カレーの起源は紀元前2500年、北インドのナン派と南インドのライス派。あなたはどちら派?

はじめに

老若男女を問わずカレーが好きな人は多い。我が家でも非常食としてレトルトのカレーがいくつか常備されている。ご飯とカレーさえあればなんとかなる。そんなカレーの歴史を遡ってみたい。まず、日本ではいつから始まったのかといえば、文明開花の掛け声とともにカレーライスが日本に上陸したようだ。約200年も続いた鎖国が終わった日本には文明開化に伴い、西洋文化や東洋文化が続々と上陸した。1872年には西洋料理指南書や西洋料理通という書物にカレー料理が紹介されている。当時は、玉ねぎやジャガイモがまだ日本には普及していなかったので、長ネギを使ったようだ。エビや牡蠣はわかるけど、当時は食用蛙が手に入ったのだろう。蛙まで入れるとはちょっと驚きだ(笑)。

(出典:東京都立図書館

英国経由で日本にカレーが伝わる

インドでは紀元前2500年ごろにカレー粉の原型となるウコンと生姜の痕跡を人間の歯と鍋の残骸から発見したようだ。これを調べたカシヤップはカレーは地球上で継続的に調理されている最古の料理かもしれないと述べている(出典)。インドには、カレーはなく、すりつぶしたターメリックやクミン、コリアンダー、生姜、新鮮な乾燥した唐辛子を含むスパイスやハーブを混ぜて調理する。インド南部では、カレーの木から取ったカレーの葉も不可欠だ。ウコンはカレーの主なスパイスとして知られている。18世紀に英国はインドを植民地として支配していた頃に、ベンガル地方の総督だった英国人がカレーを英国に紹介したとされている。また、19世紀になるとイギリスで簡単にカレーを楽しめるようにカレー粉が開発された。

(出典:農林水産省

カレーの7つの疑問

カレーの語源

カレーの語源は諸説あるが、南インドで使われたタミル語ではご飯を添えた料理を「カリ」と呼んでいたという説が有力だ。北インドやパキスタンでは肉汁をカレーと呼ぶようだ。この肉汁をシチューという意味でイギリス商人がカレーと呼んだようだ。英国人がインドに来てからは、アジアのスパイシーな料理全般を指すようになった。

カレーの健康機能

毎日カレーを食べていれば医者知らずとされる。カレーの葉には抗酸化物質が含まれていて、人体の細胞損傷のリスクを軽減することが期待されている。カレーに含まれるアキウコンにはクルクミンという有効成分があり、クルクミンの生理作用として抗腫瘍作用や抗酸化作用、抗アミロイド作用、抗炎症作用などが知られている。抗がん効果として、がん細胞特異的にアポトーシスを誘導するとの報告がある。事前に発がん物質を投与されたマウスやラットに、0.2%のクルクミンを添加した食餌を与えたところ、大腸癌の発症において有意な減少が見られたとの報告がある(出典)。癌による死因は中国で22%、米国で25%だが、インドでは8%だ。高齢のアジア人を対象としたミニメンタルステート検査で、半年に1度以上黄色カレーを食する群は相対的により健康な精神的機能だったという(出典)。

ナン派の北部とライス派の南部

インド北部のカレーは、中東からの征服者で、ナッツやドライフルーツを持ち込んだムガール帝国の影響を受けていて、乾燥したスパイスを使い、小麦の平たいパン(ナン)と一緒に食べる。一方、インド南部では、ポルトガル人が新大陸から持ち込んだトマトや唐辛子がカレーの主役となり、新鮮なハーブを使って、ライスと一緒に食べる。日本で営業している本格派のインドカレーの多くはネパールカレーだ。

複雑な味の要素

カレーの味は複雑だ。カレーには、酸味、甘味、塩味、苦味、辛味、渋味という7つの味の要素を組み合わせている。また、その味のバランスをとることが重要だ。地球上で継続的に調理されている最古の料理と言われるカレーのスパイシーな味は香りとともに堪能したい。

食品の保存

カレーは寝かせるほど味に深みが増すという。冷蔵保存が難しい時代には、カレーに深まれるスパイスや発酵させた乳製品が有害な細菌の繁殖を抑えて食品を保存する役割を果たした。食品を安全に保存できる効果は重要だったに違いない。

調理の順番

カレーは食材を鍋に入れる順番で味が変わる。スパイスを油で炒めて香りを出してから、玉ねぎやトマトなどの材料を入れる方法と、玉ねぎを先に炒め、そこにスパイスを加える方法では全く味が異なります。本格的なムガール風カレーソースを調理したい時には、好みの食感に加えて、ナッツペーストを濾したり、煮込む前に水を足したりする方法がある。バイタミックスを使えばペーストを濾す必要がない。ナッツとケシの実を12時間浸す代わりに、圧力鍋を使って1気圧で45分間加熱する方法がある。白いケシの実を使うと、カレーの色が鮮やかになる。

唐辛子の効用

前述の通りインド南部では、ポルトガル人が新大陸からトマトや唐辛子を持ち込んだため、これらの地域では辛いカレーが普及した。唐辛子の辛さのもととなるカプサイシンは鳥によって運ばれる。なぜなら、鳥は、カプサイシンを辛いと感じる化学的受容体を持たないために遠くまで運んでくれる。鳥のくちばしや消化器系は、種をそのままにして、遠くまで運んでくれるので好都合だ。

(出典:Mughal Curry Sauce)

ギルガメッシュ叙事詩

ギルガメシュ叙事詩には、栽培した小麦を挽いて小麦粉にし、パンを焼いたり、野菜くずからダシをとったり、豆と麦でリゾットを作ったりする様子を描いている。そのダシを使ったのが「古代小麦とラム肉のシチュー」だ。古代メソポタミアで収穫されていた野菜を煮てフェンネルやクミンで風味づける。ギルガメシュ叙事詩には、パンも描かれている。フンババ討伐に向かうギルガメシュとエンキドゥが、約200キロ進んで休憩している時に、二人が携帯してきたパンを二つに割き、一緒に食べて休憩している。「パンを割いた」は、アッカド語原文で、クサープという。パンはシュメール語でニンダ(NINDA)、アッカド語でアカルと呼ぶ。古代メソポタミアの都市ニップルには80以上の種類のパンが食されていたようだ。北インドはシュメールの文化の影響を受けていた可能性もある。

(出典:東京都立図書館

ムガル帝国のインド料理

ムガル帝国とは、1526年から1720年まで南アジアを支配した近世帝国だ。西はインダス川流域、北西はアフガニスタン北部、北はカシミール地方、東は現在のアッサムやバングラデシュの高地、南はデカン高原の高地まで広が流。ムガル帝国の帝国構造は、最後の皇帝アウラングゼーブが死去した直後の1720年まで続いた。16世紀に描かれた細密画には、バブールがガチョウのローストを含む宴席を設けている様子が描かれている。皇帝の自叙伝は、生まれ故郷である中央アジアのフェルガナ地方の描写から始まる。「ザクロとアンズは絶品だ。ザクロの一種にビッグシードと呼ばれるものがあるが、その甘さは熟しすぎたアンズの味に似ている」とかなりのグルメだったようだ。なお、ムガル帝国の初代君主バブールは、インドへの侵略者であり、礼拝所を破壊した人物として、現代のインドの一部の人々からは嫌われているようだ。

(出典:The Indian Express)

まとめ

今日も無理矢理にシュメール人に繋いでしまった。ただ、カレーがなぜライス派とナン派に分かれるのかと不思議に感じていたが、それはインド北部の文化とインド南部の文化の違いだった。普段、本格インド料理として食べているナンはネパールのカレーで使われているナンのようだ。なぜインドカレーというとナンを連想するのかと言えば、1947年にインドが独立した後インドやバングラデッシュの人々がロンドンに移り住み、パン文化に近いナンをベースに北インドの料理をアレンジしたため、そのスタイルが日本にも伝わったためと言われている。チキンバターカリーをまた食べたくなった。今度行ってみようと思う。

以上

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

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