終戦の日に考えた5つの論点と3つのシナリオ。見えて来た海外のタフな戦略。

はじめに

2021年8月15日(日)は終戦の日だ。小学校の社会で歴史を習う。戦争はいけないことと教わる。日本がハワイを奇襲して、戦争になり、原爆を投下されて終戦になったという説明に納得できない。なぜなら、なぜ日本が戦争を仕掛けたのかという理由の説明がないためだ。先生に質問したけど、期待できるレベルではなかった。大人になって色々と調べるうちに、全貌が少しずつ見えてきた。でも、まだ分からないことの方が多い。今日は、戦争に関する5つの疑問について調べたことをまとめてみたい。

論点1:戦争とは何か?
論点2:戦争の正義(jus ad bellum)とは?
論点3:日本人は自虐史観から脱却できるのか?
論点4:日本国の願いはなんだったのか?
論点5:原爆投下は許されるのか?

論点1:戦争とは何か?

一千人以上が戦争

7月に「戦争はなぜ起こるのか。国防費の推移から世界の覇権国の流れを見たら5つの覇権国に日本が含まれていてびっくり。」を投稿した。中国は、将来6番目の覇権国になるのだろうか。戦争は国と国が戦うこと。戦争は悪いことと習う。でも、戦争の定義を調べているとアメリカのジャーナリストであるクリストファー・リン・ヘッジス(1956年9月18日生)の著書「What Every Person Should Know About WAR」に行き着いた。ここでは、「1000人以上の命が奪われる激しい紛争である」とシンプルな定義を説明していた。

(出典:What Every Person Should Know About WAR)

戦闘に起因する地域別死者数の推移(1989年から2017年)

今年または昨年に直接的暴力で1000人以上1万人未満が死亡した紛争は11件あり、 1万人以上が死亡したのはイラク戦争やシリア内戦など4件だ。少なくとも1,000人以上が死亡した武力紛争はウプサラ紛争データプログラムによって「戦争」と見なされている。戦争か紛争かに関わらず、1989年から2017年の地域別死者数を見ると、3つのピークが発生している。1989年と1999年はアフリカ、2013年に中近東だ。特に、2011年以降は、過激派組織イスラム国(IS)の台頭やアラブの春以降の地域の混乱が長引いている。

(出典:ウプサラ大学紛争データプログラム

世界で続く主な戦争

日本では、「戦争を知らない世代」という言い方をすることがあるが、これだけ世界で戦争や紛争が続いていることを考えると、知らないではなく、見ていないだけだと言える。ウクライナやトルコ、シリアなどにはまだ旅行したことも出張したこともないが、どんな状況なのだろう。初めての海外出張の国際会議で横に座ったジョルダンの代表とはDNAの近さを感じたけど、元気なのだろうか。メディアも国や社会の空気感に流されるのではなく、ジャーナリストとして矜持(きょうじ)を持って報道活動を続けてしてほしいと思うし、国民もアンテナ感度を高く維持する必要があると思う。

(出典:Abema Times)

論点2:戦争の正義(jus ad bellum)とは?

戦争違法化の歴史

悲惨な戦争を経験すると2度と悲劇を繰り返さないようにと仕組みづくりが行われてきた。代表的な枠組みは1625年の「戦争と平和の法」だろう。その後も条約や憲章が署名されてきたが、戦争自体はなくなっていない。なぜ無くならないのかといえば、それぞれの国がそこに正義があると考える場合が多いためだ。正義とは厄介なものだ。勝てば官軍とも言う。勝った国の正義が採用されるので、勝つまで戦うことになる。勝っても得るものがないような枠組みならば無駄な戦いはなくなるだろうが、そのような枠組みにはなっていない。

(出典:日本経済新聞)

戦争と正義

1万年以上続いた縄文時代には兵器がなかった。縄文人は日々大自然や自然災害と戦うために協力しあったのだろう。自然と共存することを志向し、山の神、海の神を畏敬した。しかし、弥生時代になり、農作が始まると農地を耕作したり、収穫した穀物を管理するための組織が必要となる。当然、組織と組織は利害関係がぶつかることもあり、戦いとなる。日本では、戦国時代でも戦うのが武士であり、一般の平民や農民を傷つけることはなかった。武士が戦いに出かける時も、農民から食料を(平和的に)調達できた。しかし、欧米諸国は力で他国を制覇した。スペインやポルトガルは南米を相次いで支配し、先住民の文化を破壊した。フランスやイギリスはアフリカやアジアの諸国を相次いで植民地化した。日本も狙われたけど、強敵なので、まずは中国をアヘンで制覇しようとした。当時の白人は、日本人を除き、有色人種を同列・同格には見てはいなかった。植民地化政策を進める諸外国にも多分正義はあったのだろう。しかし、それに対して立ち上がったのが当時の大日本帝国だったのではないか。日本の正義と欧米の正義のぶつかり合いが大東亜戦争だった。ポール・ボイアーは、「社会が過去を管理する任務を委ねるのは歴史学者をおいて他にはいない」という。歴史学者の責任は重大だ。

(出典:戦争と正義

戦争と平和の法

先述したように、「戦争は違法」とする活動の先陣を切ったのが、国際法の父と呼ばれるオランダの法学者フーゴー・グローティウス(1583年4月10日-1645年8月28日)だ。グローティウスは1625年に「戦争と平和の法」を世に出した。そこでは、戦争の正当な理由を自己防衛・財産の回復・処罰に限り、土地を奪う戦争や意思に反して他人を支配する戦争などを不正な戦争とする正戦論を主張した。正当な理由とはつまり正義だ。しかし、正義は立場によって異なる。A国とB国がほぼ同等の実力で平等の立場なのか、それともA国が圧倒的にB国よりも優位なのか、その状況や環境によっても正義は慎重は判断されるべきだろう。

(出典:ワールドフォトサービス

論点3:日本人は自虐史観から脱却できるのか?

WGIPに基づく自虐史観

日本の若い人たちは、終戦番組をこわい、つまらない、よく分からないと敬遠するようだ。視聴率が稼げないためかNHKが特番を少し放送するぐらいだ。なぜかといえば、日本が悪いことをしたと言う罪悪感を日本人が持っているためだ。日本の子供たちは自己肯定感が世界の先進国の中で極めて低いというレポートがある。しかし、このような自虐史観を日本国民が共有するのは理由がある。それは、アメリカの「初期対日占領方針」の中にある。アメリカは、日本国民を恐れていた。2度とアメリカに刃向かえないようにするにはどうすれば良いかを戦中から研究して、終戦後はそのプログラムを忠実に実践した。それが、WGIPだ。具体的には、日本人に戦争の自虐史観を植え付けることだ。つまり、連合国軍の正当性、大東亜戦争は日本の悪辣非道な侵略戦争だったこと、原爆投下の正当性、そして極東国際軍事裁判の正当性を植え付けることだ。76年経過しても日本人は自分たちが悪かった。世界の強国であるアメリカに戦争を仕掛けた日本人が馬鹿だったと言う論調がまだ続いている。本当にそうだったのか。

(出典:団塊世代のガラクタ帳)

自虐史観からの脱却

あの戦争をなんと呼ぶべきか。戦争当時は大東亜戦争と読んだ。戦後、太平洋戦争という呼び方が変わった。なぜ、GHQは戦争名を変更するように指令したのか。それは、戦争名が戦争目的を連想させるためだ。1941年(昭和16年)12月8日に公表された宣戦の詔書では「帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起って一切の障礙を破砕するの外なきなり」と宣言されている。つまり、自衛のための戦争だ。今、アジア諸国を白人の支配下にし続けることを拒否し、アジア人のアジアを創り上げる解放戦争としている。それが大東亜戦争を始めた理由であるならば、戦争を正当化するつもりはないが、理解はできる。戦わずして降伏した国がどうなっているのかは、南米やアフリカを見れば予測がつく。日本人の意地とプライドをかけた戦いだったのではないだろうか。

(出典:アマゾン

論点4:日本国の願いはなんだったのか?

戦争の目的

欧米は世界の植民地化政策を進めていた。残るはアジアだった。日本はそれに対して独立を目指した。しかも、自国の独立だけではなく、アジア諸国の独立を宣言した。今から考えると壮大な無謀と言えるが、日本の平和的な勢力はアジアに広がっていた歴史もあったようだ。南蛮貿易が盛んな16世紀の頃には東南アジアの港町に日本人町があった。タイのアユタヤには1,000人から1,500人の日本人が住んだ。それ以外にもベトナム(当時の阮朝)のホイアン、マレー半島のパタニ王国、カンボジアのプノンペン、フィリピンのマニラなどにも日本人町があった。欧州諸国もこれらの国を植民地化しようと画策したが、当時の日本の武士にやっつけられたという話を聞いたことがある。アジア諸国のための共存圏として、大東亜共栄圏と呼んだのだろう。

大東亜戦争か太平洋戦争か極東戦争か

なので、日本では大東亜共栄圏を死守するための大東亜戦争としたが、GHQは日米を中心とした戦争とするために太平洋戦争と改名させた。これではアジア諸国の独立を支援するという要素がこの名称からは窺い知れない。1980年には、「アジア太平洋戦争」の呼称が提唱された。極東戦争とする意見もあるようだ。個人的には、改名せずに、当初の名前を堂々と使えば良いのにと感じるが、やはり弊害があるのだろうか。それともWGIPの効果がまだまだ有効なのだろうか。

(出典:アマゾン

論点5:原爆投下は許されるのか?

アインシュタインからルーズベルトへの書簡

特殊相対性理論及び一般相対性理論などを提唱したアルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日-1955年4月18日)は平和主義者だが、1939年10月にはアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトに書簡を送付し、そこに原子爆弾の開発を求めるサインをしている。アインシュタインの書簡を受け取ったルーズベルトはその10月のうちにウラン諮問委員会(Advisory Committee on Uranium)を設立し、これが広島、長崎に投下された原爆の開発「マンハッタン計画」へとつながった。さらに、翌年1940年8月には、蔣介石総統と宋美齢夫人からの軍事支援の要請を受け、アメリカ合衆国義勇軍(AVG:American Volunteer Group)を設立した。翌年1941年3月には、米軍籍を抜いたアメリカの最新戦闘機カーチスP-40など約100機と、民間による義勇兵として米軍パイロット100名、地上米兵200名を集めて、当時の中華民国に送っている。歴史学者のスチーブン・スニエゴスキによると、コーデル・ハル国務長官は「日本が数日のうちに真珠湾を攻撃することをルーズベルト大統領が知っている」と漏らしたという。ルーズベルト大統領の読み通り日本は真珠湾攻撃を行い、米国が参戦する口実を作ってしまった。ルーズベルト大統領には、原子力爆弾を投下するところまでイメージできていたのではないかと想像してしまう。

戦時国際法(Low of war)

戦時国際法には、軍事的必要性(military necessity)と人道性(humanity)の原則、法的基盤がある。戦時国際法は、第1に戦時国際法が適用される状況の規則、第2に交戦当事国間の戦闘方法を規律する規則、第3に戦争による犠牲者を保護する規則、第4に戦時国際法の履行を確保する規則などから構成する。戦時国際法では、敵の信頼を裏切る目的を持ちながら敵の信頼を誘う背信行為を禁止している。また、軍隊に編入されていない一般市民を非戦闘員と呼び、これら非戦闘員及び降伏者、捕獲者の保護を規定し、危害を加えることは戦争犯罪と規定している。また、占領地の国民などを文民と言い、人道的に取り扱われる権利があるとする。女性も保護される。これらは、1949年のジュネーブ諸条約と1977年のジュネーブ条約追加議定書で規定されている。

(出典:DHCテレビ

米国平和活動家が原爆投下の謝罪訴え

前述の戦時国際法が有効なのであれば、米軍による無差別な爆弾投下が許されるものではない。ましては広島と長崎に原爆を投下することが許されることではない。米国では原爆投下によって、太平洋戦争の終戦を早められたとする「原爆正当化論」が支配的だが、2017年7月7日に国際連合で採択され、2021年1月22日に発行された核兵器禁止条約(TPNW:Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)を受けて、米国内でも原爆投下の非人道性を訴える活動が広がっている。2021年8月6日には、米ワシントンのホワイトハウス前で、米国の平和活動家や市民ら計約30人が核兵器廃絶を求める集会を開き「被爆者や日本国民に謝罪したい」と訴えた。

(出典:毎日新聞

もし時代を遡れるなら

1941年に戻れるとしたら、当時の日本にはどのようなオプションがあったのだろう。3つのシナリオを考えたが、いずれも簡単ではない。

シナリオ1:戦争放棄

欧米列強に戦わずに降伏していたら、日本は欧米の植民地にされていただろう。日本国内でも電力の周波数が東西で異なるように東西に分断されていたのではないか。実際、1951年のサンフランシスコ講和会議において、戦勝国である連合軍は日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めた。下の図は、当時のソ連が提案した分割統治案だ。ソ連が北海道と東北、アメリカが関東、中部、関西、沖縄、中国が四国、イギリスが中国と九州だ。これの阻止に貢献したのがスリランカの初代大統領J.R.ジャヤワルダナだ。「アジアの将来にとって完全に独立した自由な日本が必要である。」と分割統治案に反対して、日本を最悪の事態から救ってくれたことを忘れてはいけない。そもそも日本国民はこのことをどれだけの人が知っているのだろう。

(出典:YouTube)

シナリオ2:原子力爆弾の開発

当時、日本でも原子力核分裂による兵器を開発する可能性について天皇に説明したと言う。しかし、そんな非人道的な兵器を開発してはいけないと諭されて、日本の科学者は諦めた。米国が日本に原爆を投下したら逆に報復されるかもしれないと米国を牽制できていれば、米国は原爆を投下できなかっただろう。アジアの開放を願う日本人として、原爆を開発しないという当時の天皇の英断はさすがだし、素晴らしいと思う。

(出典:Wiki)

シナリオ3:日英同盟の維持

1902年(明治35年)に締結された日英同盟は明治の時代には継続更新されたが、1921年(大正10年)のワシントン海軍軍縮会議でワシントン海軍軍縮条約が締結された。同時に、日本、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国条約が締結され、これに伴って日英同盟が1923年(大正12年)8月17日に失効した。しかし、もし4カ国条約の締結後も、日英同盟が有効だったなら、違った世界が見えたのではないかという気がする。

まとめ

終戦の日ということで、戦争とは何か、戦争の正義とは、日本人は自虐史観から脱却できるか、日本国の願いはなんだったのか、そして原爆投下は許されるのかについてレビューしてみた。難しいのは、戦争は過去のことではなく、現在も中東で続いているし、将来もあるかもしれない。それぞれの国は正義を主張するかもしれないけど、結局はエゴだ。戦時国際法という優れた法規制がある。ルールを整備し、ルールを守ることが望まれる。もし、ルールを守らずに戦争してもその正義を認めないというルールが徹底できれば、理不尽な戦争も少しはなくせるのではないか。しかし、力なき正義は無力と言うように、どこに抑止力を持たせるのかは永遠の課題だ。これからの世界を考えた場合には、やはり中国が台風の目だろう。中国と米国の勢力が拮抗する時期が特に危険だ。お互いの国が切磋琢磨することは良いことだが、戦争は避けたいし、少なくとも軍事国際法が遵守される平和な世界でありたい。そのためには何が課題なのだろう。

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
なお、アイキャッチ画像の出典は枻出版社です。唯一飛行できる零戦だ。素晴らしい。

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