リトアニアの民族博物館で展示された籠(Pinti)からランタン、さらに熱気球への妄想が進む。

はじめに

知人がリトアニアに旅行に行くというのでリトアニアの国民性や治安、通貨、交通、通信、食事などについて説明してあげた。同じバルト三国でもエストニア人は大人しく、真面目でヨーロッパの日本人と呼ばれている。ラトヴィア人はスマホ大好き。そして、リトアニア人は陽気でITも大好きだ。治安も安定しているし、買い物はユーロだし、ほぼクレジットカードが使える。心配することはほぼないし、カウナスやトラカイなどにも足を伸ばして楽しんでほしいと伝えた。そんなリトアニア共和国を旅した時のことを思い出してみた。

リトアニアの民族博物館での農家の写真

下の写真を見て欲しい。これは昨年の8月10日にリトアニアの国立博物館を訪問した時に、館内で展示されていたリトアニアの昔の農家を再現したものだ。しかし、ここに出ているカゴとかオケとか、どこか日本の農家で使っているもののように見える。日本の田舎の農家の写真といって違和感があるのは、キリストが磔にされているものを飾っているところぐらいではないか。

リトアニアのpinti

リトアニア語でpintiは、日本語の籐(ラタン)の籠だ。リトアニアの多くの農家では紀元前からこの籐を使っていたという。どの村にも、このバスケットを作る職人がいて、ジャガイモや野菜、果実、きのこの収集に使用されたという。どれもすごく丁寧に加工している。赤ずきんちゃんが手に下げて買い物をしそうな雰囲気が伝わってくる。

出典:The flower of the sun

籐(ラタン)と熱気球

藤と籐(ラタン)という漢字は似ているが、藤は草冠で、籐は竹冠だ。ラタンという読み方は、マレー語に由来し、家具や籠などの材料にされている。籐は曲げに強く、丈夫な素材だ。家具や籠だけではなく、樽板やステッキ、鞭にも応用できる。熱気球のゴンドラはなんと籐で作られたものが今も主流だという。古代の日本人は世界を旅したという説がある。熱気球のバルーン部分の素材は調査中だが、ゴンドラの素材が籐(ラタン)というのは面白い!古代でも熱気球の気球を作って、熱源を確保して、籐(ラタン)があれば、風まかせになるけど空中を移動することも可能だったのかもしれない。

出典:https://grutto-plus.com/experience/036/

熱気球の歴史

熱気球の歴史を調べると、無人熱気球は、三国時代の曹剛梁(紀元前220ー280年)が軍事用の信号として使い、このランタンは孔明灯として知られているという。もしかして、あの諸葛亮孔明はこんなランタンも開発していたのか。どうも敵に囲まれた時に孔明灯を飛ばして、援軍を求めたらしい。欧州で初めて熱気球が飛行したのは1709年でポルトガルのリスボンで4mの紙でできた熱気球だったという。空気を温めると、浮力がついて空中に浮くということに気づいた人は偉いと思う。

出典:History of ballooning

縄文土器は火力バーナーか

縄文土器を見ていると熱気球のバナーとして付けられそうな気がする。古代の縄文人が熱気球の原理を知っていたのかどうかは分からないけど、この個性的な土器は一体何の目的で作ったのだろう。私には、熱気球のバナーにしか見えない。

出典:温泉人ライフ

天燈(てんとう)上げ

台湾では、旧正月に天燈を上げる。下の写真は、その風景だ。150cmほどの大きさだけど、夜空に向かって一斉に放たられる風景は一度は見てみたいと思う。キャンプの時に灯りとして使うのがランタンだけど、この天燈もランタンという。籐(ラタン)とも音が近い。こんな風な簡単な仕掛けで空を飛ぶことに不思議さを感じる。
出典:we expedia

まとめ

古代はミステリーが一杯だ。羽衣伝説もそうだけど古代の人間が空を飛ぶとしたらどんな方法があるのだろう。個人的には熱気球が一番実現性があるのではないかと思っている。なんの根拠もなかったけど、リトアニアの民家にある籠のようなpintiから紐解くとラタンからランタンと繋がった。だからと言って古代の人間が熱気球で世界を旅したというのは論理が飛躍していることは自覚しているけど、熱気球なら古代でももしかすると移動手段として使えたのではないかという気がする。どうだろう。

以上

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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