読書シリーズ:シュメールの世界に生きて(S.N.クレーマー著)その1

はじめに

シュメールで検索すると24個の投稿がヒットする。最近は、どうもシュメール文明が気になる。そんなシュメールの世界に90年も前から研究した学者の自叙伝を拝読した。読んでいくうちに面白い。通常だと2−3冊をまとめてブログにアップするのだけど、この本は面白過ぎる。2回にわたってその概要を伝えていきたいと思った。

S.N.クレーマー(Kramer, Samuel Noah)

サミュエル・ノア・クレーマー(1897年9月28日から1990年11月26日)は、シュメール史とシュメール語を専門とするアッシリオ学者である。現在のウクライナのキエフ近郊のジャシュキフでユダヤ人として生まれる。1905年に一家は米国に移住し、フィラデルフィアの高校を卒業後、テンプル大学、ドロップシー大学、フィラデルフィアのペン大学などで学ぶ。30歳を目前にして、自分のルーツに立ち返り、青春時代に勉強したヘブライ語を活用して学問的将来に結びつけるたいと考えた。詳しくは図書の中でも紹介されるが、フィラデルフィアのドロップシー・カレッジ・フォー・ヘブライ・アンド・コグネイト・ラーニングに入学し、エジプト学に関心を寄せ、ペンシルベニア大学東洋学部に移り、近東研究の世界的指導者となるエフライム・アヴィグドール・シュパイザーに師事し、この時点からクレーマーは楔形文字の理解に生涯を捧げる。1929年に博士号を取得したクレーマーは、世界中に分散している何千というシュメール文学の板碑や断片を読み解き、学術関係者、人類学者、歴史家、人文科学者が信頼できる形で翻訳できるように奔走した。クレーマーは彼は1968年に正式な学業生活から引退しましたが、1990年11月26日、フィラデルフィアで咽頭癌のため93歳で死去するまで楔形文字の研究者であった。

(出典:日本の古本屋

S.N.クレーマーの著書

クレーマーの著書は、日本語にも数多く翻訳されている。「歴史はスメールに始まる」が駒場図書館にあったので、取り寄せした。今週末にはピックアップできるだろう。今から楽しみだ。

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
聖婚 : 古代シュメールの信仰・神話・儀礼 S.N.クレーマー 著 ; 小川英雄, 森雅子 訳 新地書房 1989.11
シュメールの世界に生きて : ある学者の自叙伝 S.N.クレーマー 著 ; 久我行子 訳 岩波書店 1989.12
メソポタミア サミュエル・ノア・クレーマー著 タイムライフブックス 1976
メソポタミア サミュエル・ノア・クレーマー著 タイムライフブックス 1974
ライフ人間世界史 タイムライフブックス編集部 編 タイムライフインターナショナル 1968
メソポタミア サミュエル・ノア・クレーマー著 西武タイム 1968
メソポタミア サミュエル・ノア・クレーマー著 タイムインコーポレイテッド 1968.11
歴史はスメールに始まる N.クレマー 著 ; 佐藤輝夫, 植田重雄 訳 新潮社 1959
L’histoire commence à Sumer Samuel Noah Kramer ; préfaces de Dominique Charpin et Jean Bottéro ; traduction de Josette Hesse … [et al.] Flammarion 2015

(出典:Webcat plus

楔形文字の変遷

シュメール文明が注目されるのは、現存する文字があるからだ。この楔型文字は、日本の古代の神代文字の一つである杵楔文字にそっくりと言われている。杵楔文字は別途深掘りするにして、ウルクで発明された文字が整備され,完全な文字体系に整えられるのは紀元前2500年頃のことだ。文字数は約600に整理され,シュメール語が完全に表記されるようになった。楔形文字は,文章の中で楔形文字を表語文字と表音文字に分けた。下の図は絵文字から楔形文字への過程を示したものだ。

(出典:地球のことば

図書のストーリー(前半)

タルムードから楔形文字へ

P1:私は1897年9月28日、ウクライナのキエフ近郊にあるユダヤ人居住の町ザシコフに生まれた。
P2:父はタルムードを教えるラビだった。父の学校の生徒は12名ほどで年収は120ルーブルだった。
P3:父の学友はポグロムの脅威吹き荒れるロシアを離れてフィラデルフィアに移住しするように説得した。
P8:学者には2つの原型がある。一つは与えられた章句を暗誦するタイプ。もう一つは論理的推論の正当性を確かめるタイプ。
P11:1917年に師範学校を卒業した。陸軍学生訓練隊に志願したがすぐに終戦となり、解放された。

新米学者―イラクの遺跡で

P22:ベルリンからイスタンブールへとtばし、ポスポラス海峡のほとりの考古学博物館を訪レた。
P23:1930年9月伝説の都バグダードに立った。
P24:エドワード。キエラによって1925年に開始された発掘が継続中であった。

アルノー・ペーベルとシュメール語文法

P34:シカゴ大学オリエント研究所はエジプト学と近東研究を専門とする研究所で、実質上の創設者はジェームズ・ヘンリーブレステッドである。ロックフェラー2世の財政的な支援を受けて1919年にオリエント研究所を創立した。
P37:アッシリア語で書かれた原典資料の多量の翻訳を非常勤の楔形文字学者に任せた。そのうちの一人が私だった。

エドワード・キエラとシュメール文学

P45:キエラは考古学と銘文学の先駆者であった。1914年から1922年に粘土版文書集を4巻出版していた。
P46:19世紀半ば以前にはシュメール人とシュメール語の存在は全く知られていなかった。シュメール語の解読はセム語族に属し、楔形文字で表記されるアッシリア語の解読を通じて実現された。アッシリア語は、古代ペルシア語とエラム語の三か国語兵器の碑文の中に解読の鍵が見つかった。
P48:シュメール語は、セム語のような屈折言語ではなく、膠着(こうちゃく)語の言語であった。
P56:1933年に私のシュメール文学研究は始まった。同時にシカゴの学校の先生をしていたミリー・トカルスキーと結婚し、翌年には息子ダニエルの誕生に恵まれた。

膠着語(agglutinative language)とは、合成言語の一種で、主に膠着に基づく形態素(morphemes)を持つ言語である。単語はその意味を決定するためにさまざまな形態素を含むことがあり、これらの形態素(語幹や接辞を含む)はすべて統合後も変化しない傾向があるが、これは規則ではない。例えば、フィンランド語は典型的な膠着語であるが、その形態素は子音階と呼ばれる子音交替を行う。また、日本語のいわゆる「た」「て」形(膠着語)は、規則的ではあるが音韻的に予測不可能な方法で語幹と融合する(例えば、「きるきる」の「て」形は「きって」であり「*きって」ではない)。単語中の1つ以上の形態素の音韻や綴りに予測不可能な変化を許容する融合語に比べ、膠着語はそのような変化にもかかわらず単語の意味をより容易に推測できるようにする傾向がある。その結果、通常、単語が短くなり、発音も容易になる。(出典)。

神々―シュメールの神話

P62:1937年から1938年の奨学金2000ドルを支給されイスタンブールに行くことができた。私と妻、4歳のダニエル、1歳の娘ジュディ。
P65:世界的なオリエンと学者ベンノー・ランズベルガーはトルコのアンカラ大学の楔形文字学教授に任命された。楔形文字学はアンカラ、イスタンブル両大学で今や立派に成熟した人文学の教科となっている。
P74:1940年代当時、シュメールの神話学は楔形文字学研究およびオリエント学一般の分野において文字通り未知の世界であった。
P75:シュメールの神話は宇宙の生成、神々の誕生、神々の愛と憎しみ、彼らの悪意と陰謀、彼らの創造的な行為と破壊的な行為に関心を寄せる。
P76:エンリルが清らかなニンリル女神を強姦し、その罪深い悪事ゆえに強大な神であるにもかかわらず他の神々によって罰を与えられ、冥府へ追放される。
P79:シュメールの神話編纂者たちは詩人であり、物語詩を作って神々や神々の行為を讃え、人々を鼓舞し、楽しませることにあった。(⇨ 下の導入部は日本の和歌のようだ)

いにしへの日々に、遠きいにしへの日々に、
いにしへの夜々に、遠きいにしへの夜々に、
いにしへの年々に、遠きいにしへの年々に、
天 地より分かたれしのちに、
地 天より分かたれしのちに、
人間の名 定めれしのちに、(p79)

英雄たち―シュメールの叙事詩

P96:1930年代から1940年代を通じて私の学問上の努力のほとんどはシュメールの神々に捧げられた。
P100:ギルガメッシュ叙事詩は、そのエピソードのいくつかはシュメールに発していても、全般的に言って、大部分はセム人の創作にかかるものだった。
P106:アッシリア語版全編の原型となったシュメール語のオリジナル版は存在しなかった。
P109:ギルガメシュと50人の従者の様子をすぎの森の棲家から窺っているのは怪物フワワである。
P125:チャドウィック夫妻は古代インド・ヨーロッパ語族の3つの英雄時代、紀元前第二千年期歳末期にギリシャで栄えた英雄時代、ギリシャのそれより100年ほどしか隔たっていなインドの英雄時代、そして4世紀から6世紀にかけて北ヨーロッパの大部分で経験されたゲルマン民族の英雄時代、を分析していたが、それが私には、驚くほどシュメールの英雄時代に似ているように思われた。
・P126:シュメール人の英雄時代は3つのインド-ヨーロッパ語族の英雄時代の文化様式と驚くほど似た携帯を取るのである。3つのインド-ヨーロッパ語族の英雄時代は、人間と同じ形姿を持つ神々を礼拝するということを特徴としている。
P127:シュメールを加えて4つの英雄時代に一際目立つ人間の業績は、詩的形式をとって語られるか歌われるかした英雄物語の創出である。
P128:シュメールの英雄叙事詩はギリシャ、インド、ゲルマンの叙事詩のパターンに非常に近いものがある。
P130:先史時代の遺物とシュメール人の遺物を分析した結果、多少の類似は認められるけれども、両者の相違は顕著であり、前者をシュメール人に帰することは到底できず、やはりシュメール人に先立つ人日の所産としなければならない。(⇨ これは一つの意見で、これと対立する意見との間の決着はまだ得られていないようだ)

王たち―シュメールの讃歌

P135:「王権の天下りしのち・・・」と、あるシュメールの文書は始まる。大洪水以前に存在した5つの都市名とそれらの都市を支配した8人の伝説的な王の名前が挙げられる。
P137:シュメール文学に関するかぎり、1964年までは大洪水についてのただ一つの重要な文献は、シュルッパクの敬虔な王ジウスオゥラが不死を約束されるところで終わる大洪水神話であった。
p140:シュメールの吟唱詩人や詩人たちは、その国土と同胞たちに計り知れない損害をもたらしはしたが結局はそこから復興することのできた破壊的な大洪水のことを知っていた。

まとめ

クレーマの自叙伝を読んでいると、楔形文字の目覚め、シュメール文化に魅了された経緯がまるで自分のことにように感じられる。図書の中で何度か日の出国という表現があり、その国との交流が定期的に交わされていることが特に印象的だった。残念ながらこれは今回の範囲ではなかったけど、クレーマー自身は日本にも訪問し、三笠宮殿下とも対談されている。日本とシュメール文明の関係もかなりのことをご存知だったのだらうと推察する。それにしても、1968年に退官された後の執筆物をもっと拝読したいと思った。日本との関係を示唆するような内容だと発行にストップがかかるのだろうか。シュメール文明と縄文文明を比較すると多くの類似性が浮き彫りになるような気がする。

以上

最後まで読んで頂きありがとうございます。

参考:その2
賢者たち―シュメールの知恵文学
ベストセラーの誕生
イェーナへの旅
交換教授―ロシア共和国で
楽園を求めて
シンポジウム、総合、総括
旅路の教授
終わりを彼方に見て

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