はじめに
NHKが考えるデジタル戦略のその1としてNHK放送総局特別主幹の草場さんのパートを中止にまとめた。今回は、それに続いてNHK第一制作センター新領域チーフボロデューサーの宝木さんとメディア編成センターの鵜殿さんによる講義を拝聴して、気になったことや理解したこと、感じたことを中心にまとめた。今年度のメディアコンテンツ特別講義はこの第10回が締めとなる。これまでありがとうございました。
その1:草場さんによるテレビの現状と課題 (前回の投稿)
その2:宝木さんと鵜殿さんによるサービスと社会課題(⇨ 今回の投稿)
サービス担当の思い
NHKの全般的な話の後、サービス担当の思いというタイトルで講師を引き継いだのが、NHKの第一制作センター新領域チーフ・プロデューサーの宝木太郎さんだ。
講師の紹介
宝木さんは、NHKに入社するに至った経緯として、父親がパリに赴任しているときに、パリを訪ねて、ルーブル美術館ぐらいは見ておけと言われ、美術が嫌いで歴史もわからない自分が行って楽しいはずがないと思っていたのに、実際尋ねてみるとサモトラケのニケなど心揺さぶものと出会え、非常に楽しかったと言う。まずは自分の目で見て感じることが大事なのだという点に共感した。
(出典:ひろしまジン大学)
サモトラケのニケ
宝木さんが感銘を受けたサモトラケのニケとは、サモトラケの有翼勝利像(The Winged Victory of Samothrace)とも言い、エーゲ海北部のサモトラケ島で発見された奉納像だ。ヘレニズム期のギリシャ彫刻の傑作で、紀元前2世紀初頭に作られたものだ。頭と腕を失った女神ニケ(勝利)の像と、船の舳先をかたどった台座で構成されている。台座を含めたモニュメントの高さは5.57m、像の高さは2.75mだ。この彫刻は、ローマ時代のコピーではなく、原型が残っている数少ないヘレニズム時代の主要な彫像の一つだ。このニケは1884年からパリのルーブル美術館の大階段上に展示されている。生きているうちにしっかりと行って、現物を見てみたいものだ。宝木さんは、芸術家の父親に日本で日本人にこのニケを見てもらうにはどうすればよいかを相談し、芸術家になるかプロデューサーになるかとアドバイスされ、それがNHKを目指すきっかけになったようだ。面白い。
(出典:梅澤浩太郎のブログ)
沖縄・広島
宝木さんが手掛けられた様々な作品についての説明を頂いた。宝木さんは希望のNHKに入り、その初任地が沖縄であり、初めて一人暮らしをした思い出の土地だ。そして、次の赴任地が広島だった。「広島に赴任した2002年当時は、終戦の年に20歳だった人がまだ70代後半だったので、ちゃんとコミュニケーションを取れば昔のことをおぼえている。そんな市民の人たちといっぱいお話をして、日常に生まれる不条理をすごく感じた。」と話されていた。人はなぜ戦争を繰り返してしまうのか。どうすれば戦争を世界から無くすことができるのか。そのための一つの方法は、記憶を継承すること。当事者が年を重ね、時間が経過すると過去のこととなる。そうではなく、興味を持ち続けることが大切だと痛感されたようだ。記憶は風化しても記録は残る。NHKとしてやるべきこと、やれることは多いと思う。私も3年間ほど沖縄に赴任したので、沖縄の素晴らしさは体感しているし、風化させてはいけな貴重な数多くの文化や風習、風俗は是非残していってほしいと毎年沖縄に赴任した仲間と泡盛を交わしている。
違う価値観の許容
宝木さんは「自分と違う価値観、自分が知らない価値観の存在を知る。それが許容し歩み寄るきっかけ」になると説明されていた。人は異なる思想がある時に自説に固執する傾向がある。自分は認知バイアスと教わったが、講義の中でエコーチェンバー(Echo Chamber)と呼ぶことを教わった。エコーチェンバーとは、ニュースメディアの議論においてある信念が増幅・強化され、反論から隔離される状況を指す。つまり、Aという説とBという説があり、A説を信じる人はA説が正しいという情報を歓迎し、B説が正しいという情報を意識的もしくは無意識に排除・無視する傾向があり、さらにA説が正しいと信じ込むようになる。これは、日常のあらゆる局面で発生しがちだ。宝木さんは、自分と違う価値観、自分が知らない価値観の存在を知ることが許容されることで、歩み寄るきっかけになると説く。まさにその通りだと思う。
NHKラーニング
「NHKではコンテンツを提供するときに偏っていないか、NHKとして出せる中身か」様々なフィルターとチェックを通している。「全く違う価値観の存在を許容できる初めの一歩」として活用してほしいと言われていた。確かにその通りだ。何が正しいのかを判断する前に、何がどうなっているのかを知る必要がある。そんな知りたいという要求を満たしてくれるのがNHKラーニングだ。NHKが制作してきたさまざまなコンテンツを「まなび」の視点で収載し、5分から10分のショートクリップにして公開している。実際にアクセスすると、さまざまなジャンルのトピックが掲載されていた。自分は、虫から分かる縄文時代が目に止まった。その1のfor schoolで書いたトピックはこのNHKラーニングで興味を持ったトピックを少し調べて書いたものだ。
(出典:NHKラーニング)
シチズンラボ
「ユーザー側の能動がないと成立しない」のがシチズンラボだ。NHKラーニングは知ることをテーマにしているが、このシチズンラボ(Citizen lab)は体験することが狙いだ。日本には36種類のセミがあるけど、その実態はよくわからないという。予算もつかないし、人手も限られている。そこで、NHKが一肌脱いだ。2022年3月18日(金)から10月31日(月)の期間を対象にして、全国の視聴者と連携して調査を開始している。ステップは次の4段階だ。「クマゼミの研究を通じて環境のことも見えてくることもある。これってとても大切なことだと思う。」という説明には共感しかない。「今は知らなくても、あなたに知ってもらいたがってることがきっと世の中にはあふれている」というメッセージも心に残った。食わず嫌いはしないでいろんなことにチャレンジしてみたい思う。
① 外に出てセミを見つける。
② セミの姿やぬけ殻を写真や動画で撮影する。
③ マニュアルを見て種名を調べる。観察後は見つけた場所で逃がす。
④ 調査が終わったら、調査票の種名欄など必要事項を記入して投稿する。
(出典:NHK)
社会の課題解決に向けて
三人目の講師はNHKメディア編成センターの鵜殿良(うどのりょう)さんだ。報道番組のディレクター・プロデューサとして約20年活躍し、先月までの2年間はデジタル展開を担当されたという。鵜殿さんはオンラインでの参加だった。
講師の紹介
おはよう日本、ニュース7、ニュースウオッチ9、クローズアップ現代などの報道番組を企画し、常にさまざまなテーマで切り込んでこられた。デジタル担当では、Twitterのクロ現のフォロワーを23万5千人、同じくクロ現のFacebookのフォロワーを41万人、Instagramの地球の未来のフォロワーを一万人達成した。NHKではかつての放送からデジタル社会に沿って変革が求められているが、SNSとの対応で頑張っているのは鵜殿さんの頑張りの功績だ。
(出典:YouTube)
クローズアップ現代(クロ現)
鵜殿さんが特に力を入れていて取り組まれたのがクローズアップ現代だ。クローズアップ現代は1993年にスタートし、当初は午後9:30からの放送だったが、午後7:30開始に変更された。さらにクローズアップ現代+として、毎週火曜日から木曜日の22時から30分枠の放送となり、現在は平日(月・火・水)の夕方19:30から19:57の枠で放送している。これまであまり注意してみたことがなかったけど、せっかくなので、連続で予約録画した。来週の月曜日放送分からは視聴者が一人増えます(笑)。
(出典:NOTE)
地球のミライ
クローズアップ現代で取り上げるさまざまなトピックをInstgramでも展開している。投稿数は258でフォロワーが1.1万人とある。SDGs関連のトピックをコンパクトな動画でまとめている。若い女性はInstagramの利用が多いが、一方で企業から依頼された商品やサービスをフォロワーにアピールして収入を稼ぐ人たちがいる。一回の投稿で1億円以上の報酬を稼ぎだすセレブもいるという。
(出典:Instagram)
性暴力裁判(私は被害者ではなく意思を持った一人の人間です)
鵜殿さんが特に注力したのが継続的な記事を書くことだ。性暴力裁判において被害女性が語った言葉の全文1万5千文字の長文全文を記事として紹介したところ、SNSで大反響となった。「私はこの場では被害者として立っていますが、『被害者』ではなく、意思を持った一人の人間です」、「私は、性暴力とは一人の人間から尊厳を奪う、意思を持った一人の人間を、ただの女あるいは男として、暴力の対象として、支配欲のはけ口として記号に押し込め、人格を深く傷つける、そういった罪だと考えています」、「普通の人間が、普通に安全に、これからも生きていける世の中を作る判断をしてください」、これらは見知らぬ男から性的暴行を受けた20代の女性が、裁判でついたて越しに加害者と対峙しながら、裁判官や裁判員に向けて語ったことばだ。自宅に見知らぬ男が不法侵入し、襲われた恐怖は想像に難くない。それでも大学で研究したジェンダーの知識を活かし、証拠を残し、記録し、ワンストップ支援センターに直行して検査してもらったという冷静な行動には被害者が内に持つ絶対に許せないという怒りを感じる。NHKでは「性暴力を考える」をテーマとして3年間で170本の記事を発信している。これまでのテレビでは常に新しいことが求められるが、一つのテーマを継続して発信してこそ見えてくる真実があるという。まさに継続は力なりだと思った。
(出典:NHK)
課題解決型ジャーナリズム
ジャーナリズムの意義や目的を論じるのは難しい。鵜殿さんは、ジャーナリズムのゴールは放送することではなく課題解決だと提唱する。そして、課題があることはみんな知っている。マスに向けてではなく、「当事者」に向けて狭く深く届けることが大事とと訴える。これには全く異論はない。ただし、これに偏りすぎないでほしい。新聞やニュースを読んでいると、答えが出てから報道される感じを受けることがある。答えが出ていなくても、解決先が見えていなくても、周辺国の不利益につながるときでも、自国民に影響があるニュースはまず真実を報道してほしい。2018年2月にイランのタンカーと香港の貨物船が東シナ海で衝突した。貨物船は引き揚げられて中国に入港したが、タンカーは放置され、日本の排他的水域圏で沈没した。中国、イギリス、アメリカのメディアは正確な情報を報道したが、日本のメディアはスルーを続けた。沖縄にオイルが漂流した段階でタンカーの沈没との関係の可能性が報道された。非常に残念だけど、メディアが日本国民の安全を第一に考えているとは言えないと感じた出来事だった(出典)。
オープンジャーナリズムへの展開
鵜殿さんはこれまではメディアの価値観で取材テーマを決めていたが、今後はオープンジャーナリズムへの展開が必要という。つまり、コメント欄に投稿してくれた人を追加取材し、その結果を次の記事につなげるというものだ。文春砲で有名となった週刊文春の元編集局長、文藝春秋の元編集長の新谷学さんは「親でも反でもなく書くべき事は書くでメディアはファクト(真実)で戦えと主張していたという。まさにデータジャーナリズムだ。データジャーナリズムとは、ニュース記事を作成または強化する目的で、大規模なデータセットの分析とフィルタリングに基づくジャーナリズムプロセスである。事実をベースに報道するのは、報道の基本だが、視聴者からのデータを活用するという点で新しい仕組みと言える。実際、文春砲の砲弾は十分にストックされているという噂もある。その多くが内部告発だ。悩んでいる人、困っている人に向き合って、本当に助けてくれると信頼できるパートナーが誰なのかというのがジャーナリズムの裏の課題であるようにも感じた。
学生との質疑応答
教室に集まった学生からは本質的な質問がいくつもあった。私からは10年後、20年後のビジョンについて質問した。現在は、放送>ネットだけど、放送<ネットになるだろう。一律のマスメディアから個別のマイクロメディアになるだろう。コンテンツの創作とコンテンツのデリバリーは分けて運用されるだろう。そんなイメージをぶつけてみた。下の図で言えば、上の放送が現状ではメインだが、将来は下のネッt配信がメインとな流だろうという想定だ。難しいのは受信料の問題だろう。ネット配信はスクランブルを掛ける番組と無料で見れる番組にするのと同時に、現在の受信料をどのようにするかが問題だろう。料金の問題は放送法の改正にも絡むので、今後10年ほどの時間をかけて議論されることになるような気がする。
(出典:朝日新聞)
おまけ:秋山教授との放送通信統合網の研究
東京大学工学部でトラヒック理論の大家である秋山稔教授(当時)に指導してもらって、1983年から1984年にかけて放送通信統合網のコスト最適化問題を研究したことがある。当時の想定では、光ファイバーで動画を100本ほど同時配信して、さらに音声も同じネットワークで統合するというコンセプトだ。その時の基幹回線や末端の回線の最適配置を考えろという命題だった。秋山先生からは極座標で半径Rと角度θの最適値を求めるように指示されたが、いくら考えても解がでないので、X軸のaとY軸のbとその比率a/bの最適値を探したら見つかり、びっくりした。実際の数値を入れてこれは正解だと確信した。なぜかといえば、魚の骨や、植物の葉っぱのような構造になるからだ。計算しなくても自然社会では答えを実践していた。それから40年近く経過して、前提が全く違っていることと、それほど違っていないことを痛感する。当時もデータ通信は電話よりも伸びていたが、これほどにデータ通信の伸びが継続するとは想像もできなかった。当時はまだショルダーホンの頃だけど、モバイル通信がこれほど伸びるとも想定していなかった。秋山先生に指導してもらった日々は懐かしいし、本郷の工学部の研究室にも何どか訪問した。今後、20年後、30年後の情報通信社会がどうなるかはいつも頭のどこかで考えている気がする。これについてはまた別の機会に投稿したい。
まとめ
今回でメディアコンテンツ特別講義は終了となった。第1回から第10回までそれぞれに非常に興味深い講義だった。それぞれの投稿は参考に引用するが、本当に多彩な内容だったし、刺激的でした。これからもさらにエンタテインメントの世界でも、ビジネスの世界でも動画の配信や活用は進むだろうし、さらにメタバースやアバターが仮想の世界で活用するだろうし、仮想の世界とリアルの世界の境界も曖昧になり、さらに連携するだろう。5年後、10年後の世界をイメージするとチムドンドンする。
以上
最後まで読んで頂きありがとうございました。
拝
参考:過去の投稿
第 1回:VRゲーム制作から見たメタバースの現在と未来予想(DMM)
第 2回:メタバースで変わるビジネス(NTTドコモ)
第 3回:世界の仕組みを変えるPlay to earn(LATEGRA)
第 4回:ゲーム業界の未来像(スクエアエニックス)
第 5回:Sustainable Software Engineering概略(マイクロソフト)
第 6回:メルペイの可能性とその先(メルペイ)
第 7回:ネット広告の現状とCAの躍進(サイバーエージント)
第 8回:ソフトウェアの脆弱性(NTT)
第 9回:巨大AIモデルの現状と将来(LINE)
第10回:ネットの中の公共メディア(NHK) ⇨ この投稿