お箸の話その2:元々は神事用。千利休は杉の木を削った箸で客人をもてなした。
箸の起源を辿ると神事向けだった。確かに今も正月の時は寿の袋に入れた箸を使う。また、少し高級な箸をバラ利久と呼ぶが、これは千利休が客人をもてなす時に杉の木を削って用意した箸が由来という。日本人は、箸を単なる道具としてではなく、神の世界とこちらの世界をつなぐ橋と考えたようだ。知らなかった。
箸の起源を辿ると神事向けだった。確かに今も正月の時は寿の袋に入れた箸を使う。また、少し高級な箸をバラ利久と呼ぶが、これは千利休が客人をもてなす時に杉の木を削って用意した箸が由来という。日本人は、箸を単なる道具としてではなく、神の世界とこちらの世界をつなぐ橋と考えたようだ。知らなかった。
お正月は寿と書かれた箸袋に入った綺麗な割り箸を使う。箸について調べたところアイヌのパスイやモンゴルのヘト・ホルガなど個性的な箸に巡り合った。日本の箸も古代は竹を曲げた折箸が神事で使われていた。箸の文化を紐解くことは民族の文化を紐解くことにつながりそうだ。
教育とはある目的のために誰かに何かを学ばせることだ。学習とは自分自身が自主的に能動的に何かを学ぶことだ。どちらが楽しいかは自明だろう。指導者の重要なミッションはメンバーのやる気を高めること。高い目標に向けて頑張ろうと決意させること。自分で決めたことなら皆納得して頑張ると思う。
新聞業界が現在直面している困難を打破して飛躍するのは簡単ではない。解決のヒントはやはりテクノロジーの活用と一人ひとりのお客様とのつながりの強化だ。その方向で考えると、パーソナライズペーパーに行き着いた。克服すべき課題は多いけど目指すべき方向性としては魅力的な世界ではないだろうか。社会的な意義があれば夢はさらに広がる。
欧米ではクロスオーナーシップは規制されているが、日本では新聞社とテレビ社との関係は根強い。外資の出資比率は20%までだが、放送法116条に基づき議決権を有しないことを盾にフジテレビや日本テレビは大きく超えている。NHKの報道にも疑問を感じることがあるが、日本における言論の自由は担保されていると言えるのだろうか。
若者はネット、年寄りはテレビという構図は変わっていないが、年代に関わらずネット利用が進んでいる。特に、2019年から2020年にかけてネット利用の増加率が最も高いのが60代だったのには驚いた。若者は動画利用が多いが、その中でもTikTokなどのショートムービが加速的に普及している。確かにあれは中毒性があってやばい。
新聞の発行部数の減少が止まらない。実際には読まれていない「押し紙」を除くと事態はさらに危機的だけど、不動産事業に支えられて、なんとか利益を捻出している状況にあるといえる。新聞記者はかつてはインテリの花形職業だったけど、今は社内失業に陥る衰退職業かもしれない。ネット活用に転職して才能を発揮してほしいと思う。
金継ぎという日本の再生技術が海外で注目されている。壊れた部分を隠すのではなく、逆に目立たせることで新しい作品に昇華させる。古民家もそうだ。築50年以上の空き家も再利用可能な木材を精査し、必要な部材を投入することで、新しい家として蘇らせる。古い歴史の価値を新しい技術でさらに高めることができれば素晴らしいと思う。
美を科学する学問があるとは知らなかった。しかし、人は美に惹かれる。なぜだろう。そのメカニズムを解明すれば、社会的な課題も解決できるかもしれないし、個々の幸せにも通じるのであれば素晴らしいと思う。また、脳の反応などを調べることで美に対する深い理解も得られるかもしれない。人工的な絵画が感動を生むような時代になるか。
第12回の脳型情報処理機械論の講義の最初に参考文献の紹介があった。せっかくなので、参考になりそうな図書を6冊ほど読んでみた。いずれも面白く興味深い内容が多かった。黄金比の画像を見せると島皮質が活動を高めることは複数の図書で指摘があった。体性感覚ホムンクルスやエーテルソンのチェックボードなども面白いと思った。