お箸の話その1:アイヌのパシイやモンゴルのヘト・ホルガと日本の折箸はどれも個性的だ。

はじめに

元旦には「教育と学習」をテーマに投稿した。新春は御節料理を楽しむ方も多いだろう。お箸の話を3回にわたって投稿したい。

その1:世界の食文化の違いと箸の歴史、海外の箸(⇨ 今回)
その2:日本の箸文化と歴史、マナー、種類(次回
その3:アイヌのパシイと箸の関係(次々回

チョップスティック

NiziUの新曲を聴いていたらお箸を調べたくなった。お箸を英語で言えば、普通はChop Sticksと複数形だ。しかし、NiziUの新曲は単数形だ。これは、1本のお箸では立たない。大事な人と一緒だから意味がある。そんな思いを込めた曲なのだという。

(出典:Hiro`s Room

世界の三大食作法

日本では食事をするときは、基本的に自分のお箸で食事をする。子供の頃は自分は緑のお箸、姉はピンクのお箸、兄は青のお箸と決まっていた。お箸のみを使って食事するのは日本だけのようだが、スプーンなどと共にお箸を使う中国や韓国、ベトナムなどを含めると箸食文化圏の人口は約18億人だ。ナイフやフォーク、スプーンを使うのも欧米などカトラリー食文化圏の人口も約18億人に対して、手で食べるのは回教徒やヒンズー教徒などの手食文化圏の人口が約24億人が最も多い。


(出典:Food Science

諸外国との食文化の違い

日本では、食事に食器の置き方やお箸の置き方が決まっている。箸先を左にして、箸置きの上に置く。また、食事に際しては「頂きます」、食後は「ご馳走様」と挨拶する。自然界からの大切な食べ物をいただくと謙虚な気持ちを大切にしている。後述するようにモンゴルのヘト・ホルガは日本と同様に横に置くし、自分自身のヘト・ホルガを所有し、常に持参している。アイヌのパスイは神事の祭具である。箸文化の真髄はこのような系統から来ていると感じるのは自分だけだろうか。これに対して、中国や韓国の箸は、単に食事の道具として使われていて、箸にまつわる精神や文化を感じられない。中国では古代は横に置いたようだけど、現在は縦に置いている。欧米では食器の左にフォーク、右にスプーンやナイフを縦におく。高級フランス料理などにいくと食器が並んでいて慣れないとドキドキしてしまうが、このような多くの食器を用いるカトラリー文化が浸透したのは200年ほど前からだ。それまでは、一部の貴族階級などを除くと手食の文化で、イギリスの一般人がフォークを使い始めたのは18世紀に入ってからだったようだ。

(出典:食の歴史

お箸の歴史

安土桃山時代に来日したポルトガルのカトリック宣教師ルイス・フロイス(1532年から1597年7月)の著書「日欧文化比較」で、ヨーロッパ人は手食だけど、日本人は箸で食事をしていると記録している。平安時代の市街地の遺跡からは箸が出土している。教科書的には奈良時代に中国より箸が伝来したとあるが本当だろうか。お正月には、普段のお箸ではなく、寿の箸袋に包まれた祝い箸を用いる。寿の箸袋の長さは末広がりの八に因んで8寸(約24cm)と決まっている。祝い箸は、両口箸、柳箸、俵箸とも呼ばれる。両方が細くなっている両口箸は神人共食(しんじんきょうしょく)を意味する。神人共食とは箸の片方は神様が、もう片方は人間が同じものを共にいただくという意味で、新年を無事に迎えたことを神様に感謝するお供え物としてのおせち料理を頂くことへの感謝を示す。柳箸は香りがよく折れにくい柳で作った白木の祝い箸を意味する。俵箸は、箸の真ん中が太くなっている形からの呼び名だ。米俵にも見えるため五穀豊穣の願いが込められている。このような思想や文化は神事、つまり神道から来ているのではないのだろうか。
(出典:all about)

縄文時代に棒状の漆器

紀元前14,000年以前の旧石器時代時代にも日本列島には人類は居住していたことが、群馬県みどり市岩宿遺跡により証明されている。また、12,000年前~5,500年前の福井県鳥浜の貝塚からの出土品により、土器から魚介類を煮炊きした形跡の鑑定結果が出ている(出典)。さらに、東京芸術大学の三田村有純教授は著書「お箸の秘密」において、6,000年前の縄文時代の遺跡からも漆を塗った棒状の漆器が発見されていると主張している(出典)。縄文土器を使い鍋ものの様な料理を頻繁に食していた痕跡や取り分けに使用した大型の匙も見つかっている。つまり、縄文時代から熱い椀で食事をするためには箸もしくは箸のようなものを使っていた可能性は高いのではないだろうか。

アイヌのパスイ

アイヌ民族神事の際に用いる木をほって作った棒状の祭具をイクパスイと言う。イクは酒を飲むという意味であり、パスイは箸のことだ。古代のパピプペポはなぜかはいふへほに変わっている。日本のことをニッポンと呼ぶのは古代の名残りとも言われている。これは個人的な仮説だけど、パスイがハスイになり、ハシと変化したと考えられる。パスイは今も作り方が引き継がれていて、イクパスイは魂をもつ神聖なものであり、カムイへの祈りや先祖への祈りなどの儀礼の際にお酒を捧げるために使われる祭具だ。

(出典(上):、出典(中・下):アイヌ

日本皇紀の始まり

紀元前660年に神武天皇が初代天皇として即位する。祭祀用の神器の箸として折れ箸が使われる。この当時のお箸は食事用ではなく、神事に使われるものだ。神事に使われていた木のピンセットのようなものが、今でも奈良の正倉院に保管されている。当時は「神様と人間がともに食事をする神聖な道具」と考えられ、五穀豊穣や子孫繁栄を祈るために用いられた。

聖徳太子が箸食制度導入

593年に推古天皇が女帝となったときに聖徳太子が摂政となる。小野妹子を中国の隋に派遣し、608年には日本の棒状の箸を使う箸食精度を発令したが、朝廷内のみで使われており、庶民にまだ広がってはいなかった。

海外のお箸

中国・韓国の箸

日本では、基本お箸のみで食事をする。しかし、中国や韓国ではスプーンもセットで使われる。日本は味噌汁をいただく時も器を持ち上げるが、中国や韓国では汁物はスプーンで口まで運んで食べる。また、日本の箸は先が細くなっていて、お魚の肉を切り分けたり、刺身を摘んだり、挟んだり、器用に使い分ける。また、そもそもは神道に基づく神器だ。この辺りが、中国や韓国の箸の位置づけと異なる部分のように感じる。

中国のクアジー

中国の箸は基本的に円柱形で長くて太い。中国ではおかずを大皿で盛り付けて、テーブルに並べ、各自が好きなだけとって食べる。このため、遠くまで届くように太めで長めで丈夫なな箸が好まれる。日本では自分の箸を決めるが、中国や韓国では個人ごとでもたず、他の食器と同様に家族全員で箸を共有する。また、取り箸とお手元を分ける習慣はなく、大人用と子供用の箸の区別もない。

韓国のチョッカラ

朝鮮半島では古くから戦乱が絶えないため、庶民は戦いから逃れるために丈夫な金属製の箸を使ったと言われている。また、朝廷貴族ではヒ素などの毒薬が触れると変色する銀の箸を用いて暗殺から身を守ったとも言われている。最近は、金属の箸と言っても中空のステンレス製のため、それほど重くはなく、円柱状もしくは扁平状が多い。
(出典:epoch time)

モンゴルのヘト・ホルガ

日本の箸と中国・韓国の箸は同じ箸でもその利用の仕方や文化が全然異なっている。しかし、モンゴルでは箸はサバハと呼び、蒙古刀(ホタクッ)の鞘(ヘト)に格納されるため、ヘト・ホトガ(Het Hutga)と呼ぶ自分の箸を持参している。モンゴルでは肉料理も多いので、ナイフと箸とそれを収容するケースがセットになっている。ケースにしまうと下の写真の真ん中のようにコンパクトだ。また、箸の置き方も、箸の先を左になるようにセットしている。残念ながら1921年以降ソ連に影響を受けて、「古い習慣を捨て、新しい社会主義を築く」と言うことで、箸文化が廃れてしまったのは残念だ。


(出典(左・中):Yahoo Auction、出典(右):FB

まとめ

今回は、箸の起源を探ろうとアイヌの世界や縄文時代などの古代に遡ったり、中国・韓国、さらにはモンゴルの箸文化を訪ねてみた。これらの中で気になったのは、アイヌのイクパスイとモンゴルのヘト・ホルガ、そして古代日本の折れ箸だ。共通するのは単なる食事の道具としてではなく、非常に繊細で魂を込めて作られている点だ。それぞれに影響し合っている点もあると感じる。このあたりは、今後の継続研究課題かもしれない。次回は、日本の食文化やマナーなどについてまとめてみたい。

以上

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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