はじめに
小学生の頃に地元の祭りで金魚すくいに挑戦して、もらった金魚を大事に自宅で飼っていた。結構長生きするものと感心した。中学を卒業して入学した奈良高専は金魚の養殖が盛んな大和郡山市にあった。至る所に金魚の池があり、至る所に金魚がいた。学生寮の下に金魚がいる池があった。残ったウイスキを池に捨てると金魚がさらに真っ赤になって泳ぎまわっていた。ちょっと悪いことをした気がして反省した。今日はそんな金魚について調べてみようと思った。
金魚の特徴
長生き
金魚の飼育のギネス記録は43年だ。そこまでは無理でもうまく育てると12~13年は生きる。ただ、金魚すくいでもらった金魚の場合には、追いかけ回されて弱っていることがあるので、少し薄めの塩水に浸すと元気になる。あとは、水道の水をそのまま入れるのではなく、一度バケツ等で寝かせて、カルキを抜くと良い。
強靭な生命力
金魚は、温度に敏感で0,03度Cの変化を察知する一方で、水温への変化への適応力が高い。1度Cから34度Cまで適応できるのはすごいと思う。
超平和主義
金魚は平和主義だ。金魚同士で争わない。餌の取り合いもあまりしない。また、繁殖にあたっても、メスが卵を産むと、オスたちは争うことなくそれぞれの精子をかけていく。なんて大らかなんだろう。
なごみの使者
金魚にはリラックス効果がある。平和な時代には金魚が流行するといわれる。コロナ禍でストレスの溜まる場合には、観賞魚として金魚を飼ってみるのも一興かもしれない。家庭や職場でも金魚の水槽を置くだけで、人間関係が良くなる可能性がある。平和な時代に金魚が流行するのか、金魚が流行すると平和になるのかはわからないけど、核家族化でおじいちゃんやおばあちゃんと離れて暮らす子どもが多い今日この頃だからこそ、金魚とともに暮らすことで日々の生活を和ませる価値はありそうだ。
(出典:神畑養魚)
金魚の起源
金魚の祖先
金魚の先祖は、揚子江の下流で発見された赤いフナとされている。日本に伝来したのは、400〜500年ほど前という説が有力だ。原産地の中国に加えて、日本でも品種改良が進み、現在では色々な品種が誕生している。最近では、アメリカやヨーロッパ、東南アジアでも金魚が飼育されている。また、それぞれの国で独自に改良された品種も生まれている。
(出典:コーナン)
日中平和友好条約と金魚の大量生産
金魚は1500年以上前の長江下流域の浙江(せっこう)省近辺が発祥の地とされている。養殖が盛んになったのは宋代(960年-1279年)の頃だ。開宝年間(968年-975年)の時期に、上海に近い浙江省嘉興の地で金魚が放生された。明代(1368年-1644年)には品種が増えた。中華人民共和国成立後の文化大革命(文革)では、破壊の対象となった。生産者や関係者の家族まで帝国主義者として吊るし上げられた。この時期に浙江省の養魚場は破壊され、金魚も処分され、貴重な系統の親魚が多く失われた。1978年(昭和53年)8月に日中平和友好条約が調印された。日本の金魚生産者が浙江省などに出向いて親魚の提供や技術移転を行って復興に協力した。その結果、中国での大量生産が始まった。庶民に広がったのは、改革開放政策実施後の頃だ。現在は中国伝統の特産物として、日本や欧米に輸出されている。中国語の金魚の発音(jīnyú)は「金余」と同じで縁起が良いとされている。
(出典:Ameba)
金魚の産地
金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)によると、1502年(文亀2年)に現在の大阪府堺市(当時の和泉国堺)に渡来した。江戸の前期に大坂の豪商である淀屋辰五郎が舶来物のガラス製の大きな水槽の中に金魚を泳がせ暑気払いをしたという。江戸中期には金魚売りや金魚すくいが始まり、俳句において夏の季語となった。化政文化期には現在の三大養殖地で大量生産・流通体制が確立した。開国後に来日した外国人は、庶民の長屋の軒先に置かれた水槽で金魚が飼育されているという話が手記にされた。明治時代から大正時代にかけて庶民の生活が次第に豊かになると、金魚の需要も多様化した。太平洋戦争中は「金魚を飼っている家には爆弾が落ちない」という流言が東京中に拡がった。現代の金魚の三大養殖産地は、奈良の大和郡山市、愛知県の弥富市、東京都の江戸川下流域だ。
(出典:奈良県)
2軒まで減少した養魚場
明治30年に7軒でスタートした東京金魚商業組合は、昭和15年には23軒にまで増加した。太平洋戦争が終わった4年後の昭和24年に東京都淡水魚養殖漁業協同組合が設立され、昭和23年の生産量は5,000万尾を数えた。昭和47年にはその3分の1以下の1,500万尾まで減少した。昭和53年には最盛期に20軒あった養魚場は10軒に減少した。現在は堀口養魚場と橘川養魚場の2軒のみだ。
(出典:日本大学理工学部)
金魚の祖先であるフナの起源
金魚の祖先であるフナの養殖は中国で始まった。東漢時代(25年-189年)時代や宋(420年-479年)の時代に遡るが、生産規模は限られていた。フナの養殖は、1960年ごろまでは中国と日本に限られていたが、その後、台湾、ベラルーシ、韓国、ウズベキスタンなどの国や地域に広がった。中国の生産量は、1950年には2000トンに満たなかったが、2002年には約170万トンまで拡大した。金魚の祖先であるフナの進化の過程は、ミトコンドリアDNAによる系統解析によりゲンゴロウブナ(Carassius cuvieri)、そしてヨーロッパブナ(Carassius carassius)の順に分岐したと判明した。金魚(Carassius auratus)は、最も古く命名されたのは長江の個体群であるが、動物命名法国際審議会の裁定(Opinion 2027)によりアムール川の個体群を本種の保全名としている。
(出典:The Fish Site)
まとめ
金魚の祖先を辿ると中国に行き着くのは想像できたが、ユーラシア大陸の北東部を流れるアムール川が出てきてびっくりした。アムール川は、上流部の支流を含めた全長4,368kmで世界8位、流域面積は185万5500km2で世界10位と世界のベスト10に入るビッグな川だった。アムール川を辿ると憧れのバイカル湖にも近づく。バイカル湖といえば、以前「日本人の起源:ブリヤート人が日本の祖先なのか」の投稿でバイカル湖付近のブリヤート人が日本人の遺伝子と近いことを説明した。鉄道と河川に沿って建設されることが多い。シベリア鉄道よりも600kmから700m北を並走するバイカル・アムール鉄道は第2シベリア鉄道とも呼ばれている。機会を作って旅したいと思う。
(出典:アムール川)
以上
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拝