人口、通貨、海進、言語などから紐解く縄文人の祖先や起源の謎。縄文海進が縄文人に与えた影響は甚大だっただろう。

はじめに

日本や日本人の起源を調べると色々とミステリーに遭遇する。氷河期には日本と大陸が繋がっていたけど、縄文時代の温暖化で海面が上昇(海進)し、残った国土に取り残された人々が縄文人となったという説に興味がある。それまでは、北からも南からも西からもいろいろな人が交流していたのだと思う。

縄文人の移動の流れ

三貫地縄文人のDNA分析

これまでは北方系の民族や南方系の合流して縄文人となったように考えられていたが、近年のDNA分析の結果、縄文人の祖先は東アジア人であり、その後北方系の渡来民が合流したり、さらにアイヌ系の人種や南方系の人種が合流したと判明した。60年以上前に発掘された福島県の三貫地(さんがじ)貝塚の人骨のDNAを分析したところ、下の図に示すように中国やベトナムの民族とは大きく離れていることが判明した。また、世界のあちこちの現代人ゲノムと比較したところ、三貫地縄文人がもっとも近縁であったのは、東ユーラシアの現代人集団だった。

(出典:Ready For)

民族の流れ

まだまだ諸説あるが、5万年前から7年前の氷河期においては、西アジアからの民族が日本に辿り着いたと考えられる。また、1万8千年前には、南方古モンゴロイド人も琉球経由で移動した可能性がある。また、1万2千年前にはバイカル湖文化センター経由で北方ルートで日本にたどり着いた形跡がある。

(出典:Yahoo)

縄文人の祖先

東京在住の出雲出身者を集めてDNA分析したところ、出雲出身者は関東のヤマト人や朝鮮半島の人よりも、東北地方の人たちと似ていることが判明した。縄文時代は1万6千年前から3千年前までの1万3千年ほど続いた。氷河期から温暖な時期に変わる時には海進が発生して、日本が大陸から分離して、そこで残った民族が協力して、自然と戦いながら生き残ったのが縄文人なのではないだろうか。

(出典:Ready For

日本人の人口の推移

日本では、少子高齢化が進み、人口が減少しつつある。しかし、日本人の人口が減少するのは、実はこれが初めてではない。石器時代から縄文時代に入って人口は右肩上がりに増加したが、紀元前4000年から3000年にかけては実は人口が減少している。これは火山の噴火や寒冷化の影響だ。そのあと、温暖化の時代に弥生文化が花開いて人口が増加する。下の図では描ききれないが、寒冷化に伴う農作物の不作等から人口が減少する時期もあったが、明治以降にも人口は再度爆発して、昭和の時代に1億人を突破した。人口の少ない海外諸国を旅行すると、日本の人口はもう少し少なくても全然やっていけるのではという気持ちにもなる。

(出典左:人口から読む日本の歴史、右:日本/歴史・・土偶/銅鐸

縄文時代と弥生時代の日本国内での人口分布

縄文時代には日本の人口分布は26万人にまで増加した。そして、その中心は中部の山岳地域だ。縄文時代の初期には海進が発生し、海岸は危ないとどんどん山岳地域に逃れていったのかもしれない。諏訪は縄文時代の中心だったようだ。一方、弥生時代はどうかというと九州の人口が増加しているが、それ以上に近畿・東海・関東の沿岸部の人口が増大している。

(出典:Cool-susan

母方のルーツの分布の違い

下の図は、筑波大学の住斉名誉教授が母親が弥生人か縄文人かを全国主要エリアで調べた結果だ。これによるともっとも縄文人の比率が高いのは沖縄の96%、東北の75%、そして飛騨の69%だ。逆に首都圏では弥生人が71%と多く、ついで美濃では弥生人が60%と多い。やはり地区によって縄文人系と弥生人系の比率が違っている。面白い。伊藤俊幸氏は自身のブログで、「アイヌ民族=東日本縄文人=古バイカル人」が持論であると豊富な情報をもとに展開しているが、個人的にも同感できる。日本の起源をライフワークにしている先駆者がいることは非常に心強い。

(出典:Yahoo

縄文海進(かいしん)

縄文時代の海進についてはこれまでも投稿したが、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇をいう。約6,500〜6,000年前には海面は現在より約5m高かったという。貝塚が点在するのは当時の海岸線だ。そして、河川の氾濫や高潮、津波など人類にとっては驚異であったが、その結果としてできた沖積平野は稲作に適したエリアだった。弥生時代には、逆に海面が徐々に低くなった。稲作が始まったのは、実はこのような海面の上昇や降下という物理的な構造変化が契機となっている可能性もあるのではないかと思う。

(出典:goo

縄文時代の通貨

縄文時代を含めて通貨の歴史は以前投稿したように、縄文時代には通貨はなく基本的に物々交換だったが、重宝されたのは、人気があり交換に適した貝だ。石器として使える黒曜石も貴重だった。狩猟文化が進むと釣り針を形成するための天然のアスファルトなどが人気だったようだ。そして、驚くことに地政学的な意味から礼文島を中心として流通ルートができていた。弥生時代に入ると鉄が通貨の機能を果たすようになった。

(出典:coco log

タミル語と日本語

タミル語と日本語の関係は国語学者の大野晋が熱心に研究した。タミル語とは、南インドのタミル人の言語だけどインドだけでなく、スリランカやシンガポールでも国の公用語の一つだ。そして、日本語との共通点も指摘されている。特に農業用語に多いという。日本語の「こ・そ・あ・ど」に相当する接頭語があったりする。

(出典:Geocities

まとめ

今回は過去のはてなブログの内容をベースに再度新しい情報などを盛り込みながら編集しようとしたが、まだまだ未整理な状況が逆に露呈してしまった気がする。ただ、日本の起源の研究をライフワークにしている先駆者の存在を知った。DNAの分析などが進めば、過去の秘密が徐々に明確になってくると期待される。これからもアンテナの感度を高くしてこれからも研鑽したい。

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

広告
最新情報をチェックしよう!