythologies. Each Mesopotamian city was ruled by a patron deity, so her hymns were dedicated to the ruling god of each major city. She praised the city’s temple, glorified the god’s attributes, and explained the god’s relationship to other deities within the pantheon. In her writing, she humanized the once aloof gods – now they suffered, fought, loved, and responded to human pleading.
Enhedanna’s most valuable literary contribution was the poetry she wrote to Inanna, goddess of war and desire, the divinely chaotic energy that fives spark to the universe. Inanna delighted in all forms of sexual expression and was considered so powerful that she transcended gender boundaries, as did her earthly attendants, who could be prostitutes(売春婦), eunuchs(宦官), or cross-dressers(女装家). Enheduanna placed Inanna at the top of the pantheon as the most powerful deity. Her odes to Inanna mark the first time an author writes using the pronoun “I”, and the first time writing is used to explore deep private emotions. After the death of Enheduanna’s father, King Sargon, a general took advantage of the power vacuum and staged a coup. As a powerful member of the ruling family, Enheduanna was a target, and the general exiled her from Ur. Her nephew, the legendary Sumerian king Naram-Sin, ultimately crushed the uprising and restored his aunt as a high priestess. In total, Enheduanna served as a high priestess for 40 years. After her death, she became a minor deity, and her poetry was copied, studied, and performed throughout the empire for over 500 years. Her poems influenced the Hebrew Old Testament, the epics of Homer, and Christian hymns. Today, Enheduanna’s legacy still exists, on clay tablets that have stood the test of time.