はじめに
わさびについては、次のように3回にわたって投稿中の2回目だ。
・その1:わさびの効用
・その2:わさびの種類と起源(⇨今回の投稿)
・その3:わさびのリスク
2回目の今回は、水わさびと山わさびの違いと、その起源を遡ってみたい。まさか、ギリシャ神話に辿り着くとは思ってもみなかった。日本人の起源とも通じる面があるように感じるのは自分だけだろうか。また、同じMBAで学んだ学友が一般社団法人日本わさび協会を設立した。素晴らしい。
わさびの知識や歴史、下ろし方などを分かりやすく解説している。さすがです。また、全20問で構成する「わさび検定」を実施し、10級から初段に判定される。何度でもチャレンジできるので、ぜひ奮ってトライしてほしい。特に、日本固有の本わさびについて愛情を持って本協会が全力で取り組んでいる。わさびに関する理解が深まり、わさびを愛用する人が増えるといいなあと思う。
(出典:一般社団法人日本わさび協会)
わさびの種類
わさびには、本わさびと山わさびがある。蕎麦や寿司、刺身などで使うのは本わさびだ。一方、ねりわさびで使われているのは山わさびだ。(出典:Daily Portal)
本わさび
日本原産の本わさびは、栽培方法によって、水耕栽培する「水わさび(沢わさびともいう)」と畑で作る「畑わさび」に分けられる。水わさびは、渓流や湧き水などキレイな水場で栽培される。一方、畑わさびは湿気が高い気温が低い畑やビニールハウスで育てる。わさびの学名は、Wasabia Japonica Matsumと言う。Wasabiaはワサビ(Wasabi)に由来するし、JaponicaはJaponicus=日本の意味だ。
(出典:ふじのくに)
山わさび(西洋わさび)
山わさびは、「西洋わさび」や「わさび大根」と呼ばれるヨーロッパ原産の野菜だ。山わさびは、山の字がつくとおり、水ではなく畑で栽培される。ヨーロッパでは、「ホースディッシュ」や「レフォール」とも呼ばれ、特にローストビーフの薬味に合う。山わさびは生命力が強く、栽培が簡単で寒い地域でもよく育つ。肥料や散水も不要だ。山ワサビの一大生産地は北海道。その中でも網走、斜里あたりの「斜網地域」が盛んだ。東京ではピンとこないけれど、北海道では山ワサビは本ワサビ以上に一般的だ。学名は「Armoraciarusticana」と言う。
(出典:Makaroni)
わさびの起源
本わさびの起源
わさびの語源は諸説ある。まず、通常は「山葵」と書いて「わさび」と読む。なぜだろうか。918年(延喜年間)に醍醐天皇の侍医として支えた深根輔仁撰が編纂(へんさん)した本草和名(ほんぞうわみょう)という日本現存最古の薬物辞典(本草書)によると、「深山に生え、銭葵(ぜにあおい)の葉に似ていることから山葵(やまあおい)の名が生まれ、のちに和佐比(わさび)という漢名がついた」という。また、心臓形の葵の葉に似て、沢に生えていることで沢葵(さわあおい)と呼ばれ、これが短縮され「サワヒ」となり、転じて「ワサビ」になったとの説もある。本わさびの起源については、「IKITOKI」に詳しく書かれていたので、引用したい。
飛鳥時代
飛鳥京遺跡(奈良県明日香村)から、「委佐俾(わさび)三升」と書かれた木簡(木の札)が出土した。“わさび”の保管に付けられたとされる日本最古の木簡とされ、その地域の庭園は、“薬草園”でもあった可能性を示した。
平安時代
日本最古の“薬草辞典”「本草和名」に「山葵」が記載されている。
また、法令集「延喜式」にも、山葵が辛いものを意味する「薑:はじかみ」の字を用いた「山薑」として登場。納税方法の中に「山薑」が記され、年貢(租税)として納められるほど価値があったことが伺える。中期には香辛料として使われはじめ、平安の漢和辞書「倭名類聚抄」には、芥(からし)などと共に、山葵(わさび)が記載される。
鎌倉・室町時代
日本最古の料理書「厨事類記」に、寒汁(冷や汁)に「山葵」を添えると記される。室町時代、包丁流儀の始まりである料理書「四条流庖丁書」には、塩・酢・味噌も見られるが、“鯉の刺身”には「山葵酢(わさびず)」を使うとある。鎌倉・室町時代に日本料理の基礎が出来たとされ、すでに“わさび”は活躍していた。
江戸時代
有東木(静岡市)にて“わさび”の本格的な栽培がされる。駿河城に移った徳川家康に献上したところ、味や風味を絶賛し、徳川家の“葵(あおい)の家紋”に、山葵の葉が似ていたことで門外不出とするほど珍重したと言われる。その後、しいたけ栽培で訪れた板垣勘四郎が、わさびの苗を伊豆に持ち帰り、やがて全国で栽培される。その頃すでに“わさび”は、刺身や蕎麦に添えて食されていた。江戸時代後期、江戸前の新鮮な魚を酢飯で握り、わさびを入れた“江戸前寿司”が大流行したことで、“わさび”は庶民に急速に広まった。その後、粉わさび、練りわさび、本おろしわさびへと発展し、今日に至る。
(出典:IKITOKI)
慶長年間(1596-1615)に、静岡県静岡市の安倍川流域の有東木で栽培がはじまったと言う。当初は門外不出だったが、その後100年ほどかけて普及し、天城や富士山麓で栽培されるようになった。現在も全国生産量第1位は静岡県だ。江戸時代に栽培が広がったのは、当時、江戸において寿司やそばが庶民の間で普及したことが関係しているようだ。
(出典:蔬菜図巻、呉春、江戸・18世紀)
西洋わさび(山わさび)の起源
山わさび(西洋わさび)はイギリスではホースラディッシュ(horseradish)、フランスではレフォール(raifort)と呼ばれる。ドイツではクレン(Kren)、南イタリアではラファノと呼ばれ、卵、チーズ、ジャガイモを加えた「ラファナータ」と言う料理もある。西洋わさびはアブラナ科トモシリソウ属でヨーロッパ原産の多年性植物だ。日本には明治初年に伝来し、西洋料理ではローストビーフなどの付け合わせや、ソースの具材として使われる。辛さは本わさびの約1.5倍あり「粉わさび」や「チューブタイプ」の加工わさびの原料として使われている。
西洋わさび(Armoraciarusticanaとは
アブラナ科、トモシリソウ属でヨーロッパ原産の多年性植物です。ホースラディッシュまたはレフォール、北海道では山わさびと呼ばれます。日本には明治初年に伝来し、西洋料理ではローストビーフなどの付け合わせや、ソースの具材として使われます。辛さは本わさびの約1.5倍あり「粉わさび」や「チューブタイプ」の加工わさびの原料としても使われています。
産地
日本では加工わさびの原料として、以前は、長野県、埼玉県、北海道で栽培されていましたが、現在では北海道が主な産地になっています。日本の使用量の大半は、加工わさびの原料ですが主に中国からの輸入原料でまかなわれています。
歴史
ギリシャでは紀元前より使用され、1世紀頃にはローマ帝国で香辛料として使用されていたと言われています。そして、13世紀頃にはドイツでソースとして魚や肉料理に使用され、その後、イギリスに伝わり急速に普及した様です。
栽培
西洋わさびは種子が出来にくく、根で増殖します。日本の主な生産地の北海道での植え付け時期は5月頃で、収穫時期は10月~11月頃です。原産地であるヨーロッパの気候に似ている北海道が栽培に適しています。(出典:Casa)
ホースラディッシュの起源に関する追加トピック
ギリシャ神話
ホースラディッシュの歴史は古い。ギリシャ神話では、デルフィックの神託者がアポロンにホースラディッシュは金の重さに値すると言ったという(出典:The Encyclopedia of Healing Foods)。ギリシャでは紀元前より使用され、1世紀頃にはローマ帝国で香辛料として使用されていた。
(出典:amazon)
ポンペイの壁画
ポンペイの壁画とは、古代ローマの壁画だ。ドイツの考古学者A・マウによって発掘された。ポンペイはイタリア・ナポリ近郊にあった古代都市であり、西暦79年のある昼過ぎにヴェスヴィオ火山噴火の火砕流により地中に埋もれた。その遺跡はユネスコの世界遺産に登録されている。ポンペイの壁画には、「Armoraciarusticanaの根」が描かれている。長老プリニウスが「NaturalisHistoria」の中でArmoraciaの名でその薬効を推奨している。
(出典:ティエポロソースによるフローラの勝利)
生息分布
ホースラディッシュは、ヨーロッパ東部の標高800~1400メートルの地域に生息し、ロシア南部とアジア南西部が原産で、ヨーロッパや世界の湿度の高い地域、レイノサにも帰化している。アラゴンとカタルーニャのピレネー山脈の麓に生息している。が、耕作放棄によりますます少なくなっており、他の地域でも時々見られる。果樹園の縁や荒れた土壌に生息し、自然発生的に発生する。ホースラディッシュの根も葉も、中世には世界中で薬用として使われた。根はドイツ、スカンジナビア、イギリスで肉につける調味料として使われた。アメリカ先住民は腺を刺激し、壊血病を防ぎ、風邪の発汗剤としての効果があることを知っていた。胡椒や唐辛子が普及する前のヨーロッパでは、ワサビやマスタードが唯一の調味料だった(出典:Historical notes on horseradish)。
ロシア南部とアジア南西部が原産
果樹園の縁や荒れた土壌に生息し、自然発生的に発生する。ヨーロッパ東部の標高800~1400メートルの地域に生息し、ロシア南部とアジア南西部が原産で、ヨーロッパや世界の湿度の高い地域、レイノサにも帰化している。アラゴンとカタルーニャのピレネー山脈の麓に生息している。
まとめ
本わさびを調べると山わさびが気になった。北海道では山わさびが主流だ。ロシアやアジア南西部が原産でギリシャ、ローマの時代から薬草として重宝されてきた。もしかすると日本人の祖先にあたる人々がロシアやバイカル湖を通過して、樺太経由で日本(北海道)に持ち込んだのではないかという仮説を思いつく。この仮説が正しいのかどうかはさらに時間をかけて調べて行く必要があるだろう。ニラも同様のルートで持ち込まれた可能性がある。シュメール人と日本人の祖先との関係についても引き続き調べていきたいと思った。
以上
最後まで読んで頂きありがとうございました。
拝