読書シリーズ:忍者は忍道に通じる。正心を尊ぶのが日本の道の特徴。これはシラス統治だと思った。

はじめて

以前、読書シリーズとしてサイバーセキュリティを調べていて、忍者の秘伝の巻物万川集海を参考にした図書を知り、そこから忍者について関心を持った。そこで、今回は忍者をキーワードにして3冊ほどの図書を読破してみた。

(出典:主婦の友社

著書:忍者の誕生

著者:吉丸雄哉、山田雄司
出版:勉誠出版

・日本における兵法の変容と忍術の成立

i) 南北朝時代の争いの中で、悪党と呼ばれる士豪らが、情報収集・潜入活動・破壊工作などの技術を洗練させ、忍びという職能として成立していったのが忍者の始まりである。
ii) 職業としての忍びは明治維新で消滅する。
iii) 忍術が非常に多くの分野の知識を援用して体系化されているとわかる。
忍術書では万川集海が忍術百科事典として大きな位置をしめている。
p4) 古代中国においては紀元前5世紀から紀元前4世紀中ごろにかけての春秋時代に孫武によって編纂された孫子をはじめとして、唐代に至までに、孫子、呉子、尉繚子(うつりょうし)、六韜(りくとう)、三略、司馬法、李衛公問対などの武経七書と呼ばれる兵法書が相次いで編纂された。
p5) 対外戦争を考慮する必要がほとんどなかった日本では兵法の受容は一部にとどまり、実践に用いられることは少なく、また、内容については朝廷や幕府の一部で知られているのみで、部分的受容にとどまっていたといえよう。日本においては、院政期以降日本独自の兵法書が編纂されるようになった。
p9) 兵法書から忍術書へ、1618年(元和4年)には軍学者小笠原昨雲の軍法侍用書が成立する。伊賀衆・甲賀衆は日本各地の忍びの中でも優れた忍びとして17世紀初頭には認識されていた。
p10) 忍びに適した人物として頭脳明晰であることが必要だとしている。忍びの心得を期した「義盛百首」が収載されている。歌にすることによって忍びの作法を覚えやすくした。
p11) 忍術には、侵入術、破壊術、武術、変装術、交際術、対話術、記憶術、伝達術、呪術のほか医学、薬学、食物、天文、気象、火薬などの知識も記されている。忍術とは総合的知識に基づくサバイバル術と言える。忍とは刃の下に心をおき、どんなことにも動じない心持ちが大事だと最初に述べている。
p12) 万川集海では、忍者に必要なのは、正心という心のあり方であり、それがなければ盗賊と同じであると注意喚起している。孫子を引用しながらも、孫子そのままではなく、主君に対する忠誠心が強調され、道徳性の強い内容となっている。

・孫子と万川集海とを比較して

p30) 移気な性格のものを忍者に使う場合には、作戦と反対のことを言い聞かせる。そのような忍者は敵に捕まると全て敵に白状し、敵もそれを信じる。隠して味方の勝利となる。
p31) 万川集海が孫子と異なるのは、全般に渡って正心という用語を駆使して忍者の道徳心を強く求めている点だ。
p32) 忍びの大元は正心である。忍びの末節は陰謀である。
p33) 忍道を生業としようとするものは必ず表情を優しくして、和やかにし、心の底において義と理を正しくしなければならない。
p35) 孫子においてはそもそものところで兵とは詭道であった。なぜ詭道が是認されるかといえば戦争に国家の存亡がかかっていたからである。

・江戸時代の忍者と武士

p41) 武士道とは、主従の心情的な結ぶつきを重視する伝統を受け継いだもの

・忍者の精神と日本の心

p80) 人間が陥りやすい、恐れ、侮り、考え過ぎの思考を忍術の3病と名づけ、戒め、忍者の大切な心構えを次のように要約した。
・花情竹性:優しく真実で強靭な心根
・滅私奉公:己より他に尽くす影の心
・無芸無名:目立たず秘める謙虚な心
・廉恥潔白:恥を知り正直を貫く心
・忍辱黙行:全てを忍受し、只管働く心
・必死覚悟:命を懸け行動する心意気


(出典:アマゾン

著書:忍者の生活

著者:山口正之
出版:雄山閣

・序にかえて

p1) 忍者は独特の術を使った。それが忍術である。忍術は滋賀・三重の両県に跨る鈴鹿山脈に生まれた山岳奇襲戦術であり、甲賀と伊賀の両地方に育成された。
p2) 皇居の正面の大手三門を守る親衛隊が甲賀(100人)であり、皇居の裏門に当たる大奥の半蔵門を守るのが伊賀組首領服部半蔵である。

・忍術と文学

p118) 暗号(忍びいろは)。7つの偏と7つの色を組み合わせたものだ。
p120) 暗号には系統式と非系統式があり、これは漢字の字母を作り替えた系統的暗号である。
(出典:note
⇨ 忍者は、忍びいろはに加えて神代文字も使っていたという記述があったので引用しておきたい。

神代文字(しんだいもじ)は初代天皇の神武天皇が即位する前から使われていた文字の事です。しかし、中国から漢字が伝わり神代文字は取って代わられてしまいました。そのため忍者が活躍した時代、ほとんどの人が解読不能で忍者が文書を書くときには最適でした(出典)。

p125) 忍者の間では古くから忍術を行う際の心得として、または秘宝伝授の口伝として和歌が発達した。正忍記については、Wikiの説明を付加したい。

正忍記』(しょうにんき、せいにんき)は、1681年延宝9年)に紀州藩軍学者名取正澄によって書かれたとされる忍術。写本が数種類現存しているが、名取正澄が書いた原典は発見されていない。忍びの教育のためだけではなく、名取流軍学の一部として門弟に伝授されていたと考えられる[1]。 全3巻の構成で、忍者の携帯必需品「忍び六具」や潜入に適した7種の変装「七放出」などは、正忍記が根拠になっている。紀州流の忍術書と言われるが、あくまで新楠流軍学の中の一項目としての忍術であり、紀州流といった忍術が存在するわけではない。万川集海、忍秘伝と合わせて、三大忍術伝書に数えられる(wiki)。


(出典:アマゾン

著書:忍者の精神

著者:山田雄司
出版:角川選書

・はじめに

p10) 武士道で重要なのは主君に対する忠、節義の志操、勇剛の気性の3つである。この3徳を兼ね備えている武士のことを上品(じょうぼん)の侍という。
p15) 忍道は真実の道理にはずれない謀であり、君主を欺く術はない。忍術を志すものは毛頭も私欲のために忍んだりせず、また夢道の君主のために謀ることはしてはならない。

・忍びの定義

p20) 最初に中国を統一した皇帝黄帝は陰陽の兵法に通じていた。李衛公問対(りえいこうもんたい)は黄帝から始まるとされてている。
p20) 殷の時代には伊尹(いいん)という忍術の達人が湯王(とうおう)を助け、夏(か)の桀王(けつおう)の国に忍んで滅ぼし、その術は周(しゅう)の大公望(たいこうぼう)に伝わり、太公望は商の紂王に忍びを入れて滅ぼしたとして、忍術の重要性を時、それがそんぷに伝わって整理されて孫子、用間篇としてまとめられた。
p21) 日本における忍術の起源については、用間加上伝目口義(ようかんかじょうでんもくくぎ)では、伊賀伝曰くとして、日本書紀神代上巻に素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神通力によって奇稲田姫(くしなだひめ)が小さな櫛に変えられたとあることが忍びの術が起こった初めだとする。
p39) これは忍者の仕業だと感じさせないで、四季の移り変わりのように、人々に自然に受け入れられるようにことを運び、大きな仕事を成し遂げる。これこそが忍者の是とするあり方なのである。ひちに名が知られるようでは本当の達人の忍者とはいないのである。

李衛公問対は、中国の兵法書である。全三篇。『唐太宗李衛公問対』『唐李問対』とも称される(出典)。

・主君と忍び

p150) 忍びがどれほど優秀であっても、それを差配して能力を遺憾無く発揮させ、忍びが集めた情報を十分に使いこなすことができる主君がいなければ目的を達成することはできない。


(出典:アマゾン

まとめ

今回は、忍者をキーワードとして、「忍者の誕生」、「忍者の生活」、「忍者の精神」の3つを読破した。そこで感じることは、日本の建国の歴史の裏にはスキルフルな人たちがいたのではないか。日本の忍者の最大の特徴は、正心だ。つまり、君主との信頼関係だ。どういう意味かと言えば、君主に使え、君主は民のことを第一に考える。世界はうしはくの統治だけど、日本はシラスの統治と以前投稿したが、まさにシラス統治の構造の成功例だと感じた。まだ、パズルが揃わないけど、シュメール人の神秘、古代イスラエルの10支族の存在、紀元前5世紀から紀元前3世紀にかけて中国で活躍した専門家である方士と八公の存在、仙人の中でも代表的な八仙(はっせん)、福徳の神として来日したと信仰されている七福神などに関係があるのかどうか。忍術は、侵入術、破壊術、武術、変装術、交際術、対話術、記憶術、伝達術、呪術のほか医学、薬学、食物、天文、気象、火薬などの知識までもが網羅される知の結集だ。これらの知の結集は簡単にはできない。長く、深い歴史と共に磨かれたものであるはずだ。DNA的な遺伝なのか、文化継承的なものかは別にして、何らかの繋がりがあるのではないかと個人的に考えている。今後、引き続き、検証していきたいと思う。それにしても、忍者は面白い。
(出典:七福神

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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