縄文土器が西に伝播して櫛目文土器や縄目文土器になったと考える方が自然だと思う。

はじめに

昨日は、縄文土器に酷似した縄目文土器がヨーロッパ各地で発掘されているが、その関連性の謎を解く鍵がこれまた縄文土器に酷似した櫛目文土器ではないかと投稿した。今日はそれに関連した付随情報を投稿したい。やはり鬼界カルデラの大噴火を受けて中国や朝鮮半島に脱出した縄文人の存在やその縄文人が持つ文化や縄文土器がその後の櫛目文土器や縄目文土器に影響を与えたと考える方が自然だと思う。

東アジアにおける海流・偏西風

下の図は、日本と朝鮮半島や中国との間の海流や偏西風の様子だ。例えば、日本から朝鮮半島西部や大連に向けては海流に乗れば比較的簡単に移動できるが、その逆は海流に逆らうことになる。しかし、朝鮮半島南部の釜山からなら隠岐島あたりに漂流できる。日本海の海流は山手線や環状線のようだ。ただし、方向は半時計方向のみだ。北陸地方や秋田や函館からウラジオストックへの海流にそって移動できるし、ウラジオストックから朝鮮半島の東側を通って、出雲の方に移動することもできる。

(出典:Ruins)

ハプロタイプNの拡散

昨日の投稿でも、「遼河地域を原郷にして朝鮮や、西はシベリアを経て北欧まで拡散していったようである。」という説を紹介した。これはウラル語族の特にフィン・ウゴル系民族の/Y染色体ハプログループがN1a1であり、それがハンガリーやフィンランドまで拡散したという説だ。また、下の図は、紀元前6200年ごろから存在した遼河文明(りょうがぶんめい)を起点として、西に拡散したという説明だ。しかも、この紀元前6200年前の遼河文明が紀元前1万3千年前からの縄文文明に影響を与えたという説明だけど、普通に考えれば逆だろう。縄文時代には、縄文人が遼河地域との交流をしていて、7300年前の鬼界カルデラの大噴火の影響から逃れるために、民族で大移動したと考える方が自然だと思うが、どうだろうか。その意味から下の図には九州地区から遼河地区へや朝鮮半島への矢印を追記した。

(出典:「喜源テクノさかき研究室」の図に一部加筆)

アファナシエヴォ文化

アファナシエヴォ文化(The Afanasevan Culture)とは、紀元前3300年から2500年頃の新石器時代にミヌシンスク盆地とアルタイ山脈に存在した南シベリアエリアにおける最古の考古学的文化である。この発音しにくい名称はロシアハカッシア州ボグラツキー地区の山の名前(ゴーラ・アファナシエヴァアファナシエヴァ山)に由来する。アファナセヴォでは牛や羊、ヤギに加えて、野生または家畜の馬も発見されている。アファナセヴォ族は、石斧や石矢じり、骨で作った釣り針、鹿角から作った馬の頬当てなども利用していたようだ。この地域では車輪付きの乗り物や金銀銅の装飾品も発見されている。

(出典:Afanasievo Culture)

ピットウェア文化からバトルアックス文化

ピットウェア文化(もしくはピテッド・ウェア文化:Pitted Ware culture)は、紀元前3500年から紀元前2300年ごろのスカンジナビア南部での文化である。スカンジナビア南部、スヴェアランド、イェータランド、オーランド、デンマーク北東部、ノルウェー南部の海岸沿いに存在した狩猟採集文化だ。中石器時代の経済だが、農耕がスカンジナビアに到達した時期であるため、慣習的に新石器時代に分類されている。ピットウェアの人々は主に海洋狩猟民であり、スカンジナビア内陸部の農業コミュニティやバルト海の他の狩猟採集民と活発な交易を行っていたという。紀元前2,800年頃からは、スカンジナビア南部でファンネルビーカー文化の後継であるバトルアックス文化と共存していたが、紀元前2,300年頃にはピットウェア文化はバトルアックス文化に吸収された。その後の北欧青銅器時代は、穴窯文化とバトルアックス文化の要素が融合したものだ。

(出典:Pitted Ware Culture)

カタコンベ文化

カタコンブ(Catacomb)文化は、紀元前2800〜1700年にポンティック草原で栄えた青銅器時代の文化だ。ヤムナヤ(Yamnaya culture)文化の流れをくむ南方の草原で生まれたインド・ヨーロッパ語系の文化だ。カタコンブ文化はマルチコードン焼文化を生み、スルブナヤ文化に引き継がれた。カタコンブ文化は、ヤムナヤ文化の西方の子孫として紀元前2800年にポントス草原の南部に出現した。カタコンブ文化は東へ北へと拡大した。紀元前1900年から1600年のセイマートゥルビノ文化は、アバシェボ文化やカタコンブ文化、アンドロノヴォ文化の影響を受けている。カタコンブ文化の特徴的な装飾品であるハンマーヘッド・ピンは、中央ヨーロッパやイタリアでも発見されている。カタコンブ文化とミケーネのギリシャとの類似性は顕著で、槍の穂先の種類、馬の頬当ての種類、死者のための仮面を作る習慣などが指摘されている。

(出典:Catavomb Culture)

まとめ

以前投稿した「縄目文土器についての投稿」では、今回記載した「アファナシェヴォ文化(BC3500-2500年頃)」を含めて、時代の変遷にそって下の各文化について言及した。今回は、ピットウェア文化(BC3500年からBC2300年)やカタコンブ文化(BC2800〜BC1700年)について追記した。欧州エリアは寒冷の時代から温暖な時代に変遷する中で様々な民族や文化が相互に影響し合いながら切磋琢磨したのだろうか。それにしても読み難い名前が多い(笑)。
・ ハマンギア文化(BC6000年頃)
・漏斗状ビーカー文化(BC5000-3000年頃)
・ヤムナ文化(BC3600-2200年頃)
・球状アンフォラ文化(BC3400-2800年頃)
・アファナシェヴォ文化(BC3500-2500年頃)
・鐘状ビーカー文化(BC2600-1900年頃)
・クルガン文化(BC2500年頃)
ウーニェチツェ文化(BC2300-1300年頃)

以上

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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