脳型情報処理機械論#11-1:意識を数学的に理論化できるのだろうか。

はじめに

明日12月17日(金)は、第11回目の脳型情報処理機械論の講義だ。残すところ明日の講義を含めて3回だ。これまで生物学的な側面、情報処理的な側面、機械的な側面から人間の脳の構造や仕組みについて考えてきた。今回は、意識と脳の関係についての研究の第一人者である大泉准教授の講義だ。楽しみだ。
その1:意識の数学的理論の予習(⇨ 今回)
その2:意識の数学的理論の講義を受けて(次回

東京大学総合文化研究科大泉研究室

今回のゲスト講師は東京大学総合文化研究科の大泉研究室を率いる大泉准教授だ。大泉研究室では、脳の情報処理のメカニズムを数理的に理解することに取り組んでいる。特に、脳から生まれる主観的な体験、「意識」を情報の観点から数理的に定量化することを試みている。つまり、これまでの神経科学では外界の赤いリンゴを見て、脳の神経細胞のシナプスが発火してと脳活動を分析する。しかし、意識の数理理論では、脳活動で生じる神経細胞集団の電気信号から主観的な意識を導出する。

(出典:東京大学

大泉匡史(まさふみ)准教授

脳活動の中の情報という観点から意識と脳とをつなぐ数理を探求するのが大泉准教授だ。東京大学理学部物理学科を卒業し、東京大学大学院新領域創成科学研究科複雑理工学専攻で博士課程を修了し、科学の学位博士だ。2010年10月から日本学術振興会特別研究員(PD)、2011年4月からは日本学術振興会特別研究員(SPD)、2014年4月からは理化学研究所脳科学総合研究センター基礎科学特別研究員、2017年3月からは株式会社アラヤ基礎研究グループマネージャー、そして2019年4月より現職だ。脳の処理については研究が進んでいるが、心はどこにあるのか。意識はどのようにして芽生えるのか。女性はなぜ感情的になるのか。心、意識、感情などはまだまだ解明されていない。大泉准教授が挑戦するのは、「脳活動の中にある情報を意識の本質と考え、意識と脳活動とをつなぐ数学的な関係性を明らかにする」ことだ。これは意義はあるけど大変だ。

(出典:東京大学

統計情報理論から考える人工知能の意識

2018年7月の人工知能学会33巻4号に大泉准教授は「統合情報理論から考える人工知能の意識(Artificial Consciousness from the Perspective of Integrated Information Theory)と題した論文を投稿した。そして、この中で次のように述べている。ここでのキーワードはIITだ。

「ドラえもんに意識があるか?」と聞かれれば、ほとんどの人が自信をもって「ある」と答えるのではないのだろうか。ドラえもんとは、日本人ならほとんどの人が知っているであろうアニメーションのキャラクタであり、世代を超えて今もなお愛され続けている。ドラえもんは、人間のようにしゃべり、動き、笑い、ときには涙し、姿形(ネコ型ロボット)以外は人間とほとんど区別のつかない存在である。主人公の、のび太はドラえもんを意識のない無機的なロボットとは考えておらず、人間の友達と同等かそれ以上の親友であると考えていると思われる。今後、技術が発達して、ドラえもんのようなロボットまたは人工知能が出現した際に、我々はそれに意識があるのかという問いに直面する。もちろん、ドラえもんに近いロボットが現れるのは、まだまだ先の未来であろうが、その一部の能力、例えば会話の能力などが、人間と区別がつかなくなるようなことは、そう先の未来ではないかもしれない。ドラえもんのように、人間と会話ができる人工知能と対話をしたとき、我々はそれを意識のあるものとみなすだろうか? 本稿では、人工知能の意識という問題を、統合情報理論(IIT :Integrated Information Theory)の観点から考察する。IITとは、意識を情報の観点から数理的に記述しようと試みる理論である。IITは情報と意識とを相同であるとみなすことによって、人間の意識だけでなく、他の生物の意識、そして人工知能の意識をも説明する一般性を有している。本稿では、IITの成り立ちを解説し、この理論に基づき人工知能の意識を評価する方法論を解説する。

統合情報理論(IIT:Integrated Information Theory)

意識と脳の関係のいくつかの側面について、統合情報理論をベースに論じる。統合情報理論は、現象体験の本質的な特性から出発し、そこから意識の物理的基盤の要件を導き出す。意識の物理的基盤は、内在する因果の力が最大でなければならないと主張し、経験の質と量を原理的に決定するための手段を提供する。この理論は、いくつかの直感に反する予測を導き出し、非伝達的な患者の意識を評価するための新しいツールを開発するために利用することができる。どうもよくわからないが、これは言い換えれば、クオリアの研究ではないだろうか。

(出典:nature)

脳とこころ

脳は膨大な数の脳細胞からなる。脳細胞の仕組みの解明は進んだが、こころや意識の研究はまだまだ道半ばだ。脳と「こころ」の関係を明らかにするためには複雑なシステムとしての脳を解明するだけではなく、こころとは何か、こころはどこにあるのか。こころと気持ちと感情と意識はどのような関係があるのか。感情は内臓とも関係すると言われる。生物は理屈では説明しにくい突然の感情が噴出する。このような脳と心の関係は多彩な有識者が論じても論じきれないものと言える。

(出典:医学書院

クオリアと人工意識

前期の論者の一人であるのが日本の脳科学者であり、ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員の茂木健一郎(1962年10月20日生)は、「意識はコピーできるか?」、「人工知能に意識は生まれるか?」と、意識とクオリアについて著書をまとめている。人間は、なぜ人工知能を生み出すのだろうか?その根底にあるのは、自分の似姿をつくろうとする本能ではないか。人類は人工知能を研究・開発しているが、人工知能はある意味人類の鏡だ。そして、鏡の中にクオリアに満ちた自分達の意識が得るのか。人工知能をつくることで「人工意識」が生み出せるのかと問題提起している。
(出典:アマゾン

クオリア

クオリア(単数形:quale、複数形がqualia)とは、ラテン語の構成されたものを意味する「qualis」を語源とし感覚的な意識や経験などの感覚質を意味する。夕焼けの赤、ワインの味、頭痛の痛みなどクオリアは感覚の質的特性である。そして、感覚的な体験の特性は体験がなければ認識論的に知ることはできない。つまり、夕焼けを知らなければ夕焼けの赤は感覚できない。ワインを知らなければワインの味を感じることはできない。クオリアの理解は、心の哲学の中心的な問題の一つと言える。1929年に米国の哲学者クラレンス・アーヴィング・ルイス(Clarence Irving Lewis、1883年4月から1964年2月)は「心と世界秩序」において現在の心の哲学の観点からクオリアを「認識可能な与件の特性であり、したがって一種の普遍性である」と定義した。クオリアとは哲学の用語であり、意識的な精神体験の主観的な性質を定義する。クオリアの存在とその性質については今もまだ激しい論争が続いている。

(出典:クオリア

まとめ

脳の仕組みから一歩足を踏み出し、意識に軸足を置いた議論となりそうだ。しかし、脳の活動関数から意識を数学的に説明しようと考えるのは東大らしい。IITやクオリアが重要なキーワードになりそうな気がする。実際の講義の内容や感想は明日投稿したい。

以上

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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