正義と謙虚。技術士を目指す人は謙虚に高い倫理観を持って公益を高めてほしい。

はじめに

今回は、少し哲学的な話題にしたい。中学校の卒業式で校長先生が話した「工夫」や、高専の哲学の授業で習った「良く生きる」などは今もよく覚えている。そもそも、哲学とは「知を愛する(=フィロソフィー)」という意味だ。無知の知なども技術士の勉強をしていると痛感する。新しいことを学べば学ぶほど自らの不知を知ることになる。7月の筆記試験に向けて必死で頑張っている受験生にエールを送る意味からも少し考えてみたい。

忖度の功罪

「忖度」が話題になったのは森友学園だろうか。それまでは、秀吉が信長の草履を温めたように、上司の想いを察して、先手先手で対応する優秀な部下の資質のようなイメージもあったが、森友学園の事件で一気にマイナスの言葉となった。忖度とは、本来は「他人の気持ちを推察すること」である。その結果としての行動の良し悪しは判断されるべきだが、忖度という行為そのものには罪はないと思う。

(出典:Career Picks)

規則と倫理

規則とは、守るべきルールだ。守らなければ罰を受ける。人を傷つけないとか、他人のものを盗まないと言ったものだ。一方、倫理とは、実践することで称賛されることだ。人には優しくする。困っている人がいたら助ける。明るく挨拶をする。実践しなくても罪ではないし、罰も受けないけど、みんなが実践することで社会が良くなる。言い換えると、規則とは他律的行動であり、倫理とは自律的行動だ。他人に命令されて行動するよりは、自分で考えて、やりたいと思って行動する方が成果も上がるし、楽しい。ただ、最近は「自粛を要請する」と飲食店の行動を制限する。これは一見、飲食店の自主的な行動規制を促しているようで、罰則まで設けて帰省している。飲食店がコロナの原因になるというなら、その前に満員電車をもっと改善してほしい。

パリの地下鉄の無人運行

2020年5月に出社するために朝の電車に乗ったらガラガラだった。シートで隣の人との距離を確保できた。しかし、そのうち距離は確保できないどころか、座れないどころか、普段通りの満員電車だ。3密どころではない。なぜ、公約にも掲げた満員電車を解消できないのか。パリの地下鉄では1998年から無人運転路線を増やし、2011年からは完全無人運転だ。そのメリットとして乗客が多い時には、運転手の確保が必要なく、車両の空き具合のみで増発を決められる。これが大きいと聞いた。

(出典:GENDAI)

力なき正義、正義なき力

火曜日の夜にBSをかけたら大山倍達をモデルにしたアニメを放映していた。小学校の頃には、少年マガジンに連載されていた「空手バカ一代」を愛読した。といっても、単行本は高くて買えないので、最寄りの本屋さんで読ませて頂いた。その中の「力なき正義は無力なり。」と「正義なき力は悪なり。」というフレーズを今も鮮明に覚えている。権力を持つものが行うことが正義とされる傾向は、「勝てば官軍」の時代から変わっていない。ワクチン接種は、コロナ禍を収束させる決め手と期待されているし、実際効果も高い。しかし、リスクがあることは理解しておく必要があるし、これを強要することも適切ではない。なぜなら、仮にワクチンのために重篤な副作用(ワクチンでは副反応という)が発生したときに責任を取れないためだ。別に投稿しているが、陽性者が死亡したら全て新型コロナによる死亡者と発表するのに、ワクチンを接種して死亡してもワクチンが原因とは言い切れないと慎重だ。一見、どちらも理がありそうだけど、個人的には二枚舌での対応に違和感を感じる。

真実・誠実・謙虚

以前のブログにも投稿したけど、Niziuの韓国での研修中に13人の研修生を集めて、J.Y.Parkさんがお話をした。自分が君たちに求めるのは、ダンスや歌だけではない。周りの人に良い影響を与える人柄だ。そして、そのためには真実、誠実、謙虚の3つ大事にしてほしいと説いた。13名の研修生は目をキラキラさせて「はい」と答えた。

(出典:YouTube)

謙虚とは高い倫理の象徴

SNSで不適切な投稿があるとバッシングを受けることがある。最近もCoCo壱番屋の店員が不適切な行動をした映像を配信するバイトテロが発生し、この行為に批判が集中した。自分は悪いことをしていない。悪いことをしたのはAさんだ。だからAさんが批判されるのは当然だと考えるのだろうかバッシングはエスカレートする。J.Y.Parkが説くように、誰にみられても良いように行動する(=真実)、自らに鞭打って今やるべきことをやる(=誠実)、他人の悪いところを見るのではなく、周りの人の良いところを見る(=謙虚)。そんな高い倫理感に裏付けられた行動こそ目指すべきではないだろうか。

確証バイアス

Aという意見と、これと対立するBという意見があった場合に、Aを信じる人はAが正しいという情報を集め、やはりAが正しいと確信する。同時に、Bが正しいと思う人はBが正しいという情報を集めて、やはりBが正しいと思い込む。人間はそんな傾向(=確証バイアス)を持っている。なので、Aが正しいのか、それともBが正しいのかという問題ではなく、もしかするとAかもしれないし、Bかもしれないというオープンな発想ではないだろうか。

(出典:ameba)

まとめ

実力をつけたら謙虚に生きたい。自分は何も分かっていないという謙虚な姿勢でいたい。自分で課題を考えて、自律的に解決に向けて行動できる人を志向したい。「力なき正義」のように、自分に実力がないと謙虚に生きることは難しい。謙虚になれば実力が上がるのではなく、実力をつけることで謙虚にもなれる。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」はそういう意味だと思う。

以上

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