MBAの名授業シリーズ:チャーミングな大久保あかね教授の地域ビジネス貢献論、熱海の奇跡

はじめに

これまでMBAの名授業シリーズで米倉誠一郎教授の授業を紹介した。今回は、2019年に受講した女性教授の紹介だ。土曜日は、1-2限と3-4限と5-6限がある。春期は3科目を登録したら結構きつかった。なので、秋期は1-2限と3-4限のみにするつもりだったけど、1-2限が休講だったので、試しに5-6限の授業を覗いてみた。お試しのつもりなので、普段と違って一番後ろの目立たないところに座ったけど、大久保あかね先生の講義を聴いているとこれが面白い。思わず頷いていると、先生と目が合う。どんどん引き込まれていってしまった。なお、ここで書いていることは講義を聞いて、ネットで裏どりする中で感じたことだと言うことをお断りしておきたい。

大久保あかね教授

名古屋市に生まれ、大学は国立奈良女子大学だ。自分は同じ奈良でも大和郡山市の国立奈良高専の卒業だ。もしかしたら、共通の友人がいるかもしれない(笑)。大学卒業後は、リクルートのじゃらんを担当された。結婚後は、秋田犬と一緒に住めるところを探して熱海に移る。熱海に移った後もじゃらんの仕事を担当して、熱海の旅館をクライアントとして活躍。それでも、徐々に個々の対応では限界があると行き詰まり感を感じたところで、たまたま電車の吊り広告で立教大学の観光学部が立ち上がることを知り、一期生として入学。熱海から志木までの通学は片道2時間半と大変だが、卒業し、博士課程まで完了する。素晴らしい。前小泉政権時代に観光立国宣言があり、これを追い風としながらも、常葉大学の助教授から教授となり、現在は静岡県立大学の教授を中心に観光関係の研究に幅広く従事し、貢献されている。話しぶりは軽快かつ明瞭で、非常に興味深い。とてもチャーミングな教授ですぐにファンになった。
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出典:インタビューノート

地域貢献ビジネス論

講義には、MBAの生徒と中小企業診断士を目指す生徒、さらには経営学部の生徒などが参加している。中小企業診断士の業務にも街おこしや、商店街の活性化などがあるが、今回の授業は個々の企業というよりは、街全体の魅力を棚卸しして、目指すべき姿を明確にして、その復活を目指す。そんな人材の育成がメインの目的かもしれないが、それだけではなく、いろいろな課題意識のある人に観光とか、地域再興を切り口に気づきを与えたい。そんな風な講義と理解した。自分の場合には、ベーシックインカムが仮に実現したとして、国内でどのようにそれが活用されるのかを分析したいと思っているが、地域貢献で考えた場合には、デジタルマネーの利用をビッグデータとして分析することでファクトデータをリアルタイムに見える化することもできる。そんな部分でも、もしかしたら、地域貢献できるのかもしれない。

熱海の復活

修善寺のある小学校に行くときに、三島から行って、熱海から帰った。もう3年ほど前のことだ。そのときに、熱海の駅を久しぶりに利用したが、抱いていたイメージと違って雰囲気が若返っていてびっくりした。おうちに帰って奥さんにも熱海が元気だよと話したのを覚えている。駅にはAIロボットのペッパーがお出迎えしていた。熱海復興の仕掛け人の一人が「市来広一郎」さんだ。その市来さんが主催する「ATAMI2030会議~熱海リノベーションまちづくり構想検討委員会」の様子が下の写真だ。これだけを見ても、熱海が元気になっている様子を感じられる。産業が衰退し、若者が出て行き、高齢者ばかりになった街は多い。熱海市もその一つだ。でも、熱海市は自分たちの良さをもう一度見直し、魅力を磨き、発信することで見事に復興した。日本を元気にするのは市来さんのような人かもしれない。また、自分のプロジェクトであるベーシックインカムも、これを導入することが目的ではない。日本に住む人が、日本人が元気になるにはどうすれば良いのか、それの解決の一つとして研究している。お金は大切だけど、お金だけで人が幸せや生きがいを感じるわけではない。やはりプラスアルファの何かが必要だ。それは精神的な柱となるものなのか、人と人との絆なのかわからない。それでも、大久保教授が教えてくれた社会起業家というワードは胸に響く。企業がいかに金儲けをするのかという講義は正直心に届かない。なぜ働くのか、なぜ生きるのか、将来の日本社会・世界がどうなるのか。良い方向に向かって欲しいと思うし、それに向けて何かできることがあれば貢献したいと思う。
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出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56405?page=3

SA・PA

高速道路にはサービスエリアやパーキングエリアがある。なぜか?それは高速道路を整備するには厚いアスファルトで舗装する必要があり、お金がかかる。なので、有料にする。でも、有料にするとトイレや食事やガス欠になると困る。なので、車でガス欠ランプが表示されても走行できるギリギリの15km間隔でPAを整備し、SAは原則50km間隔で整備した。非常に論理的な説明で明瞭だ。調べてみると、道路の舗装は、古くは石畳や、レンガだったが、最近ではコンクリート舗装とアスファルト舗装と簡易舗装がほとんだ。ちなみに縄文時代の舗装道路が新潟県村上市の本屋敷遺跡で発見されている。約3,500年前の道路で、平たい石を道の両脇に敷き詰めて、その間を砂利で敷き詰める。幅2m、長さ40mだという。コンクリート舗装は、アスファルト舗装よりも1.5倍程度のコストがかかるが、利用可能な期間は約20年とアスファルトの10年より多い。コンクリートはより長寿命が必要で整備が大変なトンネルや料金所で使われ、それ以外は水はけの良さや低騒音性などからアスファルト舗装が採用されることが多いようだ。ちなみにセメントが発明されたのは19世紀で、コンクリート舗装はこのセメントを使っている。アスファルト舗装で使われるアスファルトの成分のうち約90%は砂利だ。残り10%が充填剤だ。耐久性と吸水性と排水性が求められる。東名高速道路では、「舗装厚は約50cmで、アスファルト表層・基層部の厚さはそれぞれ15cm程度らしい。道路が専門の技術士からはツッコミがありそうだけど、これぐらいで勘弁して欲しい。
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出典:舗装(ほそう)とは – コトバンク

道の駅

SAやPAは国土交通省が主管し、NEXCOの各地域会社が管理する。道の駅は一般道路のSAのようなものだ。地方自治体と道路管理者が連携し、国土交通相に登録する施設だ。2019年6月現在で1,160の道の駅がある。道の駅は、休憩機能と情報発信機能と、地域の連携機能を併せ持つ。特に注目したいのが地域の連携機能だ。例えば、静岡県小山町にある「ふじおやま」道の駅は、国道246号沿いの道の駅だ。そこからは富士山も綺麗に見える。周辺に足柄山や富士霊園、誓いの丘などがある。足柄山といえば、下の写真にあるように金太郎が有名だ。地域の連携機能の話に戻ると、ここでは農家の直販コーナーがあって人気だ。農家は通常JAに出荷するが、JAは均質な商品を求める。しかし、その基準を超える商品や下回る商品がでる。以前はこれを廃棄したり、標準価格で出荷した。しかし、道の駅に持っていけば、基準を超える良品は高く売れる。基準を下回る物でも活用してもらえる。単に形がちょっと変でも、味は同じだ。そして、一番重要なことは、供給者と需要者がFace-to-Faceで直接対面できることだ。メーカーで言えばアンテナショップのようなものだ。自分たちが作ったものをどんな人が、どんな風に買って、食べてくれるのかがわかる。消費者にとっても、生産者の顔がわかり、美味しい料理法を教えてもらったりできる。何より信頼関係や人と人の繋がりを感じることができる。農家にとってはお金よりもインセンティブ=やる気をもらうことが大きいし、高齢者も頑張って作ったもので消費者が喜んでくれればこれほど幸せなことはない。長寿社会や総活躍社会の良いイメージだ。
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出典:道の駅ふじおやま | 静岡県小山町 国道246号沿いの道の駅

旅館の話

日本最古の旅館は、慶雲館(けいうんかん)だ。慶雲館はギネス世界記録にも認められた世界最古の宿泊施設でもある。日本には素晴らしい旅館が数多くあるが、その起源は何だろうと大久保先生は問いかける。起源を考えたり、調べたりするのは、私の癖だけど、どうも大久保先生も同派のようだ。なんだろう。温泉の湯治もその一つだし、慶雲館は705年(慶雲2年)に発見された温泉を切り開き、武田信玄や徳川家康も愛用した名湯だ。ほぼ同時期だけど、兵庫県の城崎温泉の「千年の湯 古まん」は717年(霊亀3年)に開業し、石川県粟津温泉の法師は718年(養老2年)が創業という。いずれも8世紀の頃だ。当時は1週間の滞在が基本でこれを「一廻り」と呼んだ。体調を戻すときは「三廻り」つまり、3週間が基本だった。また、自炊が前提なので、必要な米を竹筒に入れて、持参して、湯治部の釜でご飯を炊いたようだ。また、昔の温泉は混浴のイメージだが、混浴は原則禁止されていた。このため、脱衣所は男女を分けて、さらに、温泉は時差利用していたようだ。
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出典:http://www.jizaikan.jp/touji.html

宿場の整備

もう一つの起源は宿場だろう。宿場とは、江戸時代に5つの主要道路(五街道)を整備したものだが、これは古代の駅馬制度を整備したものだ。つまり、古代の日本でも長距離の移動のために馬を活用したが、その馬を休ませたり、交代させるための施設だ。江戸時代になると、徳川家康が品川から大津までの五十三の駅を定めた。これがいわゆる東海道五十三次だが、同様の駅は全国に整備された。そして、それぞれの宿場には、利用者のランクによって次のような施設が整備された。本陣:武士や公家が宿泊した。地域の有力者の邸宅が指名されることも多かったようだ。脇本陣:本陣に入れない武士や公家や有力な一般人が宿泊した。旅籠(はたご):一般人が利用。食事が出たが、原則一泊のみ。木賃宿(きちんやど):一般人が利用。自炊を前提とする宿泊設備。茶屋:休憩所、喫茶店。

本陣と旅籠(はたご)

参勤交代が制度化すると、各宿場で本陣が指名された。本陣として指定されると、その家の主人は名字帯刀、門や玄関の設置などの特権が認められて名誉なものとされた。本陣では、えらい武士が来るときはお出迎えし、帰るときはお見送りする。現在に続く「おもてなし」の精神の発祥かもしれない。一方の旅籠は、一般の旅行客が利用し、1泊のみだ。なぜ1泊のみかといえば、旅行客が滞在するのを幕府が嫌ったためだ。1泊のみなので、毎日同じ料理を出しても旅行客は文句を言わない。このころに旅館の料理のパターンが出来上がったのかもしれない。なお、この本陣を利用する武士は対価ではなく、謝礼を支払った。藩の財政が悪化すると、この謝礼が減額された。本業である庄屋や問屋が不振になると本陣を維持することができず、指名から外れるケースも増えたという。今も残る本陣は貴重だ。暇になったら全国の本陣を行脚するのも一興かもしれない。なお、1862年(文久2年)には、参勤交代が形骸化し、1870年には明治政府が本陣名目を廃止して、本陣の制度はなくなった。
出典:本陣

ドラえもんの話

ドラえもんは、藤子・F・不二雄(1933年12月〜1996年9月)による漫画だ。富山県の高岡市出身で本名は藤本弘。氷見市出身の安孫子素雄は藤子不二雄Aと名乗り、共に藤子不二雄のコンビとして活躍した。高岡市の商店街を散歩すると、藤子・F・不二雄の作品のモニュメントが並んでいる。ドラえもんは、日本だけではなく、海外でも人気だ。しかし、海外の読者はそれが日本を舞台ということをあまり知らない。そして、日本に来ると、ドラえもんの世界だと驚くらしい。例えば、イタリア語のWikiでは、「27年間活動して1,345の物語を作成し、その漫画は、英語、フランス語、スペイン語を含む複数の言語で出版され、世界では1億7千万枚以上が販売されている」と書かれている。世界で最も成功したアニメの一つだ。
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出典:Doraemon

サザエさん

そういう意味では、「君の名は」は飛騨高山市の観光に大きく貢献したが、そのような素材は日本にはいっぱいあるのかもしれない。例えばサザエさんを描いた長谷川町子の実家は近所だ。桜新町の駅前はサザエさんはじめ、カツオやワカメの銅像がある。下は長谷川町子の若かりし頃の写真だが、サザエさんそのものだ。
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出典:https://books.bunshun.jp/articles/-/2991

社会企業家

社会貢献というと自己犠牲のようなイメージを持つが、そうではなく、営利目的の会社を立ち上げたり、NPO団体を立ち上げたりすることもありだという。社会起業家とは、「社会変革の担い手として、社会の課題を、事業により解決する人」だ。社会の課題を認識し、それを自分ごと化して、取り組む人だ。自分もそうありたいと思う。バングラデシュに設立したマイクロファイナンス機関であるグラミン銀行をムハマド・ユヌスは1983年に創設した。このグラミン銀行の素晴らしいのは、貧困層対象にした無担保融資だ。融資をすることで、稼ぐことを学習させて、貧困の罠からの卒業を支援する活動だ。2006年にムハマド・ユヌスはノーベル平和賞を受賞している。
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出典:http://ita-vc.or.jp/?page_id=754

熱海の復活

バブルの頃は社員旅行の定番の一つは熱海旅行だった。自分も少しだけ経験したが、確かにバブリーだった。しかし、その旅行が充実したものかといえばそうでもない。熱海の駅に夕方着いたら、送迎バスで宿に向かい、部屋に入って、温泉に入る。程なく宴会の時間だ。そのあとは麻雀する人、近くのスナックとかに繰り出す人。翌朝はもれなく二日酔い。送迎バスで駅に着いたら東京に向かう。そんな流れ作業の延長のような旅行だった。しかし、バブルが崩壊すると、そんな社員旅行はなくなり、熱海の活気が失われ、若者は都会に出て、残ったのは高齢者ばかり。どんどん街が衰退した。しかし、そんな中で熱海に対する愛着と愛情に溢れた人々が熱海をなんとかしようと立ち上がった。でも、当時はどうやってお金を使わせようかという議論だったようだ。珍しくあかね先生は怒っていた。それは違う!そんな悪循環から抜き出せたのはやはり市来さんをはじめとする有志が熱海の魅力は何か。ターゲットは誰か。どのような戦略でマーケティングするか。そんなMBAで学ぶようなことを真剣に議論して、トライして、実践したのが大きい。現在のターゲットは若い女性だ。若い女性を誘致するポイントは花火と祭りだった。若い女性が楽しめる街とは、住んでいる人が楽しめる街だ。美味しいパン屋さんとか、スイーツの店とか、熱海の魅力を再発見する旅を楽しめるような街にして、それをどんどん発信して、誘致する。若い女性が来ると、街も活性化し、街が活性化すると若い女性が来る。若い女性が来るともれなく男性もくる。そんな好循環を実現したのは素晴らしい。熱海の滞在時間も増えた。午前中のJR普通のグリーン車でプチ贅沢できて、お昼を食べて、観光して、宿泊する。翌日も観光して、お昼を食べて、夕方に帰る。本当に素晴らしい成果だ。日本の他の街の活性化のヒントが満載だし、全国に勇気を与えるだろう。なので、市来さんは現在非常に多忙らしい。下の写真の左が市来さんで、真ん中の女性と右の男性はatamistaスタッフだ。
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出典:https://greenz.jp/2012/11/08/atami_greenztour/

まとめ

これら以外にも興味深い話が次からつぎへと展開されていく。来週の講義が待ち遠しいけど、残念ながら来週は休講だ。次回は10月5日(土)だけど、その翌日の10月6日(日)は熱海で熱海の復興にチャレンジして、成功させた「市来さん」の生の話を聞くことができる。すでにKindleで「熱海の奇跡」を購入した。まだ、半分ほどしか読めていないが、面白い。市来さんの熱い想いがビシビシと伝わってくる。自己犠牲ではなかなか続かないし、インセンティブもわかない。社会の課題を解決しながら、人々の悩みを解消しながら、結果として自分も豊かになる。そんなライフワークを目指したいと思った。
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出典:Kindle

以上

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