MBAの名授業シリーズ:小川孔輔教授の初回授業からマクドナルド帝国の秘密まで(長文注意)

はじめに

法政大学経営大学院の名授業では、昨日の米倉教授と本日の小川教授が双璧だけど講義の進め方が全く異なる。米倉教授はプレゼンのターゲットと班構成を決めて、学生に何週間も準備させる。小川教授はカリキュラムは事前に示すが、班構成やテーマは当日発表し、当日議論して、当日発表する。どちらも大変だけど共通するのはその達成感だろう。今回は初回だったので、全体の進め方とマクドナルドの歴史について学んだ。先週のホンマでっか!?でも話題になっていたので思い出した。

小川孔輔教授

現在通っている大学の名物教授の一人だろう。秋田出身で東大を卒業してUCLAバークレー校に客員研究員になり、その後法政大学の教授で活躍された。専門はマーケティングだ。一言では言いにくいけど、なんとなく人を巻き込む魅力がある。単独の論文や著書よりも、共著が多い。自分に足らないところが何かをよく知っていて、ベストパートナーを見つけて、共に成長しながら実績を積んでいくことを得意技にしているように感じた。また、小川教授のブログは非常に内容が充実しているので、時間を作ってアクセスすることをお勧めしたい。

出典:http://kosuke-ogawa.com

講義の進め方と構成

2019年11月当時だけど、初回は7回の構成の説明と小川教授が監修した「リーダたちの羅針」をベースにした講義、レイクロックを題材にした映画の視聴とそれに続くマクドナルドの創業の話だった。

リーダたちの羅針

下の3つの図書は全てビル・ジョージの著書だ。ジョージはハーバードビジネススクールの教授であり、同時にビジネスマンだ。1966年にMBAを取得した時には、最高の栄誉であるベーカー奨学生を授与されている。多くの本を書いているが、そのうちの一つがTrue Northだ。そして、翻訳したのは小林麻矢さんで、小川教授はこれの監修をつとめている。小川教授は原本を何度も何度も当然ながら読んでいるが、監修するときには英語ではなく日本語のみをみて、日本人が読みやすいように、理解しやすいように、誤解しないように日本語のブラッシュアップに徹底したという。確かに読みやすい。今も自分の書棚で輝いている。

出典:amazon

本物のリーダへの旅

この「リーダたちの羅針盤」の中(P66)に本物のリーダへの旅に関する記述がある。ビルジョージは30+30+20という。小川教授は25+25+25という。人によって多少のブレはあるかもしれない。しかし、大事なことは人生を3つに区分することだ。つまり、最初の30年は性格形成や自己練磨。リーダになるための準備をするフェーズ1だ。次の30年はリーダへのステップアップであり、リーダとして実力を発揮するフェーズ2だ。最後の20年間は次世代の育成や知恵の還元となるフェーズ3だ。後継者を育てるときも、自分の直系だけを優遇するようなことでは組織が衰退する。そうではなくて、異質な人を巻き込むことで化学反応が起きて組織は成長する。確かにMBAの教授人は多彩な人が多い。教授同士が切磋琢磨しているのを感じる。そんな環境を作ったのも小川教授の功績かもしれない。そんな教授人に教えを得られる我々は幸せだと感じる。感謝の念に絶えない。自分は後継者を育てる年代だけどまだまだやりたいことが多い。

7回の構成

・初回だ。この後はマイケルキートン主演の動画を拝聴する。
・2回目は有限会社フローラ21の社長の講演を聞いて、その後討議
・3回目は日高屋の神田正会長の講演と討議
・4回目はランニングビジネスのアールビーズの橋本治朗社長の講演と討議
・5回目は建設現場に立つ女性を応援する「有限会社ゼムケンの籠田淳子社長」の講演と討議
・6回目は富士製油グループの清水洋史社長の講演と討議
・7回目はオイシックス・ラ・大地株式会社の高島宏平代表締役の講演と討議

ファウンダー:マクドナルド帝国のヒミツ

あなたはマクドナルドの創業者をご存知でしょうか?それは誰でしょうか?そんなことを知り、悩み、考えさせる動画をみた。2017年4月に放映された。下のYouTubuでその予告編を視聴することができる。これは必見の動画だ。

(出典:www.youtube.com)

レポートと評価

ゲストスピーカーの講義を聞いた後にグループで討議を行う。どのようなメンバーにグループ分けするかは後ほど展開される。そして、グループワークの成果をプレゼンして、2回に一回の頻度でレポートを出す。なかなかヘビーだけど最高にエキサイティングだ。レポートは提出期限を過ぎてしまっても必ず提出するべきとのこと。今回は、「マクドナルド兄弟とレイ・クロックのどちらが創業者か?起業家としてのクロックをどのように評価するか?」が課題だ。プレゼンには必ず、日付、テーマ、グループ名、メンバー名、発表者名を明記する。発表者が全員の場合には、全員の名前を書く。発表の機会は複数回あるので、少なくとも1回は発表すること。関与していないフリーライダーはわかるとのこと。

社長のタイプ

小川教授の調査によると社長には5つのタイプがある。①創業者経営者、②後継経営者、③サラリーマン経営者、④娘婿の社長、⑤プロ経営者の5つだ。そして、もっともパフォーマンスが高いのは④の娘婿のタイプだという。

娘婿タイプの経営者

①の創業者は文字通りゼロから出発なので成功している場合にはパフォーマンスが高い。小川教授の調査ではその他の企業よりもROAで平均6.8%ほど高いという。これを除くと、④娘婿タイプの社長がそれとほぼ同等の業績を残している。日本は100年企業が多数存在している国だが、これを支えた秘密の一つは入り婿制度だと思う。鈴木自動車では二代目社長の鈴木俊三も、三代目社長の鈴木修も娘婿だ。講談社の創業者は野間 清治(1878年12月-1938年10月)だが、5代目の社長の野間惟道(1937年11月-1987年6月)は娘婿だ。旧姓は阿南で東京大学卒業、父は陸軍大将の阿南惟幾だ。なお、野間惟道の急死を受けて、奥様(4代目の娘)の野間佐和子が6代社長に就任し、村上春樹著のノルウェイの森など多くのベストセラーを発刊した。海外でも事例がある。ウオールマートの創業者はサム・ウォルトンであり、二代目は息子のS.ロブソンウォルトンだが、三代目はその娘婿のグレゴリーB.ペナ(1969年12月生)だ。

意外と受難なプロ経営者

プロ経営者というと誰が思い浮かぶのだろう。ローソンの社長からサントリーホールディングの社長に就任した新浪剛史だろうか。アップル社長、マクドナルド社長、ベネッセ社長を歴任した原田泳幸だろうか、海外に逃走したカルロスゴーンだろうか。成功をあげた優秀な経営者でも100発100中は無理だ。無理を重ねたり、傲慢になったり、失態を露呈したりする事例に快挙のいとまがない。

出典:https://toyokeizai.net/articles/-/118979

マクドナルド兄弟

マクドナルドを1940年に創業したのはマクドナルド兄弟だ。それまでのレストランは、ウェイターが注文を取って、運んでくれるが、届くまでに時間がかかるし、注文を忘れられることもある。そんな課題をスピードサービスシステムという画期的な仕組みを考案して解決した。しかし、立ち上がりも順調ではなかった。そもそもファーストフードという文化がない。面食らった客からはクレームの嵐だ。しかし、マクドナルド兄弟が元の店舗に戻そうとしたときに一人の少年がハンバーガーを食べたいと注文にくる。追い返すのも可愛そうなので作ってあげた。子供は喜んだ。そうしているうちに別の客がまた一人。また一人。マクロドナルドの誕生だ。難産の上に誕生したマクドナルドがお客様に、アメリカ市民に受け入れられた瞬間だ。ついうるっときてしまう(笑)。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/マクドナルド#開業

テニスコートでシミュレーション

ファーストフードのコンセプトを実現するためにマクドナルド兄弟が選んだ場所はテニスコートだ。ここに実際の店舗を想定して、肉を焼くところ、パンにピクルスを置くところ、フライドポテトを揚げるところを設定し、アルバイトの人に協力してもらって動線検討を繰り返した。テニスコートでトライアンドエラーを六時間繰り返して完成形ができた。世界初のスピードシステムだ。1940年と言えば第二次世界大戦前だ。豊かなアメリカへの高度成長が始まる波にぴったりはまったのだろう。

出典:youtube

ハンバーガー帝国のヒミツ

マクドナルド兄弟はカリフォルニアで着実に直営で店舗を広げようとしていた。そして、その仕組みの素晴らしさに着目したのがレイ・クロックだった。その仕組みを真似する人は多かったが成功しなかった。レイ・クロックは、マクドナルドの成功のキーとして、ゴールデンブリッジのトレードマークと、仕組みと、マクドナルドという店舗名の響きに感じていた。なので、模造のサービスを展開するのではなく、フランチャイズ方式を活用したマクドナルドの店舗展開にかけた。最初は定番の資金繰りに苦労したが、人材にも恵まれて、マクドナルドのビジネスを成功させた。

フレッド・ターナ

映画の中でクロックが最初に手がけた店を仕切るフレッド・ターナー夫妻が紹介される。このターナこそが、マクドナルドが大切にするQSC(Quality Service Cleanliness)を提唱した人物だ。クロックはターナーを二代目のCEOに任命し、店舗を世界118カ国に展開したなどターナーは期待を超える活躍をした。
出典:https://biz-journal.jp/2017/08/post_20116_3.html

人生は心の持ち方で変えられる

レイ・クロックがマクドナルド兄弟と出会ったのは52歳の頃だ。当時のアメリカなら引退する時期だ。しかし、レイクロックの起業家魂はここから本領を発揮する。信条としたのはエマーソンの言葉だ。起業家にとって大切なことは熱い志と冷静なプランだと別の授業で教わった。レイ・クロックには少なくとも燃えるような熱い志はあった。映画ではこれを根気と訳している。しかし、Persistanceはもっとドロドロとした絶対にあきらめない心、何を捨ててもこのビジネスだけは絶対に手放さないという執着心を感じる。ちなみにエマーソンとは、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(1803年5月-1882年4月)のことだ。アメリカの哲学者であり、思想家であり、詩人だ。ハーバード大学を18歳で卒業するという超天才だ。レイ・クロックとエマーソンは対局の人だと思うけど、面白い組み合わせだ。

出典:ラルフ・ワルド・エマーソン – Wikipedia

糟糠(そうこう)の妻

レイ・クロックの妻はジェーン・ドビンズ・グリーンで、糟糠の妻と呼ばれる。糟糠とは米かすのことだ。つまり、辛く貧しい時代を共にした妻なので、出世したからと行って追い出すわけにはいかにないと言われる。また、レイはジェーンと離婚してトロフィーワイフとしてフランチャイズのオーナーの妻だったジョアンと再婚する。動画では、ピアノをレイと楽しそうに連奏している。でも、これにも裏話があって、ジョアンとはジェーンよりも先に知り合い、プロポーズしていたが、ジョアンの両親に断られて、ジェーンと結婚した。しかし、ビジネスに成功すると、ジェーンを離縁して、以前から大好きだったジョアンと結婚した。しかも、いわゆる略奪婚だ。英雄色を好むというが、まさに欲望の塊のような人物だけど、同時に起業家としての才能にあふれていたと言える。

出典:YouTube

マクドナルド兄弟のその後

兄のモーリス・マクドナルドは、1971年12月11日に69歳でカリフォルニア州リバーサイドで心臓発作で亡くなった。その13年後の1984年11月30日には、弟のリチャード・マクドナルドは、ニューヨーク市のグランドハイアットホテルで、当時のマクドナルドの社長エドレンシによって500億回目のマクドナルドのハンバーガーを提供されている。カリフォルニアで始めたハンバーガーが500億個まで行くとはマクドナルド兄妹もびっくりだし、嬉しかったと思う。

出典:elmundo

まとめ

小川教授の講義の面白さの少しは伝えることができただろうか。講義を受けて感じたことをネットで裏どりしながらまとめたものなので、至らぬ点や間違いがあれば自分のミスだ。面白いとしたら小川教授のおかげだ。MBAを通うのは大変だし、時間もお金もかかるけど多くの先人や同胞との人脈を広げたいのであれば検討の価値はあると思います。

以上

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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