いじめ問題:いじめの構図と解決策に向けて

はじめに

子供の世界は大人の世界の縮図だと思う。いじめが社会問題として認知されたのは1980年台なので、すでに30年以上経過する。自体は改善されたと言えるのだろうか。ルールを厳しくすると問題が表面化されず、水面下で起き、問題が複雑化する。つまり、大事なことは大人も子供も問題があることを認知することだと思う。

いじめ問題とは

いじめとは何なのだろう。大人の世界でも、パワハラとかセクハラとか、xxハラスメントが問題になる。2015年から3年間ほどは年間200ほどの学校を訪問していた。訪問するだけで、この学校は大丈夫だとか、まずいと感じることがある。前者の学校は先生も生徒も明るいのが特徴だ。校長先生も、担当の先生も生徒も信頼感がある。逆に後者の学校は校長先生がうちは大丈夫と明言し、担当の先生は下を向く。生徒は横を向く。信頼感を感じることができず、暗い。どちらがあるべき姿なのかは自明だけど、なかなか改善や解決は難しい。ネットトラブルの話をすると、耳を塞ぎ、目を閉じる子供がいる場合がある。後から先生にフォローをお願いすると当事者だったりする。いじめはなぜ起こるのだろう。そして、我々大人はどうすれば子供たちを助けられるのだろう。

いじめの認知件数の推移

そもそもいじめはどの程度発生しているのだろうか?2015年10月に文部科学省初等中等教育局児童生徒課がまとめた調査資料(参考1)によると、下の図のような傾向となっている。これは、いじめの認知件数であることに注意が必要だ。年度別の推移を見ると、連続的に減少している部分と、非連続に増加する部分が混在している。後者の理由はいじめの定義が見直されたためだ。いじめ認知件数が減少しても、いじめによる悲劇は無くならないため、有識者が議論をして、いじめの定義をより厳しくして、いじめの防止を図る。そんな図式が見て取れそうだ。

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(出典:文科省の調査結果資料

いじめの定義

いじめの定義はどのように変遷したのかというと、1986(昭和61)年度の定義では、自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているものと定義されていた。1994(平成6)年度には、「学校が確認したもの」が削除された。これはいじめにあった児童生徒の立場に立つべきという判断からだ。是非は別にして、児童が「いじめられた」と申告したら事実関係にかかわらずいじめと判断されることになった。2006(平成18)年度からは、一方的に、継続的に、深刻なといった文言が削除された。一定の関係にあり、精神的な苦痛を感じたものと再定義された。したがって、嫌な気持ちを感じたら「いじめ」とカウントすることになった。さらに、2013(平成25)年度には「いじめ防止対策推進法」の中で再定義された。
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(出典:文科省の調査結果資料

いじめ防止対策推進法

いじめ防止対策推進法とは、学校側がいじめはなかったとして、適切な対応をしなかったことが原因で2011年に起こった大津市の自殺事件を契機として2013年9月に施行された。いじめの再発を防止するために国、市区町村、学校、保護者、児童がなすべき行動が規定された。
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(出典:不登校新聞

いじめはなぜ無くならないのか?

「いじめられた」と叫べば、それは「いじめ」となり、加害者とされた児童や保護者、学校、市区町村も批判されることになる。大人の世界でも冤罪はあるが、子供の世界でもいじめっ子が「いじめられた」と宣言するいじめも発生しているようだ(参考)。

脳科学者の見解

脳科学者の中野信子博士は、そもそも人間は理想的な存在ではない。いじめは悪い子だけがやるものだと思いがちだが、いじめについての科学的理解を深める必要があると指摘する。また、例えば、「ももいろクローバーZ」では、メンバー5人がそれぞれの役割を持ち、それぞれが活躍できる場がある。お互いの個性や考え方を尊重するような人間関係においてはいじめは起こりにくいと言っている(参考)。

いじめの構図

中野信子博士は、同時に人間は集団で生きる生物であり、集団の規律を乱すものが出るとそれを排除したり、指導したり、制裁したりする。この制裁がいきすぎた時に悲劇が発生すると言っている。これをヒントに構図を考えたのが次の図だ。規律を乱す人はどこにもいるものだ。しかし、組織としてそれを放置できない場合には、やはり注意したり、指導したりするが、このスキルを高めることが根本的な対策ではないだろうか。しかし、それでも集団の規律を乱す人がいると、昔の村社会では村八分を行った。つまり、葬式と火事以外の共同行為を全て拒絶するという行為だ。この行為にも是非はあるが、村八分にされた人はその後どのように生きるのかを選択する権利は有している点で悲劇的ではない。しかし、そうではなく制裁を下すようになると、その制裁が過激化することは過去にも、現在にも、そして残念ながら未来にもあるのかもしれない。そのような悲劇をなくすために、有識者が議論をして、さらに規制を強化する。しかし、規制が強化されると、その規制を守る人もいるが、規制を守ったふりをして水面下でいじめをするケースや、いじめと見なされないような巧妙な方法でいじめをするケースが生じる。「ドラえもん」におけるいじめっ子は、昔はジャイアンだった。しかし、文部科学省が公開した「いじめ対応へのヒント」という資料では、「いじめ」は加害者、被害者、観衆、傍観者の4つに分解して考える必要があるという(参考)。

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(出典:筆者が作成)

いじめの構造

先の「ドラえもん」の人間関係においては「静香ちゃん」が影のいじめっ子だという説がある。だって、静香ちゃんには女の友達がいないじゃない。きっと性格悪いよという。下の図のように、加害者は実行犯であって、それを指示する司令塔がいるというのが最近のいじめのメカニズムだ。その司令塔は学業優秀だったりすると、親も学校もそんなことはないと考えがちで、実行犯だけが罰せられたりすると、いじめの構図が慢性化するので注意が必要だ。「ミルグラムの実験といじめの構図」に見るように、人は権威者からの指示に従う構図になれば加害者になりうる。

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(出典:大阪市人権だより

スクールカースト

現役の中学校教師である堀裕嗣さんが出版した「スクールカーストの正体」を読んだ時には、その慧眼に敬服した。堀さんは次の図のようにスクールカーストの構成員を分類化している。詳しくはぜひ図書を読んで欲しいが、高位の人間の意志を中間位の人間が忖度して、下位の人間をいじめる。大人の世界でも、役員、上級管理者、中間管理者、社員といった階層構造がある。子供の世界は大人の世界の縮図だと再認識する。
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(出典:スクールカーストの正体

深刻化するいじめ

なぜいじめは深刻化するのだろう。いじめは、1対1の問題ではなく、集団の中で常に制裁を受けるべき行動が監視されている。先のスクールカーストの例で言えば、残虐なリーダの言動を忖度して、お調子者が実行犯となって、自己チュータイプをいじめるそんな構図だろうか。もしくは数名のグループの中で誰かの意志を忖度して、誰かをいじめ、そのあとは別の誰かをいじめる。そして、最後には主犯が被害者になる。そして、その時には、被害者を経験した恨みが凝縮されて、そのいじめが悲劇を生む。そんな想像したくない構図もあるという。

解決策に向けて

集団で生きることが人間の性(さが)であり、その集団の規律を乱すものを是正しようとする行為に失敗したものが「いじめ」だとすると、どうすれば解決するのか。短期的な即効性はないが、次のような取り組みを長期的にじっくりと進める必要があるのではないだろうか。

1)個の尊重と夢へのチャレンジ応援

個人や集団の目的や夢を持ち、それぞれの目的や夢にチャレンジしたり、それを応援するような組織文化を醸成する。個人の価値は学業だけではない。個人はそれぞれ役割があり、夢があり、それに向けて頑張る。学友も学校もそれを応援する。えこひいきしない。生徒の長所を見出し、伸ばす。そんな校風を醸成することこそ努力すべきことではないだろうか。

2)ダイバシティの尊重と異質な文化の体験

日本社会は同質性が高いため、マイノリティに対する許容度が低いのではないか。これは子供社会の問題だけではなく、大人社会の問題である。大人社会においてダイバシティを尊重する社会風土を浸透させる。難しい問題だが、大人が範を示すことがやはり求められている。

3)SNSの規制や指導

LINEやTwitterを代表にして、SNSを使うことが問題の原因のように議論されることがあった。最近では、さすがにそのような論調は減って、正しい使い方を教えることが重要だという論調に変わってきた。しかし、それでもダメな使い方を示すことにとどまっていることが多い。今でも、小・中学生を対象とするフィルタリングのデフォルトではLINEを使えない。誹謗中傷をしてはいけないという指導をすることには賛成だが、それでどれだけの効果があるのだろうか。

4)SNSの積極的活用

学校推奨のSNSを提供するような方法もあるのではないだろうか。YouTubeを見すぎるなとか、YouTuberを目指すことに否定的な姿勢を示すよりは、校内で動画コンテストをしたりして、動画作成能力を競わせて、褒めてあげる方法もある。動画の秒数を例えば90秒と決めて、「最近のスマホトラブルのしくじり例」をテーマに子供達に動画を作らせたら、びっくりするような素晴らしい教育的な動画ができるだろう。そのような動画を生徒同士で共有させるような方法もあるだろう。最近では、いじめの兆候に気づいたら通報するような「STOPit!」といったSNSが使われ始めている。ドイツ人の若者が開発した分散型のSNSである「マストドン」の日本サイトも始まっている。あまり宣伝されていないので認知されていないが、auのキッズスマホには、不適切な言葉を入力すると、本当に送信する?と再確認する機能が実装されていた。米国の調査では95%は思い直すらしい。そして再確認されても送信する場合には、その履歴が残る仕組みだ。まだまだ課題も多いけど、SNSの利用を規制するよりも、不適切な使い方をSNSを活用して是正することも検討したい。

5)アクティブラーニングと課題設定能力

2020年に向けて新しい教育指導要領が検討されている。2017年2月14日に公示された改定案では、課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)を取り入れることが宣言されている。この前、中学校の先生と話をしていて、これからは問題を解く能力よりも、問題を考える能力が重要になると云う話になった。技術士的に言えば、課題設定能力だ。例えば教科書を題材にして、問題とその回答、そしてその根拠を生徒に考えさせるようなことができれば良い勉強になるのではないだろうか。そんな風に全ての生徒が必死にそれぞれの能力を発揮するような学校なら「いじめ」は起きないような気がするが、それは楽観的過ぎるだろうか。

以上

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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