はじめに
子供の世界は大人の世界の縮図だ。週刊文春は、安倍政権から菅政権に変わったタイミングで1年分以上のネタとなる内部告発を蓄積しているという。そして、週刊文春が狙いを定めて攻撃すると、テレビのワイドショーが追い討ちをかける。日本は法治国家のはずだけど、ゴシップを裁くのは、栽培所ではなく、このメディアとマスコミだ。これはまるでいじめの構図そのもののように見えるが気のせいだろうか。
いじめの構造
下の図は大阪市が考えるいじめの構造だ。一般に、いじめの問題というと、加害者と被害者という二者で論じられることが多い。もしくは、傍観者を含めた三者だ。このような構図のいじめはわかりやすいし、解決もしやすい。しかし、実際には、その裏に司令塔がいることがある。これが厄介だ。なぜ厄介かというと、この司令塔は、優秀な生徒であったり、PTAの子女であったり、一般には良い子とされている。そして、司令塔が生徒の空気を支配する。加害者はその空気に沿って、いじめを行う。いじめは良くないと裁かれるのは加害者であり、司令塔ではない。このため、加害者が反省しても、司令塔が空気を支配したままなので、第二、第三の加害者がいじめをより陰険な方法で行うことになる。
出典:大阪市
スクールカースト
インドにはカースト制度が残っているが、日本にカースト制度があるのだろうか。スクールカーストとは、下の図のように親の階層が子供の階層を決めている。最上位か、上位、中位、下位、最下位位と続く。前述のようにスクールカーストの上層部にいる司令塔の言動を忖度して、中間層のパシリが最下層の生徒をいじめる。スクールカーストの下部にいる生徒は、巻き込まれないように見て見ぬ振りをする。もしくは加害者となる。そんな構造だ。ここで厄介なのは、スクールカーストの上部にいる司令塔には、悪意がある場合もあるし、悪意がない場合もある。そこの判定は難しいし、学校もそこに踏み込もうとせず、直接的な加害者を罰して終わりとすることがある。そして、根本原因が解決していないために再発する。
出典:学校が原因で不登校に
いじめの定義
最近のいじめの定義は、いじめられた子供がいじめられたと感じたらそれがいじめとなる。2013年6月21日に参院で可決した。これは、2011年に発生した大津市の中2男子に対する深刻ないじめに対する措置だ。被害者の気持ちに寄り添ったものだ。ただ、解釈や定義を厳しくすれば問題が解決するものではないことがこの問題の難しいところだ。
出典:いじめ防止対策推進法、成立 / 不登校新聞
アドルフ・アイヒマンとミルグラムの実験
アイヒマンの実験について聞かれたことがありますか?ミルグラムの実験として詳しく説明されている。アイヒマンとは、ホロコーストの責任者で東欧地域の数百万人のユダヤ人を死に追いやったアドルフ・アイヒマンのことであり、彼が特別な人間だったのかどうかをアメリカの心理学者スタンリー・ミルグラムが人間の心理を実験したものだ。実験の方法は、次のような構成だ。つまり、Aさんは絶対的な権威者としBさんに指示する。BさんはCさんに問題を解くように指示する。問題を間違えたらCさんは電気ショックを与えられる。ただし、実際にはCさんは演技だが、それをBさんは知らない。大学生14人に事前アンケートを取ると、450Vまで行くのはごくわずか(1.2%)という予想だった。実際に実験すると、被験者40人中25人(62.5%)が最大の450Vまでスイッチを入れた。実験の中止を申し出る者もいたが、Aさんがすべての責任を持つと権威を持って説明すると、300Vに達する前に実験を中止するものはいなかったという。善良な市民であっても権威ある人間からの指示に従わざるをえない状況にあると、多くの人間が悪いことと理解しながらも実行してしまう。これは、あらゆる犯罪が起きる構造に当てはまる。あらゆる組織に当てはまる。そして、これはやはりエスカレートするいじめの構図にもなりうる。
参考:さいころニュース
エスカレートするいじめ
司令塔が絡むいじめの構図は、ミルグラムの実験の構成に類似している。いじめの内容がエスカレートするのは、主導者(Aさん)と実行者(Bさん)が異なる場合だ。しかも、Bさんは一人とは限らない。いじめのターゲットにならないために、Cさんの友人だった人までがBさんに追随するとこれは悲惨だ。自分は、教育者ではないし、学校関係者でもないので、責任ある対応策を提言することは難しい。しかし、いじめが起きた時には、このように実行犯と主導者が異なるような構図なのか、そうではなく1対1の争いかを見極めることは非常に大切だ。もし、前者の構図だった場合には、Aさん、Bさん、Cさんだけでなく、すべての関係者(クラスであれば、すべての生徒)からの声を聞く必要があるのではないか。しかし、数人ならまだしも、40名近くの生徒から一斉にヒアリングすることが現実的ではない。作文を書かせるとか、グループディスカッションさせるとか、個別にヒアリングするとか、非常に難しい対応を求められる。少なくとも、実行犯を見つけて、実行犯(Bさん)を糾弾しても問題解決にならないことを肝に銘じる必要がある。
まとめ
普通の人間が一旦戦争になると敵兵を殺す。そのような歴史を過去に繰り返してきたという悲劇の遺伝子を人間は持っているという悲しい現実を理解しなければいけないのかもしれない。そして、それは程度こそ違っても、幼い子供たちがそのような構図に陥る可能性を否定できない。したがって、大人自身が自戒するとともに、子供たちが悲劇に巻き込まれないように愛情を持って見守ることが大切だ。同時に、子供との信頼関係を学校や家庭や社会が持っているかどうかがより大切な気がする。その意味では、地域の人間関係が希薄な都心部では、学校や家庭に求められる負荷が大きく、それを軽減する仕組みをより強化することが求められているのかもしれない。
以上