はじめに
みなさんは「實語教(実語教)」について聞いたことがありますか?戦前の教育を受けた人ならご存知でも、聞いたことがない人やよく分からない人が多いと思います。年間200回ほど全国の学校を訪問していた時期に、校長先生や教育委員会に実語教のことを話題にしても、ご存知の方は極めて少なかった。なぜなら、学校教育では扱っていないからだ。しかし、実語教とは、平安時代の頃から寺子屋などで日本の子供達への道徳教育のバイブルとして使われていたものだ。
福沢諭吉の「学問のすゝめ」のオリジナル
1872(明治5)年に初編が出版され、1876(明治9)年に17編までが揃って完成した。「實語教」は知らない人は多くても、この「学問のすゝめ」を知っている人は多い。当時の日本人の人口が3000万人だったのに、300万部以上が売れたという。今で言えば、1000万部が売れるという超超ベストセラーだ。しかし、この学問のすゝめで説いていることの多くは実語教で説いていることだし、実語教にも言及している。つまり、明治の頃は実語教で学ぶ知識が常識だったと言える。
寺子屋の意義
寺子屋の起源を調べると仏教寺院に設立された17世紀初頭の教育施設だった。江戸時代になると江戸や大阪だけでなく全国の農村部や沿岸部に寺子屋が広がった。1850年頃(江戸時代末期)の寺子屋への就学率は70-86%に達した。これはイギリスの20-25%(1837年)、ロシア帝国時代のモスクワの20%(1850年)に比して格段に高い。幕末期には村民の91%が寺子屋に入門し、1877年のある調査では「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率は「男子89%、女子39%」だったという。日本では、浮浪者が新聞を普通に読むが、外人はそれにびっくりするという。そんな識字率の高さは江戸時代の寺子屋が貢献したものだ。
勝ち組と負け組
現代社会は、経済システムが根本にあり、金儲けに成功した人を勝ち組、そうでない人を負け組という。そんな社会にいつからなったのだろうか。自動車会社による燃費の詐称事件や認定されていない試験官による最終検査の実施などモラルの低下が叫ばれているが、これも利益至上主義の弊害ではないのか。日本の企業は品質重視だった。匠の技を磨き、誰も真似をできないレベルまで品質や機能を高めることを誇りとした。暗黙知を形式知にすることの意義は否定しないが、そんな職人的なプライドを持つ日本人は少ないのではないか。
實語教の教え
實語教は下の図のように漢語だ。しかも5文字の漢語がペアとなっていて、韻を踏んだり、対比法を活用したりするので読みやすく覚えやすい。中には難しい仏教概念も含まれているが、昔の日本人の子供達は、5歳とか6歳の頃から意味も分からずにまずはこれを暗唱する。7歳とか8歳になって文字を読めるようになると実語教の内容を写経した。つまり、書いて覚えた。実際に実語教の意味を理解するのは9歳とか10歳と可かもしれないけど、その教えは日本人のDNAとして魂に刻まれる。極論すれば、実語教は日本人のDNAと言えるのではないだろうか。
(出典:問道)
現代の子供への教え
この実語教を学ぶことは、子供だけではなく、大人こそ必要かもしれない。大人がまず理解し、共鳴することができなければ、子供に教えることはできない。また、心配なのは教育の現場や教育委員会がこの考えに共感するのかどうか。ある校長先生は、実語教の素晴らしさは理解できるけど、教育勅語を批判する声がある中では難しいと言われていた。実語教の教えには、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由(よっ)て出来るものなり」があるが、そんなことを今の子供は教わっているのだろうか。お金を儲けて勝ち組になることを目指すために勉強するのだろうか。どちらが正解かは個々の判断に委ねざるを得ないけど、何のために勉強するのかという素朴な質問にきちんと答える社会でありたい。
YouTuberになりたい
勉強して、有名大学に入って、一流企業に入る。それを否定はしないが、それだけが目的だとしたらあまりに悲しい。子供達は反論する。YouTuberになれば何千万円も稼げるよ。有名大学を出て、一流企業の部長をしているパパの年収をはるかに超えるよ。お金を稼ぐことが勉強の目的だと考えるのだとしたら、そんな風に主張する子供をどのように諭すのだろう。もしくは、人気YouTuberになるには、こんなことが大事だよとか、こんなことに注意する必要があるよと教えることも一興かもしれない。
UNICEFの調査
日本の子供達は勉強ができる。特に数学や科学は優秀だ。しかし、コンピュータの利用は先進国の中でも底辺だ。そして、最もショックなのはUNICEFの調査だ。日本の子供達は、「自分は寂しいと思おうか」という質問と、「将来は単純で楽な仕事に就きたいか」という質問ではいと回答した比率がダントツの1位だった。いつからそんな寂しくて、向上心のない子供達が増えたのか。日頃子供達に接していても、そんなことは感じない。しかし、今後働く母親がさらに増えて、保育所が整備されると、寂しい子供達がもっと増えてしまうことにならないのだろうか。
(出典;OECDやUNICEF資料を基に筆者が作成)
まとめ
明るく生き生きとした子供達に接すると幸せな気持ちになる。元気になる。逆に、目を伏せて、悲しい表情の子供達に接すると悲しくなる。日本の子供達が元気になり、もっと将来に希望を持ち、そして、そんな将来に向けて日々切磋琢磨する。そんな社会にするにはどうすればいいのだろう。現実問題としては日本人の子供たちに教えるよりも、海外の途上国の学校で子供たちに教える方が早いのかもしれない。日本人が日本人の魂を思い出せずに、海外の子供達が日本人の魂を手に入れて生き生きと活躍する社会を目指すは日本人として微妙な気持ちになるが、海外でのムーブメントが日本を変える可能性に賭けるという作戦はあるのかもしれない。どうだろう。
以上
最後まで読んで頂きありがとうございました。
拝