脳型情報処理機械論8-2:幼児やロボットを用いた認知の仕組みの科学的研究

はじめに

國吉教授による脳型情報処理機械論も第8回と後半になるとだんだん授業の理解も深まりつつある。今回の講師は、先に投稿したように、東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構の長井志江特任教授だ。長井教授の論文を拝読すると、さまざまな研究者との出会いを通じて、研究の幅を広げられているように感じる。講義も生徒に質問を促したり、クイズに答えさせたり、双方向の授業を好まれている感じがした。また、英語も非常に流暢というか綺麗で、理解できたかどうかは自分の問題だけど、説明は非常に聞き取りやすかった。

講師紹介:長井志恵特任教授

大阪大学で博士課程を修了した後、ビーレフェルト大学で5年間ポスドク研究員として勤務された。学会発表でドイツに出張された時にこんなところで研究したいと雑談したのがきっかけとどこかのブログで書かれていたが、そんなことから長井教授の研究者人生が本格化した。人生とは不思議なものだと思う。ドイツでの生活は日本にいた頃の人生観を根底から覆すほど楽しく充実したものだったようだ。2017年にNICTの上席研究員となり、2019年4月からは東京大学のCognitive Developmental Robotics Labを率いている。東京大学では、國吉教授が主導する「胎児からの発達原理の解明に基づく発達障害のシステム的理解 」の研究にも参画されている。そんな縁もあり、今回のゲスト講師として呼ばれたのだろうと思う。

講義のポイント

予測符号化に基づくニューラルネットワーク

下の図は、講義で説明された図とは異なるけど、予測符号化に基づくニューラルネットワーク(NN)の計算アルゴリズムのイメージに近いので流用した。センサーからのフィードバック情報と、予測システムからのフィードバックを照合して、この差異を最小化するようにNNは機能する。事前情報が過大でも過小でもうまく適応しない。このあたりのメカニズムは、後述する自閉症スペクトラム障害(ASD)にも応用できると着想された点が興味深い。

(出典:Royal Society)

認知的発達の統一原理(a unified principe of cognitive development)

長井教授がオープンクエスチョンとしてまず提示されたのは、認知的発達の統一原理だ。認知的発達には2つあり、一つ目はノンソーシャルからソーシャルへの発達。つまり、一人遊びの世界から二人遊びへの発達だ。近しい人との触れ合いの中で認知的発達が促されるもの。2つ目は典型的対応と否定型対応だ。典型的が正常な発達だとすれば、非定型対応とは後述する自閉症スペクトラム障害(ASD)などの対応だ。

(出典:VIMEO)

視覚的な錯覚

目の錯覚は面白い。自分も社外での講演活動では受講生が興味を示しそうな図を示して、アイスブレイクにすることが多い。今回の講義では下のような図がまず示された。どう見ても、Aの四角の色は、Bの四角の色よりも濃いと感じる。しかし、これは人間が補正しているためであり、実際は同じ濃度だ。遠近での錯覚にも人間はすぐに騙されるし、何度も通っているゴルフコースでもこの目の錯覚にしてやられる。人間というのは、一度思い込むとなかなか補正できないものだと再認識する。

(出典:VIMEO)

非ソーシャルからソーシャル認知の発達

講義では、下のYouTubeの映像を視聴した。これは、子供とチンパンジーを対象にして、昨日投稿した利他性(altruism)の実験の模様を撮影したものだ。動画では、まず大人がタンスを開こうとするが、両手が塞がっていて困ったような顔をすると、幼児が近寄ってきてタンスを開けてくれる。なんて賢いのでしょう。子供は大人の役に立てることを本能的に行う。子供が小さいときは、親も初心者なので、なかなか余裕を持って対応できずに、「余計なことをしないで!」などと叱る人もいるかもしれない。しかし、「ありがとうね!助かったよ。いい子だね!」と褒めてあげると子供は本当に嬉しそうな表情を示す。どちらがより健全に発達するかは自明だろう。昭和の時代は夫が会社に勤めて、妻は家事を担当するのが多かったが、令和では共稼ぎ夫婦が支配的に多い。このため、幼児は保育所に預かれられる。保育所では幼児に愛情を持って接してくれるけど、やはり親の愛情には叶わない。800年ほど前に、神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝の皇帝フリードリヒ2世(Friedrich II., 1194年12月から1250年12月)は、教育を受けていない子供が最初に話す言語を知るために、乳母と看護師に授乳している赤子に向かって何も話さないように命じた。しかし、実験の目的は果たせなかった。何故なら、赤ちゃんたちは十分な栄養を受けていたにもかかわらず、全員が死んでしまったという。

面倒をみる際、目を見てはいけない、笑いかけてもいけない、語りかけてもいけない、ふれあいを一切してはいけないと命じた。その結果、乳母や看護師からは十分なミルクを与えられていたが、愛情を貰えなかった赤ちゃんたちは、全員死んでしまった。(出典)

(出典:YouTube)

利他的行動(Altruistic Action)の開発

先の動画(YouTube)でも確認できるように、子供は誰かが困っていると助けようとする本能がある。これは、人間の子供だけではなく、チンパンジーも同様だ。我々類人猿は、お互いが助け合うことを本能として、厳しい時代を生き抜いたのだろう。極論を言えば、家族が助かるなら、仲間が助かるなら、民族が助かるなら我が身を犠牲にするという行動を選択するのも本能的なものかもしれないと思った。靖国神社の参拝がたびたび問題になるけど、国のために殉じた方々の御魂を祀る神社で先祖に祈る行動が批判されるべきではない。ただ、長井教授が「感情」についても研究されているのは注目したい。これは赤ちゃんの研究をする上で、感情や愛情を抜きにしては語れないためと想像する。個人的には、思考は頭脳にあるのかもしれないが、感情が行った身体のどこにあるかのかがよくわからない。感情と情感は同じような気がするけど、感情と心はちょっと違う気もする。「怒喜思悲恐」はそれぞれ肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓などと相関するという説もあったりするが、この辺りはどこかで整理したい。

行動生成と知覚のための予測学習(predictive learning for action production and perception)

下の図は、ロボットが目で見たり(Vision)、手で触ったり(tactile)しながら、自分の手や足を動かす様子を認知(Proprioception)し、かつそれをフィードバックしている様子だ。これはひとり遊びだけど、これが複数のロボットになると、あるロボットが操作するのを観察して学習するというフィードバックも可能となる。その測定データなども紹介され、(あまり自信ないけど)観察行動を伴う場合の学習効果が高いということと理解した

(出典:VIMEO)

講義では、次のようなコンテンツにしても説明してもらったけど、ここでは詳しい説明は割愛したい。
・ミラーニューロンとミラーニューロンシステム
・センサー運動学習による内部モデルの更新で予測誤差を最小化
・観察しながら行動することで予測誤差を最小化
・視点を変えた模倣(imitation based on perspective taking)
・感情の発達とその推論(Development of emotion and its inference)

認知的発達における個人の多様性(Individual Diversity in Cognitive Development)

自閉スペクトラム症(ASD:Autism Spectrum Disorder)の増加

下の図は、2015年度(平成27年度)に独立行政法人日本学生支援機構が障害のある学生の就業支援に関する実態調査を行った時の結果だ。急増しているのが緑色のASD(自閉スペクトラム症)の学生だ。次に多いのが赤のADHD(注意欠如・多動症)の学生、さらに紫が発達障害の重複の学生、青色がSLD(限局性学習症)だ。SDLは初めて聞く言葉なので調べると、知的な発達に遅れはないのに、「読む」「書く」「計算する」といった特定のことがうまくできない場合という。タレントやアイドルで掛け算ができないとか、漢字をかけない人がいるが、そのような学生か。これは家庭における幼児期の教育の問題のように思う。

(出典:パーソルチャレンジ

米国におけるASDの増加傾向

下の図は、アメリカ疾患予防管理センターが実施している調査結果だ。1975年当時は5,000人に一人、1985年では2,500人に一人だったのが、2018年には59年に一人と増加している。これは、診断基準の変更や社会的認知の向上などから見かけ上の患者数増加という指摘もある。一方で、10%程度は両親の高齢化が原因とも指摘されているが、その原因の多くは不明だ。

(出典:東北大学大学院

童技(わらべわざ)

発達障害や多動症の子供が増えたのか、そのように診断される子供が増えたのか。どうも新型コロナの陽性者が増えたのか、PCR検査が増えたのかという議論とよく似ているが、昭和の時代であれば、「活発でやんちゃな子」とか、「突拍子もないことをするわんぱくな子」と特に問題にされなかったようなケースも、令和の時代では、子供は「おとなしくお利口に振る舞う」ことが求められ、おとなしくできなければADHDなどと疑われる傾向もあるのではないか。かつての日本には童技(わらべわざ)という言葉があった。子供は、童の間は大人が思いもよらないようなことをするけれど、童でなくなる頃には落ち着くから放っておけというものだ。子どもに対して社会が大らかだったと言える。発達障害の特性を備えていたとしても、社会で生きていくうえで困りごとがなければ、それは「個性」であって「障害」とはされません。発達障害とされる子どもが増えている背景には、子どもをとりまく環境の変化が深く関わっている。一方、長井特任教授の研究は、これまでの支援手法の研究ではなく、ロボットを含めた計算論的手法を応用して発達障害者の認知過程を見える化することで、当事者の自己理解の促進とそれに伴う社会性の向上を目指すものだ。素晴らしい。当事者研究(Tojisha-Kenkyu)とは、同じ経験を持つ他者とのコミュニケーションを通じて、自分自身を研究するだ。東京大学先端科学技術研究センターの熊谷 晋一郎や国立障害者リハビリテーションセンター研究所の和田真研究室長などとも共同研究にも取り組んでいる。

(出典:Taylor Francis Online)

ベイジアンベースの予測符号化のリカレント・ニューラル・ネットワーク

講義の中でベイジアンベースの予測符号化のリカレントニューラルネットワークについて解説があった。ベイジアンベースの脳モデルとは、人間の脳の内部構造を単純化して理解するための方法として提案されている。このモデルによると、脳は世界の内部モデルを持つ予測マシンであり、生成された予測を感覚的な観測と比較することで改善することができる。予想される事象に関する知識(事前予測)は、観察結果(感覚入力)と組み合わされて事後信念となり、環境で何が起こっているかを推論するのに役立つ。長井特任教授は、ベイジアン推論とリカレント・ニューラル・ネットワークの学習を組み合わせた計算フレームワークを提案している。つまり、このフレームワークでは、感覚入力や事前予測の信頼性に応じて適切な重み付けを行うことで、人間の処理をより正確にモデル化するという仮説を設定したと理解する。

講義では、次のトピックについても解説されたが、ここでは省略する。
・表現型描画の進化的差異(Evolutionary Differences in Representational Drawing)
・RNNによる表現型描画の学習(Learning of Representational Drawing with RNN)
・ロボットとの共同描写(Cooperative Drawing with a Robot)
・子どもの表現的な描画の発達(Development of Representational Drawing in Children)

ASD当事者研究(Collaboration with Tojisha-Kenkyu(First-Person Study) on ASD)

長井特任教授の想い

長井特任教授は、東京大学のホームページにおいて、ロボット工学の専門だけど、発達障害を研究されている経緯について、英語で解説されている。日本語にすると次のような感じだろうか。長井教授がどのような想いで研究に取り組まれているかがよく理解できる。ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を用いて、ASDの方がどのように見えているかを研究されるなど、ユニークで面白いと思った。特に、高輝度で見えることや、色がでにくかったり、動きがブレるなどが実験を通じて確認できたという。

最初のきっかけは、「賢いロボットを作りたい」という純粋な気持ちでした。しかし、最先端の人工知能(AI)であっても、3歳の子どもの知能には及ばないことがわかりました。最近のAI技術の中には、人間の能力を超えたものもありますが、人とコミュニケーションをとったり、言葉を使って話したりといった、ごく基本的なことができません。やがて私の関心は、「人はどのようにして知能を獲得するのか」という問題に移っていきました。1999年頃、大阪大学の浅田稔特任教授や東京大学の国吉康夫教授を中心に、認知発達ロボティクスという新しい研究分野が立ち上がりました。この分野の研究者は、人間と同じように学習・発達するロボットを作り、脳科学の研究から得られた仮説を検証することを目的としています。この分野の研究者は、人間と同じように学び、成長するロボットを作ることで、脳科学の研究から得られた仮説を検証し、人間の知能に対する理解を深めることを目指しています。この分野に魅力を感じた私は、大阪大学の博士課程に進学しました。そして2012年頃、先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎准教授(医師でもある)と、同センターの特任講師で自閉症スペクトラム(ASD)の綾屋紗月(あややさつき)特任講師さんに出会いました。お二人は、障害や病気を持つ自分自身を研究する「当事者研究」をリードされています。共同研究を通じて、なぜ学習や発達がスムーズにいかない人がいるのかに興味を持ちました。以来、AIを使って人間の発達のメカニズムを研究する一方で、発達障害のある人たちを理解しようとしてきました。コミュニケーションが苦手だと言われていますが、本当に障害があるのか、やり方が違うのではないかと考えています。私が取り組んでいるプロジェクトのひとつに、ディープニューラルネットワークを使って人間の脳を模倣したロボットモデルを作るというものがあります。このようなネットワークは、画像処理や音声認識などに使われています。このモデルに、子供が実際に学ぶ模倣や描画のスキルを学習させ、どのような条件で学習が成功するかを検証しています。人間の脳を操作して特定の機能を失わせることは倫理的に許されません。私たちは、ニューラルネットワークモデルを操作して、接続を遮断したり、ノイズを加えたりすることで、学習がうまくいかないメカニズムを解明しようとしています。また、ASDの人が遭遇する感覚過敏をヘッドマウントディスプレイで再現し、ASDの人やその周囲の人に体験してもらう研究も行っています。ASDの方は、他人の気持ちを伝えたり、読み取ったりすることが苦手なことが知られていますが、そもそも、自分の心の中で何が起こっているのか、自分の感情がどうなっているのかさえわからない方が多いのです。そういった自分の状態を認識することができないために、他人との接し方がわからなくなってしまうのです。だからこそ、自分の状態を「見える化」することが重要なのです。統合失調症やASDの方が遭遇する幻覚や視覚過敏などの体験を再現したバーチャルリアリティ機器や映像はいくつかありますが、これらのシミュレーションは科学的な知見に裏付けられたものではなく、個人の体験談に基づいたものが多いのが現状です。私たちは、本人の体験データを収集し、その体験が脳や目、耳などの感覚器官のどのような機能によって引き起こされているのかを探るために、手持ちの科学的知見に基づいて仮説を立てています。例えば、人間の脳は眠っている時でも自発的に電子信号を発しています。外部から音などの情報を受け取ると、脳の対応する部分が活性化されます。しかし、目を閉じて耳を塞ぎ、感覚情報が入ってこない状態でも、脳は活性化されており、その活性度は人によって異なります。研究によると、ASDの人の脳は過剰に活動しているようです。その結果、物が点に見えたり、ぼやけて見えたり、色が抜けて見えたりと、視覚的な捉え方が変わってきます。これらの現象を科学的根拠に基づいてきちんと説明することで、研究の幅が広がるのではないかと考え、熊谷チームと一緒に研究を進めています。


(出典:東京大学

幻覚マシン(Hallucination Machine)

授業の中でHallucinationという単語が出てきたが意味がわからないので調べると幻覚だった。精神病や薬で誘発されるのが幻覚などの意識状態の変化だ。この意識的な知覚のメカニズムを調べるためのユニークな方法を長井特任教授は研究されている。ここでは、「幻覚マシン」と呼ぶツールを用いて、深層畳み込みニューラルネットワーク(DCNN:deep convolutional neural networks)と、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を使って没入的に自然の風景のパノラマ映像を見るというアプローチだ。この幻覚マシンを活用して、2つの実験をしている。一つ目は、古典的なサイケデリックな薬物に似た視覚現象を引き起こすことだ。2つ目は変容した状態によく見られる時間的な歪みを引き起こさないことだ。幻覚マシンは神経生理学に関わりなく、変化した現象をシミュレートするため、貴重な新技術と言える。

(出典:Nature

まとめ

長井特任教授の授業は、認知的発達の統一原理(A Unified Principle of Cognitive Development)には、ノンソーシャルからソーシャルへの発達と、典型的な発達とASDなどに陥る非定型の発達に分かれること、認知機能の発達には時間的連続性と個人の多様性という2つの重要な要素があることでまとめられた。時間配分も完璧で、生徒からの質問の時間もしっかり確保されていた。認知モデルの対象として幼児を設定されているので、「子供と大人の行動モデルの最大の違いはどこにあるのでしょうか?」と質問すると、Good question!と言いながら、英語で説明頂いた。要約すると、「ソーシャルアクションを通じて人格を形成する部分が子供の特徴」というような説明をされたように理解したけど自信がない。また、赤ちゃんや幼児は生まれながらに利他の心を持つという説明も気になったので、昨日ブログで「情けは人のためならず:利他の心は生後7ヶ月から育まれる」と投稿した。人間を研究するためにロボットを活用し、ロボットを研究することで人間をさらに深く知る。そんなアプローチは素晴らしいと思う。

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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