はじめに
新しいものが好きなのは親父から受け継いだ遺伝子だ。戦後シベリア抑留から帰国して青果業にチャレンジしていた親父は、昭和30年代に周りのどこよりも早く白黒テレビを買い、電話をつけ、ソーラー温水器を屋根に取り付けた。自分が5歳、親父が42歳の時にあの世へ逝ってしまったので裕福ではなかったけど、お家には魅力的なものが色々あった。そんなアイテムの一つがカメラだ。
キヤノネット
家族で旅行したり、海水浴場に行ったり、遊園地に行ったりした時の写真が残っている。今なら当たり前だけど、当時では多分珍しかったのだと思う。しかし、誰も使わない時期のカメラを自分が気づいたのは小学生高学年の頃だったと思う。兄貴に聞いてフィルムを装着して、京都の神社仏閣を訪問しては、写真を撮ったりした。調べるとこのキヤノネットは1961年(昭和36年)の発売なので、自分が4歳の時だ。当時の平均月収が2万円の頃に1万8,800円で発売されたこのカメラを親父は思い切って購入したのだろう。そして、自分の寿命を知っていたかのように、記念写真を撮り続けてくれた。2歳上の姉はなぜ私の幼少の頃の写真はないのに、弟(=自分)の写真があるのかと拗ねたらしい。このキヤノネットの特徴は、レンズの周りにあるセレン光電池だ。今の太陽光電池と違い、その目的は発電ではなく、電池レスで露光を測定することだ。自動露出機能は当時としては先進的だったに違いない。
図1 キヤノネット(参考1)
35mm一眼レフカメラの発展史
日本で初めて国産の一眼レフカメラを発売したのは、ミランダカメラだ。1954年にフェニックスカメラを発表し。1955年8月に発売した。二番手は1957年のアサヒペンタックス、三番手は東京光学機械(現トプコン)、そして、ミノルタカメラ、キヤノンと続く(参考2)。
図2 30mm一眼レフカメラの発売状況
カメラの起源
カメラの原理は紀元前4世紀当時に哲学者のアリストレスが語っていたというので、アイデア自体は古い。最初のカメラの原理は「カメラ・オブスキュラ」の原理を活用した。つまり、光が小さな穴を通ると、反対側の暗い部屋に逆さまの映像が投射される。このラテン語で暗いがオブスキュラ、円天井の部屋を意味する「camara」からカメラとなった。日本語で言えば針穴写真機か。江戸時代の天才・平賀源内(1728-1780年)はこの針穴(ピンホール)現象を活用して日本で初めて映像を投影したという。江戸時代になるとペリー艦隊と共に写真家ブラウンが1854年に来航した。下田生まれの画家下岡蓮杖はオランダ人通訳のヒュースケンやアメリカ人のウンシンから写真技術を学んだ。そして、日本で初めて横浜で写真館を開設したようだ(参考3)。
アナログ写真からデジタル写真へ
図3の縦の単位は10億枚だ。世界で撮影されたフィルム式のアナログ写真の枚数は、1930年台には10億枚、1960年には30億枚、1970年には100億枚と増加し、2000年の870億枚をピークにして、2010年には40億枚まで減少した(参考4)。それに代わって出現したのがデジタルカメラだ。InfoTrendsによると2017年には世界で1兆2,000億枚のデジタル写真が撮影された。世界人口75億人として、一人平均年間160枚の写真を撮影した計算で、この傾向はさらに続いている(参考5)。
図3 年間写真撮影枚数の推移
スマホで写真
スマホの利用台数は、2020年9月末で1億8,917万台を突破し、一人平均1.5台所有する世界だ。スマホが普及し、手軽にスマホで写真を撮影できるようになった。写真を撮っても現像はしない。スマホの画面で楽しんだり、SNSにアップして楽しむ世界だ(MMD総研、参考6)。
図4 写真撮影する端末の利用
写真を撮り始めた機器
スマホの普及に伴って初めて写真を撮るときのデバイスが年齢層によって大きく異なる。60台、70代はフィルム式のカメラで育った年代だ。しかし、今の10代は59%がスマホで初めて写真を撮影している。まさにスマホネイティブだ。そんなスマホネイティブの36.5%はデジタルカメラを保有しているが、使うのはスマホだ(参考7)。インスタ映えするような写真を上手に撮影する。すごいと思う。
図5 写真を撮り始めた時の機器
写真のニーズ
スマホの機能は日々進化している。画質が向上し、高速撮影も可能だ。しかも、素晴らしいのが手振れ補正だ。非常に賢く処理している。しかし、いくら機器が進化しても良い写真を撮れるかというとやはり撮影する人のスキルに依存する。特に、子供の運動会や、遠足や記念の写真などはプロの腕前には敵わない(参考8)。
図6 撮影シーンによる被写体別ニーズの体系化
生き残る写真館と成長するスタジオアリス
日本技術士会が月刊で発行する「技術士」に記事を投稿することになった。写真をつける必要がある。これまで500円の自動撮影機を利用していたが、今回は思い切って町の写真館を利用することにした。ざっと40-50枚を撮影し、その後絞り込む。撮影する人からは、胸をはって、笑顔、目力、右肩が下がっていると矢のような注文が飛んでくる。時々ヨイショもしてくれる。それが下の写真だ。それにしてもモデルの方は偉いと思う。表情筋が硬くなっている中年の親父にはきつかった(笑)。
今後の写真サービス
撮影した写真を家族で楽しみたいというニーズはある。これをうまく実現したのがmixiの「みてね」だ。2015年4月にサービスを開始し、2018年7月に300万人利用を突破し、2020年8月には800万人利用を超えた。さらに2021年3月には1000万人利用を超えた。素晴らしい。無料でも十分使えるかど、プレミアム(月額480円)にすれば、人物ごとのアルバムを作ったり、パソコンからもアップロードしたり、便利な機能が色々ついている。1分間動画も作成できる。これは楽しい。
図7 mixiが提供する「みてね」の利用者数の推移
まとめ
1990年にアップルのパソコン「LC2」を購入して、Niftyのフォーラムに参加してチャットをしていた時に、富士写真フィルム(当時)の方と、写真の将来について意見交換をしたことがある。カシオが1995年にデジタルカメラQV-10を発売したが、画質も悪く、到底当時のフィルム式写真の高い品質とは比べるものにならなかったけど、画像の処理技術は日々進化する。そのうちフィルム式写真は淘汰されると発言したら、そんなことは絶対ないと反論してきた。どちらが正解かは明らかだけど、そこで感じたことは人間は自分にとって不都合なことは、理屈ではわかっていても、理解したくない、もしくは理解しない生き物だということだ。世の中の変化は公平だけど、その影響を受けて甚大な被害を受ける人もいれば、その変化を受け入れてさらに躍進する人もいる。富士フィルムは、当然後者だ。現在の主な事業は化粧品事業、医療品事業、再生医療事業などだ。コロナ禍で大変な影響を受けている人もいるけど、それをバネにうまく対応している人もいる。激変の時代に生き残るのは、強い種ではない。変化に追随した種だ。これは進化論を唱えたダーウィンの有名な言葉とされている。でも、本当はダーウィンを研究して論文に発表した米国の経営学者レオン・メギンソンらしいが論文中に書いた言葉だという。まあ、どっちでも良いけど、変化を起こす人になりたいと思う。
以上
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拝